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達磨オヤジの唄~ふきのとう(1981年)

 「達磨オヤジの唄」は1981年にふきのとうがリリースした「D.S ダルセーニョ」に収録されている、山木康世さんが作詞・作曲した曲。  ファンを公言しながら恥ずかしいが、私は「ふきのとう」の楽曲の中で、〝飲み込めない〟曲がいくつかあった。  レコード時代は曲をスキップことは難しかったが、カセットテープにダビングするようになると、曲を飛ばすことができるようになり、「次はあの曲か…」と思うと、テープレコーダーやCDプレーヤーの早送りボタンに手が伸びた。「バイバイスーザン」「U

    • あの頃のまま~ブレッド&バター(1979年)

       マイナー曲中心の当ブログではいささか異色(笑)のラインナップですが、ご容赦下さい…。  岩沢幸矢さんと二弓さんのご兄弟フォークデュオ「ブレッド&バター」は、ご存じの方も沢山いらっしゃると思うので説明は割愛させていただく。  この年のヒット曲には「白いブランコ」(ビリー・バンバン)、「雪が降る」(アダモ)などがあるとのこと。私は小学校の入学前だったと思う。ラジオから流れていたカルメンマキさんの「時には母のない子のように」を耳にして妙にもの悲しくなった記憶がある。  自分

      • リズムもよろしく~NSP(1975年)

         1975年にNSPが発表したアルバム「2年目の扉」には、〝なぜか○○○…〟という曲が多い。  トップを飾る「春を見つけた」は、私にとって共感できる歌詞ではないにもかかわらずサビを今でも口ずさむ。  「北国の3月」「17才の詩」は聴いているうちに、なぜだかクスッとほおが緩む。別稿でも触れたが「デパートからあったかい風」のフレーズは北国育ちならとてもうなずける。反抗期のとがった思いを歌詞にした「17才の詩」は「ファンレターに書かれていた歌詞に曲をつけた」と聞いていたが、実は天野

        • 秋の接吻~ふきのとう(1989年)

           別稿でも触れたが、北海学園大学出身の山木康世さんと細坪基佳さんが結成した「ふきのとう」。13枚目のアルバムとしてリリースしたのが「金色の森・銀色の風」だ。12枚目の「星空のページェント」が打ち込みなどを使い、それまでの「ふきのとう」と、ひと味違った世界を描いたが、ファンの間で賛否両論あったらしい。  実は、ファンを公言しながら、昭和の終わりから平成の初めの、いわゆる「バブル時代」に、私は「ふきのとう」を含む邦楽から離れていた。  当時、「ベストヒットUSA」に代表される

        達磨オヤジの唄~ふきのとう(1981年)

          見上げれば雲か~NSP(1980年)

           5/5に一関市で行われたNoSPライブの残像が未だふとした瞬間に出てくる…。自分だけかと思ったら、こんなNoSP公式アカウントからこんなつぶやきがあった。  観客と演者がこれほどまでに想いを共有できるのか、とあらためて感嘆させられた。風が強い中、桜が舞い散る五月の空を超えて駆けつけた甲斐があったと、あのときの感動をあらためてかみしめている。高橋ジョージさん、平賀さん、本当にありがとうございました。  ちなみにライブ終了後は一ノ関駅前のホテルに宿泊し、翌日は「中尊寺金剛堂」

          見上げれば雲か~NSP(1980年)

          「山のロープウェイ」~ふきのとう(1983年)

           北海道出身の山木康世氏と細坪基佳氏が結成した「ふきのとう」。「白い冬」以降、なかなかヒットに恵まれなかった彼らだったが、「風来坊」や「春雷」というヒット曲に恵まれ、フォークデュオとして認知されるようになった。  話は脱線するが、ついこの間、Xで「やさしさとして想い出として」という曲.を西城秀樹さんが歌っていたことを、初めて知った( ・_・;)。。ごめんなさい、ごめんなさい。。。↓を聴いてみると、すばらしいんだぁ。。これが。私はこの頃、歌謡曲を敵対視していて、ヒットチャート

          「山のロープウェイ」~ふきのとう(1983年)

          NoSPコンサートに参加して(2024年5月5日)

           5/5のこどもの日に、岩手県一関市で開催されたNoSP(ノーエスピー)コンサートに足を運んだ。その感動の余韻がやまないので、イレギュラーなスタイルながら、その感想を。  一関工業高等専門学校に通っていた天野滋、中村貴之、平賀和人の3人が1972年に「NSP」というバンドを結成し、73年にヤマハの「ポピュラーソングコンテスト」で「あせ」という曲がニッポン放送賞を受賞し、同年「さようなら」という曲でデビューした。  NSPは1987年の活動停止までの間に、アルバム17枚とシ

          NoSPコンサートに参加して(2024年5月5日)

          「センチメンタルナイト」~柳ジョージ(1989)

           柳ジョージは昭和の日本の音楽界の中で、偉大なミュージシャンだと私は思っている。  伝説のバンド「ゴールデンカップス」にも加入し、その後1975年に、「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成。1979年に発表された「雨に泣いてる…」がいきなり大ヒットして、注目されるようになった。  彼はデビュー前からミュージシャン仲間の間では、知られたロック&ロール・ブルースシンガー。飛ぶ鳥を落とす勢いだった萩原健一に見いだされて、萩原が主演したテレビドラマの主題歌として「雨に泣いてる…」が

          「センチメンタルナイト」~柳ジョージ(1989)

          「想春賦」~アリス(1975)

           昨年10月に逝去された谷村新司さんと、「愛しき日々」で知られる堀内孝雄さん、矢沢透さんの3人が結成するバンド「アリス」。1970年代から80年代にかけて「冬の稲妻」「涙の誓い」「チャンピオン」「ジョニーの子守歌」等々のヒットを生み出した。  分類的にはフォークだったかもしれないが、彼らの中には欧米のロックやフォーク、カンツォーネ、シャンソン、タンゴ、そして演歌など多くの音楽を自分なりに取り込んで、独自の世界を切り開いてきた。  彼らのアルバムの特徴はアルバム全体としてのメ

          「想春賦」~アリス(1975)

          「微笑み」~ふきのとう(1981年)

           私の中のビートルズである「ふきのとう」。「好きな曲は?」と聞かれたら真っ先に上げるのは「微笑み」という曲だ。  この曲は、ふきのとうの8枚目のアルバム「D.S.ダルセーニョ」に収録されたが、シングルカットはされていない。  それにもかかわらず40年以上の月日を経て、今なおYoutube上で再生され続けていることが驚異ですらある。再生回数は2024年4月現在103万回。いまなお視聴回数が伸び続けているのが驚き。。。  Youtubeでのコメントを見ていると、大多数が同年代

          「微笑み」~ふきのとう(1981年)

          弥生つめたい風~NSP(1977年)

           NSPは、10枚目のシングルで、1977年発表。同年リリースされた6枚目のアルバム「明日によせて」にも収録されている。     「明日によせて」は同名のプロローグ曲で始まり、東北や東京の空気と風を思い起こさせるような楽曲で構成されている。卒業式のワンシーンを切り取った学生らしい「青春の後始末」は私のお気に入り。  「弥生つめたい風」は桜をモチーフに、一つの愛の終わりを描く。3/4拍子で始まり、さびから4/4拍子に変わってから、曲はテンポを上げ3番まで歌詞をつなぐ。  お

          弥生つめたい風~NSP(1977年)

          「二隻の舟」~中島みゆき(1989年)

           隻は「せき」以外に「そう」とも読むのか? と思っていたら、こちらに解説があった。ぽこさんに感謝!!  とにもかくにも、Wikiによると「1989年から行っている舞台『夜会』のテーマソング」になっているとのこと。  だとするなら、歌詞の中の「わたし」は、みゆきさん本人、「おまえ」はみゆきさんの歌を愛するファンとして聴くとストンと落ちる。 「時は 全てを連れてゆくものらしい  なのに どうして 寂しさを置き忘れてゆくの  いくつになれば 人懐かしさを  うまく捨てられるよ

          「二隻の舟」~中島みゆき(1989年)

          「後悔」~中島みゆき(2000年)

           朝5時から1時間のウォーキングを続けている。その間のBGMとして、所有している中島みゆきの音源をスマホに入れて聴いている。  当時は若くて無知だったが故に理解できなかった世界が、心に染みて心地よい。その中で「短編集」というアルバムに収録されている「後悔」という曲は泣かされる。足速に歩く初老の男が涙を流しているのが恥ずかしい。  最初から行きずりの人と分かっている男に恋い焦がれた女性が主人公。とうとうこのまちを去って行くことになり、女性が自分の思いを伝えなかったことへの「

          「後悔」~中島みゆき(2000年)

          「桜桃忌~おもいみだれて~」~永井龍雲(1981年)

           作家・太宰治の誕生日であり、入水自殺した彼の遺体が上がった日でもある6月19日を、彼を偲んで友人の今官一(こん・かんいち)が「桜桃忌(太宰忌)」と名付けた。  太宰が愛人とともに東京都内で入水自殺したのは1948年6月13日で享年38歳だった。  中学校時代に読んだ「人間失格」と高校時代で触れた坂口安吾の「堕落論」は、今なお私の中で傑作として記憶している。  だからラジオから「桜桃忌」という曲のタイトルを聴いた時に「暗い歌だろうな」と直感的に思った。その通りだった。

          「桜桃忌~おもいみだれて~」~永井龍雲(1981年)

          「やまねこ」~中島みゆき(1986年)

           中島みゆきは、聴く年代によって大きく印象が異なるアーティストだと思う。  デビュー当初から聴いているファンからすると「失恋女王」と思う人が多いと思うし(それ故にオールナイトニッポンとのギャップが楽しかったww)、「ファイト」「空と君のあいだに 」「ヘッドライト・テールライト」のような応援ソングで心弱き君に寄り添ってくれるジャンヌ・ダルクのようなイメージを持つ人もいると思う。「糸」に代表されるような2人の愛のつながりを歌い上げる曲が好きな人もいるだろう。  私は若い頃、ラ

          「やまねこ」~中島みゆき(1986年)

          「Pacific Coast Highway」~Nils(2006年)

           1960年代生まれの人の多くは、40~50歳代にワーカホリックだったと思う。「24時間働けますか」というCMもありましたよね。。。  2000年代に入ってITの波が急速に私の周りに押し寄せてると、「パソコンに詳しい人」がいいように使われた。当時は、日中、他人のフォローに追われ、自分の仕事を始めるのが18:00から。気がついたらオフィスに誰もいない、なんてことがよくあった。  土日出勤も当たり前で、3歳の子供を会社に連れて、遊び半分、書類の整理をさせたこともある。  それで

          「Pacific Coast Highway」~Nils(2006年)