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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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#知覚

「人」が「生」きるうえでの「観」方

ちょうど5か月かけて読み、およそ100回にわたって論じてきた小林秀雄の『私の人生観』。あら…

既視の海
1年前
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全体を読み返してこそ熟読玩味できる

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄『私の人生観』を、いま一度全体を読み返してみて気…

既視の海
1年前
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とにかく書いてみる。書いてみなければわからない。

芸術家は美しい物を作ろうとはしていない。だだ物を作っているだけだ。完成したものが、作り手…

既視の海
1年前
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細かな描写をすれば芸術的というわけではない

美は人を沈黙させる。その言うに言われぬ感動を、どのようにして言葉にするか。その感動を言葉…

既視の海
1年前
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知覚の拡大は、共感の拡大だ

芸術家も哲学者も、生活上の行為をするための物事から注意を逸らし、むしろ生活に役に立たない…

既視の海
1年前
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芸術家のほかに知覚を拡大できるのは誰か

なぜ芸術家は知覚を拡大することができるのか。人は知覚を行動するために用いている。しかしそ…

既視の海
1年前
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なぜ芸術家は知覚を拡大することができるのか

曖昧で間違いやすい知覚を補うために、人は科学と哲学という二つの方法を採り入れた。ただ、科学は計量であり、知覚を量でとらえることはできるものの、質はとらえられない。そこで質を受け持つものとして哲学があるが、哲学者の人数分だけ考え方があり、対立する考え方も現れ、ますます異質になっていく。よって科学も哲学も、知覚を拡大することは難しく、何か新しいものを生み出すことはできないのではないか。 そんな問いに対し、優れた芸術家こそ、不可能を可能にするというのだという哲学者アンリ・ベルクソ

なぜ科学も哲学も知覚の助けとならないのか

小林秀雄は「美」をどのようにとらえるかという問いに対して、大きな影響を受けている哲学者ア…

既視の海
1年前
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