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仲間という存在の必要性(宝塚歌劇雪組公演「fff」より)

宝塚って全然チケット取れないんですよ(突然)。
一般発売で取れるなんて奇跡。大抵オフィシャル会員になるか、@@先行を狙うか、とある会ルートでとるか。私はオフィシャル会員ではないし会のルートも持ってないので@@先行系を狙います。その中でもとてもお世話になっているのが阪急交通社の観劇プラン。チケットのみの商品もあるけど旅行代理店のプランですからホテルセットプラン・レストランプランなどレジャーとの組み合わせもあります。そしてホテルセットプランだと席種がいいんですよ。だからいざ!という時は少しお金がかかるけどホテルセットプランで申し込むわけです。そして私が初めて申し込んだのが「fff」でした。

なんてったって当時最も人気があった(と思う)雪組トップコンビ・望海風斗と真彩希帆の退団公演。ここで払わなきゃいつ払う!
そんな理由で思い入れのある作品なわけですけども、この作品は「生きるとは」っていう問いを様々な角度から考えさせられる作品なのです。私にとって。
そんな「fff」で、私が感じた1つの視点を紹介します。

一人じゃなけりゃよかったのにねルードヴィヒ

主人公は望海風斗演じるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。有名な古典派音楽家。物語は彼が交響曲第3番「英雄」を発表したときから始まる。細かな話は割愛しますが、まぁ彼の人生は悲惨。しょっぱな恋人と別れ、耳が悪くなり、尊敬するナポレオンのロシア出兵(=思想の齟齬)に凹み、初恋の人を失い、不幸のドツボ。そんな中で「運命」と出会い、向き合い、名曲が生まれた…そんなお話。「運命」は擬人化されて、ルードヴィヒと結ばれてエンディング(なんてったって「運命」役はトップ娘役真彩嬢ですから!)なんですけど、それまでの彼は非常に孤独。誰も信じてないし寄せ付けようとしていない。でも決して全ての人から見捨てられていたわけではないんです。最も彼は親からの愛情は受けず、恋人には結果的に裏切られていますが、故郷の初恋の人・ロールヘン(朝月希和)やその夫であり友人・ゲルハルト(朝美絢)からの”友情”は得ていた。けど、ロールヘンが昔の思い人だったこともあり、なかなか素直に差し出された手を掴むことはできない、てなわけです。まあ結構こじらせているわなw
でもそんな彼も「運命」があらわれたことで会話する相手ができたわけで。そして徐々に自分の感情に自問自答したり、ナポレオンへの想いが何なのか、内省し始めるわけです。そして、(妄想の中だけど)ナポレオンとの交流によって自分と全く境遇の異なる人への共通する価値観や親しみを感じたり…
きっと人って、人と交わることで成長し、前に進めると思うんです。

生きる上で必要な力とは?



今の世の中、やれ100年時代、やれAIの搾取といって「学び直し」「成長し続ける」ことが生きる上での必要条件として叫ばれています。成長するために、学び、経験し、それを他者へ価値提供する、あとは成長を望む健康的(笑)なマインドを持っていること。これが良しとされている。大人になっても、年をいくつ重ねても、新しいこと、知らないことを探求しつづける、そして1つの仕事にとどまらないマルチな生き方が当たり前になりつつある…私もつい先日受けたセミナーで「人生を長期的・短期的に戦略を立てて学び続けるのです!」て教わりました。

ルードヴィヒがどんだけ戦略的に生きていたかはわかりませんが、少なくとも彼は楽典を学び、演奏し、評価を得、それを故郷を離れウィーンでも修行し、評価を受け地位を勝ち取ってきた人生、前述の”学び、経験し、価値提供する”、そして評価を受けるサイクルをこなして成果を出しています。人によっては「勝ち組」とも言われる人生でした。
でも同時に、孤独もさぞ感じていたと思うんです。だってこのサイクル、一人で回してたんでしょう?自省・抑制・嫉妬…いろいろな感情を自分でマインドセットし、闊歩した人生なんじゃないかなぁ。
一方で、愛情とか友情とか、彼の性格に鑑みると、人との交わりによって生まれる感情はおざなりにしてきたんだろうな。もしかすると承認欲求の塊だったのかな(このへんは本物のベートーベンを研究しなければわかりかねるのであくまでルードヴィヒを観た私の妄想です)。
結局一番悩みの種になる、けど人生の色どりになるのって人であって「仲間」なのではないでしょうか。

仲間がいることで起きるムーブメント

人って人と交わることで分岐する人生という名の道を選択していると思うんです。「fff」で言えば、ルードヴィヒにとってナポレオンという存在が現れたことによって共和する世界への理想を目指すことになるし(実際は帝政でしたけどね…)、ゲルハルトによってボンの片田舎で音楽に勤しむルードヴィヒにウィーンという行先を教えてもらうわけだし。物語の後半、「運命」がいたから今の自分が盲目に信じるものが正しいのか、問うようになったわけだし。外的な刺激があって初めて気づくこと、知ることってとても多い。それは本やネットから得る情報も一つの手段だったりするけれど、やっぱり「人」という、情報以外の根っこの感情やもっと複雑な設計がされた対象から突き動かされることのほうが、自分の心が動くんだと思うのです。

前段で触れた「生きる力」。確かに今の世の中学校卒業して就職して退職してはい人生エンディング♪とはいかないのは社会に鑑みて理解しています。理解していても、その成長の過程を楽しいと思えないと、人はそこまでM気質100%じゃないのでしんどくなる。そうなったとき、やっぱり自分が頑張りすぎず、でも楽しい、て思えるのは「仲間」を創ることだと思います。一緒に頑張る人、同じ方向を見ている人との交流。輪の中の一人になることで安心感、ときには危機感を感じ、見えない何かに突き動かされ人は成長する。
ルードヴィヒにとって、それはロールヘンやゲルハルトがなり得たんだろうけど。もしかすると自分のプライドとか鎧を脱いで素直になっていれば…なんて考えてしまったのです(あくまでfffのルードヴィヒの話です)。

そんなルードヴィヒを望海風斗が演じるとより退廃的で孤独さが増しましになっておりますので、是非機会あればご覧あれ!(回し者)

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2021/fortississimo/



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