見上げれば雲か~NSP(1980年)

 5/5に一関市で行われたNoSPライブの残像が未だふとした瞬間に出てくる…。自分だけかと思ったら、こんなNoSP公式アカウントからこんなつぶやきがあった。

 観客と演者がこれほどまでに想いを共有できるのか、とあらためて感嘆させられた。風が強い中、桜が舞い散る五月の空を超えて駆けつけた甲斐があったと、あのときの感動をあらためてかみしめている。高橋ジョージさん、平賀さん、本当にありがとうございました。
 ちなみにライブ終了後は一ノ関駅前のホテルに宿泊し、翌日は「中尊寺金剛堂」を初めて訪れた。一ノ関駅前から路線バスで現地に向かい、藤原氏の栄華の名残を感じつつも、中国人の団体ツアーの間をすり抜けながら急峻な参道を上り下り1時間ほど滞在した後、バスで平泉駅へ。

 花巻空港駅に着くと、空港行きのバスは1時間後。それでは飛行機の出発にギリギリとなってしまうことから、空港まで歩いた。

 これが自分の中では大正解。冬が終わって間もない空港周辺の田畑は初秋を思わせるような枯れ草と緑が混在する中、田畑は水をたたえていた。風が時に強めに、そして時にやさしく回りを駆け抜けていく中をひたすら空港ビルに向かって歩いていると、頭の中に「風の旋律」がループしてきた。

 「見上げれば雲か」は、円熟期にさしかかろうとしていたNSPの18枚目シングル。1980年に発表され、同年発売のアルバム「天中平 〜夕陽を浴びて〜」のA面の最後にも収録されている。

 レコードが全盛だった時代、多くのアーティストがLPを「アルバム」と呼んでいた。アルバムなので、その中にはストーリーがある。1曲目をアルバムタイトルと絡めてプロローグ、B面最後の曲をエピローグとしているアーティストもいれば、1つのテーマにA面、B面で異なるサブテーマを設けて、それぞれプロローグとエピローグを置いた人たちもいた。

 そうなると、作り手側は「アルバムの中での位置づけ」を意識しながら曲づくりをしていたようだ。だからシングルカットには〝弱い〟曲でも、「アルバムの空気感を醸し出すのに不可欠な曲」が沢山あって、それを聴くためにアルバムを買い求めていたような気がする。

 「天中平」はNSPメンバーの天野、中村、平賀、各氏の名字の1文字目を取り出したらしい。A面の最初は少しポップな「You love me」で始まり、それを受け止めるのが、ずっしりと重い曲「見上げれば雲か」だ。

 NSPの唄は、大好きなあの娘へのあこがれや恋い焦がれる想い、失恋の痛みを扱っているものが多い。それがアルバムを重ねるにつれて、恋心から時間と思い出を共有した大人の男女が持つ胸の痛み、感じるはかなさや、やるせなさに変わってきたと思う。

 それぞれ人は その足下に
 自分の影を 引きずりつづけ
 立ち止まるとき 思い出すのは
 愛しい人の 笑顔じゃないか

 このフレーズは、恋愛を経験した人の数だけ解釈があると思う。それぞれの感情を持ちながら空を見上げたときに目に入る雲や星、あかね色や高く青い空。それらを見て何を感じるのか、それもそれぞれの人たちに委ねている。前段として題材は投げられている。「手頃な恋に身を任せ」た男女の悲恋の行方なのかもしれないが、同じような経験がなくてもいくつかの言葉に共感できれば、唄の世界観に引き込まれてしまう。

 この曲には忘れられないエピソードがある。
 当時、日本テレビで毎週月曜日に「NTV紅白歌のベストテン」(後のザ・トップテン)という歌番組があった。詳細は覚えていないが、番組の最後の方で、全国各地の系列局に寄せられたリクエストランキングが発表されるコーナーがあった。ライバル局のザ・ベストテンと同じように、各順位がパラパラとめくられた後に一斉に表示されるランキングボードを使っていたと記憶している。

 たまたま私が見た時、岩手を除く全ての都道府県の1位は松田聖子の「青い珊瑚礁」だったが、テレビ岩手のみ「見上げれば雲か」が1位に輝いた。見た瞬間、小躍りした私だったが、徳光和夫アナは松田聖子の非凡さをたたえるコメントばかりでコーナーを締め、当時の私は一人で激怒していた記憶がある笑


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