秋の接吻~ふきのとう(1989年)

 別稿でも触れたが、北海学園大学出身の山木康世さんと細坪基佳さんが結成した「ふきのとう」。13枚目のアルバムとしてリリースしたのが「金色の森・銀色の風」だ。12枚目の「星空のページェント」が打ち込みなどを使い、それまでの「ふきのとう」と、ひと味違った世界を描いたが、ファンの間で賛否両論あったらしい。

 実は、ファンを公言しながら、昭和の終わりから平成の初めの、いわゆる「バブル時代」に、私は「ふきのとう」を含む邦楽から離れていた。

 当時、「ベストヒットUSA」に代表されるような洋楽が国内を席巻し始めていた。マイケル・ジャクソンの「スリラー」「今夜はビートイット」などMTVの出現によって、メロディと映像で音楽を楽しむ時代が到来していた。

 また、私の地元ではFM放送局が新たに開設されたこともあって、洋楽のヒットチャートが耳に入ってくる時間が増えていった。それとともに邦楽の新譜を追いかけることがどんどん、おろそかになっていた時期だと思う。

 私たちは、誰でも音楽を手軽に持ち歩けるようになった「ウォークマン世代」だ。レコードやCD、ラジオからの音源をカセットテープに録音させて、テープとウォークマンを持ち歩き、通勤・通学など移動の間に音楽をむさぼ
り聴いた。

 その後、私は社会人として働き始めた。北海道の会社で働き、地方にいる顧客を訪ねる仕事だったので、車の免許は必須。車にはカーオーディオが装備されていて、オプションでCD付きを選ぶことができた。
 仕事でも1~2時間車を走らせることはザラで、遊びに遠出するとなると5~6時間のドライブは普通だった。私は運転が苦にならないタイプで、中で聴く音楽が一番のストレス解消だった。CD付きのカーオーディオを使うようになってからは、ツタヤやGEOでCDを借りてそのままドライブに出かけるようになった。
 これは音楽がより身近になった一方で、音楽を雑に扱うようになったと思う。ダビングというプロセスでは、音源を家で聴く必要があった。その間に曲目リストを書き写し、歌詞やライナーノーツに目をやる時間があったが、レンタルでCDを借りて車で聴くと、車内で再生だけして返却することが増えるようになった。

 洋楽中心だった生活が変わったのは1991年。地元FM曲が平日の毎日流していた番組の中で司会を務めていたDJが「北海道出身のグループが今でも地道に活躍しています。懐かしいですね」というコメントともに「ふきのとう」の「Daisy」を流した。

 シンプルなメロディと相変わらずの2人の声、そしてハーモニー。打ち込みを使ってはいたが余計な装飾は皆無で、私の知っている「ふきのとう」そのものだった。
 サビを耳にしたとき、車の中で大笑いしたことを覚えている。バカにしたのではない。「変わらないな」「がんばってんなー」。昔の同級生に会った時と似たような気分だった。

 その日の夜、レコードショップやレンタルショップをハシゴして、「ふきのとう」の近況を確認して回った。私が「ふきのとう」から離れている間に発表されていたアルバムは3枚。レンタルショップではライブを映像に収めたVHSが2本見つかった。3枚のCDをその日のうちに買い求め、車を走らせながら全曲に触れた。

 多分、邦楽がかつての勢いを取り戻せないでいる中で、多くのアーティストが試行錯誤を重ねていたように、「ふきのとう」も音楽の質を高めようと奮闘している軌跡を私は感じ取った。四季折々の風景や風、愛おしい人への想い、出会いと別れを、彼らは自分たちの言葉とメロディーで紡いでいた。何より2人とも以前より歌の技術も高くなっていたし、声質の異なる2人が紡ぎ出すハーモニーは、昔と変わらず、それ以上に心地よく私は感じた。 

  その時に聴いた中で、私が一番、歌の世界に浸れたのが「秋の接吻」だった。

 イントロからエンディングまでの時間に流れるバイオリンの音が心の中に染みていく。それとともに心象風景はあかね色に染まっていく。深まる秋の中、「君がいつでも そばにいてくれて 僕を見つめていたよ」…。別れた彼女に思いをはせ、忘れられない想いが秋の夕暮れと共に闇に沈んでいく。聴き終わったときに大きなため息が出た。「未練とも違う胸の痛みをよくぞここまで表現してくれたものだ」。この曲が私を「ふきのとう」へ呼び戻してくれた。

 山木さんと細坪さんの2択なら、私の場合は細坪さん楽曲に心を持って行かれることが多いと思っているが、山木さんの楽曲は人の心や人生を山木ワールドの中で私の心の記憶と結びつき、私の感性に彩りを添えてくれた。今でもふとした瞬間に口にするフレーズは、圧倒的に山木さんの曲の方が多い。

 今でも私は「ふきのとう」の再結成を望んでいる。ネットでは「細坪さんが山木さんに(再結成を)打診したが山木さんが断った」というような書き込みも見かけた。それぞれがソロ活動を続けており、それぞれの節目で「ふきのとう」の曲を歌っているということも知っている。

 だが、私にとって山木さんと細坪さんがそろってこその「ふきのとう」。「ふきのとう」時代に2人が作り上げた楽曲の数々と、解散後の楽曲では、私の心に響く度合いが全く違うのだ。

 Youtubeを追う限り、解散後に他のアーティストとのコラボは細坪さんの方が精力的に行ってきたようだ。NSPメンバーとの「スリーハンサムズ」、「雅夢」というフォークデュオの三浦和人さんと結成した「細坪君と三浦君」、オフコースの鈴木康博さんとハイ・ファイ・セットの山本潤子さん、細坪さんによる「Song For Memories」など。どれも音楽を愛し互いにリスペクトし合う人たちの共演と言うこともあって選曲、パフォーマンスどれもがすばらしいが、「ふきのとう」を超える感動はないと私は思っている。

 ここだけで明かすが、Wikiのふきのとうには、ページができたての頃(20年ほど前)に乱文を書き殴ったことがある。

 その後、熱心なファンや関係者らの手によって、適宜、加筆・修正が加えられていき現在も更新は続いているようだが、私が書いた記述が今でも数カ所、残っている。同じように「ふきのとう」を愛している人たちが「消さずにいてくれている」ということは、私と同じ景色を見て、共感してくれたのではないか、と私は密かに嬉しく思っている。
 多分、2人のステージを見ることは叶わないだろう。それでも「いつか どこかで また会えたらな と思います」という歌詞を唯一の拠り所として、どこかでぼそっと歌い始めてほしい。

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