(9/30)ジェイムズ『純粋経験の哲学』ゼミレポート#4- 純粋経験は、なぜ事物と意識に同時に属し、なおかつ同一であることができるのか?@ソトのガクエン
みなさま、こんにちは。ソトのガクエンの小林です。哲学思考ゼミ、ジェイムズ『純粋経験の哲学』第四回目です。今回は、『純粋経験の哲学』(岩波文庫)19頁~21頁まで読み進めました。本文の内容理解と参加者の方々との議論に多くの時間をかけたため、分量はそれほど進みませんでしたが、とても有意義な時間となりました。以下、今回読んだ箇所の内容です。
今、椅子に座り、私の周りを取り囲んでいる部屋は、物理的事物である。と同時に、私は当の同一の事物である部屋を知覚している。すると、同一のものである部屋が、外的な世界に属する事物である部屋と、私が自分の内的な世界(精神)で感得している部屋という二つの異なる場所に同時に存在していることになります。外的対象と内的知覚(対象)についての問題を巡り、これまでの哲学は、たとえば「表象説」など、さまざまな議論や概念を提出してきました。しかし、表象説は、物と心の間に干渉する「表象」については何も知ることなく、目の前の本は物理的に存在するとおりに直接見られているとする、日常生活の実感に反しているとジェイムズは言います。
このパラドクスをジェイムズはこう解決します。
同一のものが同時に二つの場所に存在するのは、ひとつの点が二本の線の交点にあるときに可能である。同様に、部屋についてのひとつの「純粋経験」が、ある文脈に置かれれば「あなたが座っている部屋」、まったく正反対の文脈に置かれれば「あなたの意識野」と、二度数えられ、なおかつ数的には始めから終わりまで数的に単一なもののままである、とジェイムズは述べます。
一点、以下の部分の解釈について。
この箇所は邦訳ではこう訳されています。
本文中の"it"は文脈上 "The one self-identical thing"(同一のひとつのもの)を指します。原文中の"giving"以下は、現在分詞を用いた分詞構文ですので、時、原因・理由、付帯状況、条件、譲歩のいずれかを意味します(『徹底例解 ロイヤル英文法』旺文社、「分詞構文の表す意味」464‐465頁を参照)。この場合、分詞構文を副詞句として取る文全体の理由を表わすものと考えられますが、邦訳はでは付帯状況で取っているか、あるいは「~ために」とされているので原因・理由でとっているように見えますが、原因と結果の関係が反対になっているように思われます。なのでこう訳しておきます。
要するに、同一のもの、すなわち「純粋経験」が、ある特徴をもつがゆえに事物に属する、あるいは別の特徴をもつがゆえに心的なものに属するというようなものではないがゆえに、それ全体としては、事物と心的なものどちらの文脈にも属することができるというレトリックが述べられている箇所だと思われます。
さて、当日、参加者の皆さんとは、やはり「純粋経験」というものが何なのかということを巡りいろいろ議論がありました。「意識」にせよ「経験」にせよ、ジェイムズが提示しようとしているものが、いかに私たちの日常的な語彙と異なっているのかという点に注意をしながら、読み進める必要がありますね。
次回は、10月8日(土)22時より、21頁「ここでいわれるふたつの過程のうち」から読んでいきましょう。
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