「山のロープウェイ」~ふきのとう(1983年)

 北海道出身の山木康世氏と細坪基佳氏が結成した「ふきのとう」。「白い冬」以降、なかなかヒットに恵まれなかった彼らだったが、「風来坊」や「春雷」というヒット曲に恵まれ、フォークデュオとして認知されるようになった。

 話は脱線するが、ついこの間、Xで「やさしさとして想い出として」という曲.を西城秀樹さんが歌っていたことを、初めて知った( ・_・;)。。ごめんなさい、ごめんなさい。。。↓を聴いてみると、すばらしいんだぁ。。これが。私はこの頃、歌謡曲を敵対視していて、ヒットチャートなど見向きもしていなかったので、「ギャランドゥ」まで西城さんのことを評価していませんでした。あらためて聴いてみると表現力豊かです。2018年にお亡くなりになってから6年が経過していますが、あらためて西城さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 話を戻します。

 ヒット曲が生まれたことで少しゆとりが出てきたのか、「ふきのとう」は1981年にプライベートレーベル「Silverland」(シルバーランド)を設立した。

 山木さん、細坪さんが在籍していた北海学園大学は、大泉洋さんや「白い冬」の作詞者として知られる工藤忠幸氏、ふきのとうに続いて「ペガサスの朝」がヒットとなった五十嵐浩晃氏、「白い恋人」のCMソングにもなった「惜春賦」で知られる「手風琴」などを輩出してきた。このほかにも中島みゆきや松山千春、大橋純子などの実力者が「道産子アーティスト」として活躍していたこともあり、山木さんと細坪さんは北海道のアーティストが何らかの形で連帯しながら「北海道」を前面に打ち出して盛り上げていきたいと考えていたようだ。

 シルバーランドレーベルで発表したアルバム「011」は、札幌の市外局番をもじった。札幌市内のスタジオでレコーディングを行い、1曲目に収録された「12月の雨」ではバックグラウンドに五十嵐浩晃さんと佐々木幸男さんが加わった。

 今回取り上げる「山のロープウェイ」は、「011」の最後に収録されている曲で、山木さんの作詞・作曲だ。

 「011」と来て「山のロープウェイ」なら、これは藻岩山の山頂を目指すロープウェイのことで間違いはないと思う。藻岩山は札幌市内の南西部にある標高530㍍あまりの山で、ロープウェイ乗り場は市電駅から20~30分程度歩いたところにある。頂上からは札幌市内や小樽、留萌方面をのぞむことができて、札幌の大きさが分かりやすいスポットだと思う。

 藻岩山の山頂付近からの眺めは、昼間も、夜景も楽しめる。昼間は大通公園が中心部を南北に分断するグリーンベルトであることが分かるし、夜景は道都としての札幌のネオンが広範囲に広がっている様子を見ることができる。標高が高くないので、曇天の場合は眺望を楽しめないが、私は一度だけ四方全面を雲海に囲まれた風景に遭遇したことがある。

 何度出かけても思うのだが、藻岩山の周辺や頂上では、時間がゆっくり流れている気がする。その穏やかな空間への誘いを演出するスポットのBGMとして「山のロープウェイ」は、もっともふさわしい曲だと思っている。

 昔話で恐縮だが、〝はんかくさかった〟私は、親に隠れて当時の彼女と勉強の名目で札幌にやってきた。
 道東出身の人間にとって札幌の夏は、どこに行っても暑くて夜は眠苦しかった。中心部を走る幹線道路が1本しかない地元の街並みに比べて、札幌は正方形に区分けされた街並みが整然と並び、東西南北から大量の車が走り抜けていた。札幌駅からすすきのまでの駅前通りは、昼夜関係なく多くの人が往来し、都会で大好きだった人と過ごした日々は思い出深い。
 大通公園で観光客に混じって焼きトウキビをかじりついていた私たちの頭上には真夏の強い日差しが降り注ぎ、厚い入道雲が浮かぶ青空はひときわ輝いて見えた。
 「いまでも覚えています 昨日のことのように 鮮やかな緑に 光り輝く夏」。この曲のこのフレーズとメロディを聴くたびに、彼女のあどけない笑顔と「あの夏」の風景が、いつも脳裏によみがえってくる。

 ちなみに、帰郷することになった当日、札幌やその周辺の地域では猛烈な低気圧による豪雨に見舞われた。札幌市内にいた私たちは強い雨脚に驚きながら、帰ることができるのか不安な時を過ごしていたが、彼女の知り合いとともに車で帰路についた。

 途中ではJR(当時は国鉄)線路や道路があちこちで寸断されていて、死者こそ少なかったものの、1万2000戸を超える家屋が浸水や倒壊し、多くの河川が決壊するなど大惨事となった。後に「ゴーロク水害」という名前で歴史に刻まれたこの大災害は、後々の札幌圏域の豪雨災害対策に大きな影響を与え、災害に強い道路や橋などのインフラ整備の教訓として今でも語り継がれている。


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