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写真を撮っていた日々。

かつて、写真を撮っていた。

もう20年近く前のことだ。ちょうど銀塩写真とデジタル写真が混じり合っていた頃。

Rolleiflex 2.8F, TMAX400, バライタプリントをスキャン。2006年。

当時も相応の出費をすれば高画素・高画質のデジタルカメラが入手できて、機材では素人とプロとの境は存在しない。カラー写真ではパソコンから出力する高精細で発色のよいのインクジェットプリントがすでに銀塩プリントを超えていた。一方、モノクロ写真においては、滲みが避けられないインクジェットはトーンに乏しく、写真家の間ではまだまだ現像液や定着液が臭う暗室作業が根強かった。モノクロフィルムや印画紙は製造停止となりつつあったが、まだ入手もできた時期である。

有名無名を問わずプロ写真家は独自のワークショップを開き、初心者に対する撮影講座はもちろん、人物ポートレートのライティング術や暗室作業の手順なども学ぶことができた。受講生どうしで作品を講評し、渋谷や新宿のギャラリーを借りてグループ写真展を開くのも盛んだった。

ただの趣味として写真を楽しむ人もいれば、ポートフォリオを制作して写真雑誌に売り込みをして、プロ写真家や、ファインアート・フォトグラファーを目指す人もいた。そういう自分も、もしかしたら写真が認められて、写真集が出せるかもしれない。野望というより下心を持って写真を撮っていた。

いい写真を撮りたい。でも、いい写真とは何か? そう考えて、写真術だけでなく、評論・批評まで手を伸ばしたときに知ったのが、大竹昭子である。

ただし、当時の写真仲間からすれば、写真の評論・批評というのは、あんまり興味の持てるものではなかった。写真批評や思想というのは、森山大道や中平卓馬といった、もはや伝説とも化石ともいえる時代に属するもの。当時も、どこかの大学教授だか講師が現代写真を軽い口調で批評していたが、何も響いてこなかった。つまるところ、「自分で撮らない奴が、写真を論じても説得力なんてこれっぽっちもない」という思い込みが根強かったのだ。大竹昭子も批評をしているというだけで、そんな人種の1人だろうと見ていた。

いつしか銀塩写真がアナログ写真と呼ばれるようになり、デジタルカメラの高画素競争も頭打ちになり、iPhoneひとつで写真も動画も境界がなく撮れるようになってから久しい。あわよくばアーティストと呼ばれることを夢見る頃も過ぎ、日々の生活に追われ、紙の書籍さえ絶滅するだろうと言われてきた後で、個人制作であるリトルプレスという形で、大竹昭子と再び「出会う」とは想像すらしていなかった。

2021年5月、 発売されたばかりのカタリココ文庫第6号『超二流の写真家——『センチメンタルな旅』から五十年を生きる荒木経惟』とともに、第3号『スナップショットは日記か? 森山大道の写真と日本の日記文学の伝統』を手に入れた。リトルプレスやZINEを扱う小さな書店からも買えたが、あえてカタリココ文庫のオンラインショップから購入した。

自分が写真から離れて、あらためて当時も夢中だった森山大道と荒木経惟を、大竹昭子の目をとおして考えた。懐かしさなんてない。当時は批評なんて軽くみていたのだから。生成り色であたたかみのある小さな書籍は十分に大きくて新しい驚きだった。

少しずつ全巻そろえよう、けれども1号は無理なのか、畠山直哉の写真は好きだったけれど、最近は分からないなあと考えながら、またもや時間が過ぎる。ただ今回、文学フリマこそ足を運べなかったが、「カタリココ文庫」第1期全10巻がまとめて手に入ると知り、2冊重複するのも構わず、すぐに注文した。第1期完結記念のフリーペーパーとともに、ラッピングされて届いた「カタリココ文庫」全10巻がいま、手元にある。うれしい。

かつて、参加した写真ワークショップの師匠から、写真家のプリントを買うことは、その写真家を全肯定することだと言われた。全肯定。否定するものは皆無ということだ。1枚数万から数十万円するプリントは、その価格設定よりも、全肯定という重みに耐えられず、購入を見送ったことがある。

その教えから十数年たった現在、全肯定というのは、良い面も悪い面も丸ごと自分で受け止める覚悟だと理解している。たかが書籍。たかがリトルプレス。そうではない。大竹昭子さんはこちらを知らなくても、大竹さんが送ってくれた「手紙」と同じ。再読のものもあるが、心して1冊ずつ読んでいきたい。

まずはご遠慮なくコメントをお寄せください。「手紙」も、手書きでなくても大丈夫。あなたの声を聞かせてください。