三重野元日銀総裁の証言に対する雑感②
インフレ率2%の目標を目指しながら、異次元緩和という壮大な実験を行い、その実現に失敗した現在の日本銀行が置かれた状況は極めて深刻なものですが、1980年代後半から90年代前半のバブル生成と崩壊過程も大変でした。その時期に日銀の副総裁、総裁を務めた三重野康氏の口述回顧録をベースに、日経新聞が毎週末の連載で紹介しているものです。第2回は、「公定歩合(政策金利)が当時の戦後最低水準に下がった1987年2月から2年余りの時期の回顧」を中心に取り上げています。
記事では、「1986年