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自分の人生を生きる

先日、周囲への感謝の大切さについて思ったことがあったので書きました。

今週のモネを見ていたら、「あ、この前の記事で大事なことに言及できてなかった…」と気づいたので、今日はそのことについてつらつら書きます。

朝ドラ「おかえりモネ」第13週で感じたこと

現在放映中のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」。主人公は気仙沼出身の女の子(モネ)。震災を経験した後、自分のやりたいことを見つけ成長していくストーリー。

もともと私は朝ドラが大好きで、朝バタバタして見られない日は録画して夜観るくらいチェックしています。日常どこにでもいそうな女の子が成長するストーリーは、社会人経験を積み世の中のきれいな部分も黒い部分も知ったOLが、「あーまた今日が始まってしまった…」と今日こなさなければならないタスクたちで頭がいっぱいで気持ちがどんよりしやる気が出ない朝に観るととても清々しい気持ちになるのです笑。

今週(13週)のお話は、、、公式HPを見ていただくとして(←手抜き)、おそらく一貫して描かれていたのは「生きる目的」だと思っています(もしかするとこのドラマのテーマかもしれない)。震災時に地元・気仙沼にいなかったことから周囲の人たちとの間に(勝手に)壁をつくってしまっていたモネ。何か周りの人の役に立ちたい、その一心で気象予報士を目指し合格、上京しました。つまり、周囲の人を天気予報で助けたい、役に立ちたい、という動機です。対して東京でモネを取り巻く人たち――気象予報士の上司である朝岡さんやパラアスリートの鮫島さんは、誰のためでもなく自分のためにやりたいことがまずあって、それが結果的に周囲の人の役に立てば、という想いでそれぞれ仕事や競技に取り組んでいます。これって社会・経済の循環を作る構造の原理原則だったりします。自分の欲求を満たす代わりに社会に対価を提供する。その対価を受け取った人は今度は自分の欲求を満たすために対価を使うエコシステムなわけです。

「自己中心的な人」と聞くと、自分の思い通りにことを進めないと気が済まない人や、それを態度に表し周囲に攻撃するような人を想像すると思います。一方で、自分の意思ではなく周囲の軸に合わせ生き、人からの見返りを糧に生きる人も、ある意味「自己中心的な人」です。なぜなら、他者になにか行為をしてあげたときに感謝を述べられなかったり対価をもらえなかったときに「なぜ返ってこないの?」と要求をする、つまり他者の態度や行為を自分本位で捉えているからです。モネが震災の経験から気象予報士を目指した、という動機はとても素晴らしいですが、あまりにも「他者のため」という軸が太すぎると、今後天災発生時に他者を救えなかったときに苦しみ、再び自分を責め続けることになってしまうでしょう。

社会の中の自分の存在を理解し認める

人は誰しも一人では生きていけない。ゆえに社会に所属します。家族、会社、学校、国、地球…いずれの粒度も社会の単位です。その社会の中に所属している自分の存在を認めることが、自分軸を作るうえでは大切です。アドラーの心理学では、社会の中の自分を理解し認めるためには 「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3つが必要と唱えています。解説は省略しますが(←再び手抜き)、要は自分がよりよく生きたいのであれば、社会というのは変えられない、避けられないものであると受け止め、その中の自分がどう生きるかは自分次第、ということだと私は解釈しています。だから自分が他人にgiveをするのも「私がしたかったから」したまで。それに対する相手の反応が芳しくなかったとしてもそれは相手の問題だから自分は相手に寄せる必要はない。

いわゆる「いいこちゃん」で生きた人ほど、真面目な人ほど、周囲の顔色を伺い人の期待に応えようとしてしまいがちです(実際モネもこのタイプだと思う)。だけど目的が他者軸になってしまうということは、他者の反応次第で自分の存在意義がグラグラと揺らいでしまうのです。それって滅茶苦茶生きづらい。だって他人はコントロールできないのだから。だからこそ、自分のための目的があって、それが結果的に周囲の人を喜ばせている、というエコシステムが健全なのです。

…なんて偉そうに宣っていますが、私自身めちゃくちゃ周囲の顔色を気にするタイプなので、日々自分軸に立ち戻るよう、鋭意努力しているところだったりします。

金メダルは誰のため?

東京オリンピックで男子マラソンに出場していた大迫選手の試合後のインタビューがとても印象に残っています。42.195キロという距離を走り終え、入賞という形で幕を閉じた彼のマラソン人生。現役最後ともいえる試合後のインタビューで、彼は自分の成績を讃えるとともに後輩たちの将来に言及していました。インタビューを聞いて、「この人は自分のために走っているんだな」と思いました。自分のために走って、それが今後続いていく日本のマラソンの歴史になにか貢献できたら、という姿勢が強く感じられたからです。

オリンピックは、誰もが金メダルを目指すもの。ゆえに銀・銅メダルや入賞という成績であっても悔しさをにじませる選手は数多くいます。相当の努力を重ねてきたからこそ、それは当然のこと。しかしその涙の理由が「周囲の方に申し訳ない」だった場合、加えてそのアスリートが「自分のために競技に臨んでいる」という前提の軸が見受けられなかったとき、彼・彼女の今後が少し不安になります。周囲への申し訳無さの感情が湧き上がることはごく自然なことですが、とかく日本は周囲へ多少の負担がかかっただけでも「お詫び」をするのが文化として定着しているがゆえ、大事な「自分軸で生きる、自分のためにやる」という前提を見失いがちな気がします。スポーツにおいても、日本のため、支えてくれた周囲の方々のため、が先行してしまうと将来有望な選手を目の前の結果次第で潰すことになりかねない。特に若年層の選手をこの手の理由で失うのはとても悲しいことです。だからこそ、周囲で支える大人たちは選手の「自分軸」を、大切に扱い、見守ってほしいのです。


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