あの頃のまま~ブレッド&バター(1979年)

 マイナー曲中心の当ブログではいささか異色(笑)のラインナップですが、ご容赦下さい…。

 岩沢幸矢さんと二弓さんのご兄弟フォークデュオ「ブレッド&バター」は、ご存じの方も沢山いらっしゃると思うので説明は割愛させていただく。

 この年のヒット曲には「白いブランコ」(ビリー・バンバン)、「雪が降る」(アダモ)などがあるとのこと。私は小学校の入学前だったと思う。ラジオから流れていたカルメンマキさんの「時には母のない子のように」を耳にして妙にもの悲しくなった記憶がある。

 自分にとってブレッド&バターは、「少し年が上のお兄さん・お姉さんが聴いている」という認識だった。

 1960年代後半から70年代初頭にかけて、国内では「学生運動」が各地で繰り広げられていた。衝撃的だったのは、1971年に起こった「あさま山荘事件」。詳細は省くが、テレビではNHK教育を除く全局が山荘の建物を映し出していて、警察隊が鉄球を使って建物の損壊を試みるなどの結果、6日後に犯人が逮捕されたものの死者3人を出すなどして終結した。

 事件にかかわっていた犯人のほとんどが大学生だったことは、私の両親にとっても衝撃だったようだ。
 当時、終戦後のどさくさで貧しいながら子どもを育てていた世代は、子どもに学歴をつけることで、より高い給料や地位を得られると信じて子どもを大学に上げていたが、大学生の間では、反戦や反米感情の高まりなどを受けて各地で大学紛争が起きていた。

 私が生まれた地元のまちにも大学があり、ヘルメットをかぶり顔を半分手ぬぐいで隠した学生が拡声器を持ち「安保反対」などとシュプレヒコールを繰り返していた。かれらの行列は車道を占領し、大きな横断幕を掲げていたことを登下校の間に目にしていた。大学生の熱量は地元の進学高校にも伝染し、優秀な人ほど左傾化する傾向にあったと後で聞いた。

 なぜだか分からないのだが、私はこれらの景色以外にも、街宣活動の横を通り抜けたときに感じた雨や風、長髪でベッコウ飴のフレームめがねをかけた学生達がくゆらせていたタバコのにおい、当時は全く理解できなかった彼らの怒声が記憶の奥底にすり込まれてしまったのらしいのだ。

 「あの頃のまま」や「いちご白書をもう一度」「帰りたい帰れない」「あの唄はもう唄わないのですか」「異国」「熱病」、「店の名はライフ」、「歌は世につれ」を聴くと、私が覚えている学生運動というムーブメントの〝におい〟を思い出してしまう。特にブレッド&バターのコーラスは声質が似ていることと兄弟のあうんの呼吸が織りなす絶妙なハーモニーが美しい。「声が絡み合う」感覚は今で言うところの〝エモい〟という感じか。
 作曲は呉田志穂(ユーミン)。当時は荒井由実として活動中で、彼女はその後も長い間、ポップス界のトップをかけ続け、底知れない才能に驚かされた。

 まさに熱病のように過ぎた日は、学生達がヘルメットを置いて、スーツに身を包みバブル時代に猪突猛進していく。その次のわれわれは「新人類」「ながら世代」などの汚名を着せられ、バブル終演と失われた20年に突き進んでいった。

 年寄りじみた話だが、あのときは一日中、まち中に活気があった。人が減り高齢化している昨今は、東京ですらかつての勢いを失っている感じがしている。


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