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不思議な窓(円 まど)


“天空の不思議な窓”(感想文のスケッチより)
Deepest Blue Sky(紺碧の青空)
結婚式で鳴るような大きな鐘が鳴っており、青空をフラワーブーケの縁で
(ブラウン生地にピンクのライン)囲っているような空に開いた穴です。
窓の中は、全き青の世界、雲一つない青空が広がっています。

毎回内観の予約を入れたのち、心も体も無意識にどうにかして内観から逃れようとします。しかし、内観をするのは厳しいに決まっている、それが内観であると納得できれば覚悟が決まるとも言えそうです。

①母の愛……借金をして未だ返してもいないのにもかかわらず、さらに治療費まで私のために出してくださいました。母は素朴で、温かく、愛に溢れる人です。東京スカイツリーに家族で遊びに行くとき、近くの温泉に家族で行くとき、そこにある母の想いは、私や家族にただ楽しんでもらいたい、大いにリラックスしてほしいという素朴で丸い大きな愛情でした。それを当日に私は妹に対して喧嘩を売ってスカイツリー・ツアーを台無しにしてしまいました。家族で出かけることはしたのですが、家族が楽しんでいる間、落ち合う場所を決めて、私は屋外で大道芸人さんが曲芸をなさっている様子をずっと眺めておりました。また、知り合い・生徒さんによく思われたいが故に、温泉に行く前にビニール袋に着替えを詰めている母に対して「温泉に着いたら~はするな,~することはやめろ」と指示を出しては罵倒し、母の好意を踏みにじってしまいました。しかし、踏みにじったことがわかったと同時に母の愛がわかりました。以前、母がきつい仕事をしておられるとき、冷蔵庫のすぐ傍で「だれのために働いているのよ」と母がおっしゃったとき、私は涼しい顔をして「お母さんの仕事と、そもそも俺は関係ない」と冷たい言葉を放ってしまい、母を泣かせてしまいました。病気の私のために、90歳まで生きるとおっしゃってくださる母の愛情というものが、まったくもってわかっておりませんでした。まことに申し訳ございませんでした。

○比喩としての「素朴」:木に例えれば、キンモクセイ・あじさい・ひまわり・チューリップのように柔らかい花のような印象。歌に例えれば「みんなのうた」のように、小さい子からお年寄りまで馴染み親しめる温かさをもつ曲のような印象です。

②父阿彌陀仏……ステロイド治療をしながら、薬を減らすときに離脱症状と闘い、足がつってしまって、電車とホームの間に足がはさまりそうになったことがあるそうです。また、片方では部長、片方では任せられた会社の社長をし、2つの会社を抱えてボロボロになって働いてくださいました。また、教員を辞めたときに「もう少しすれば、お兄ちゃんが働いてくれて、俺も少しは楽ができるかなあ」とおっしゃっていたことがあります。父が病気で倒れてしまったときも、誠心誠意お見舞いできたか、と自分に問いかけますと、自分のことばかりを考え、父のことを心から労ってあげることすらできない自分には、愛情というものがないのだと感じました。しかし、自分には愛情というものがなくとも、父は私を摂って捨てないで支えてくださいました。2つの会社で働いてくださったのは、病気の私が居たためです。もし私が病気でなかったら、もう1つの会社を引き受けることが本当にあったのでしょうか。判子を押す瞬間に私のことが頭をかすめたのではないでしょうか。摂取不捨の阿彌陀仏とは父のことでございました。その父の後ろにおられる方が「大きな力」「神仏」ということなのでしょう。まことにありがとうございました。

③不思議な窓……6日目の夜、突如として空高くに穴が開きました。祝福の鐘が鳴って、天使がお二人おられました。マヨネーズのマスコットにもなっているような、とても小さく幼く、赤ちゃんのようなお姿です。しかし、目を見開いて天井を見上げますと、実際の穴はありません。しかも、その空に開いた穴の中もまた空になっておりまして、そこは全き「青」の世界でした。雲一つなく、ただ青空が広がっておりました。嘘と盗みを調べながら、同時に天空の声が聞こえてきました。「ケンタッキー・ホーム(My Old Kentucky Home)」「峠の我が家」と音楽が流れてきたかと思うと、その音の潮流・源流を辿っていきますと、幼い頃の母の子守唄に行き着きました。私がなぜ教育・音楽を学び、なぜあの大学・高校を卒業したのかもわかりました。本来であれば、小学校全科の免許ですから、担当が音楽になることは極めて稀です。その青い空に当時私が勤めた先、教育委員会での採用面接の風景が映し出され、そこに「ケンタッキー・ホーム」が流れていました。比較的文化に恵まれない子供たちを音楽で助けてあげなさい、という天のご慈悲とお導きが私が音楽の教員になった意味だったのです。そして、この音楽の源流が母の子守唄でした。

嘘と盗みを調べているのに、天から答えが降ってくるという不思議な情景・心境でした。次にわかったのは、私は「空そのもの」だったということです。青空を心の中で覗いているうちに、私はいつしか空になって浮かんでいました。そして、小学校一年生のとき、授業中にふと見た隣の町の上にかかった、くじらのような大きな雲を思い出しました。丁度「くじらぐも」という国語の単元だったこともあり、少し雨が降りそうな気配もありましたが、あの雲の上に乗って友達と遊べたらよいなあ、と幼心に思ったものでした。すると、時空を超えて、私自身があの空だったのだ、ということに気づきました。非常に懐かしい気持ちになりました。

時は昔、ギリシャの空のことです。イカロスが太陽を目指し、メロスが必死に走ったであろう頃のことです。輝く太陽と青い空が見えました。なるほど、私はいなかった時代ですし、実際ギリシャに居たわけでもありません。しかし、あの空でさえ私自身だったのです。それがわかったとき、私は永遠である、ということも同時にわかりました。

私はとある恐怖心から内観しましたが、自分が何とかできる範囲にない問題なので、どうすることもできませんでした。それならば、人間ではなく、天・神仏にお伺いすれば何かわかるかもしれない、と思って内観いたしました。そしてその答えは「あなたの望まぬものは与えられない」というお言葉でした。それを知った私は「これで家に帰れる」と確信し、安心したことを思い出します。

内観に向かうときも、行くのをやめて帰ろうと思いながら、ある地点を超えますと、ここまで来たらやるしかない、と毎回思います。しかしまた、内観中にも行き詰まって帰りたくなるのもまた事実でありまして、困難な道程ですが、今帰ったところで問題は何も解決していないのですから、帰らなくてよかったと思いますし、帰れなかったとも思います。帰ろうと思ったのは6日目のお昼のことですが、私の頭上に不思議な窓が開いたのは6日目の夜のことですから、ぎりぎり最終日の前日に心境の変化が起きたことになります。そして私が探していた答えは、すべてその空の中にありました。吉本先生が内観を止めて帰ろうかどうか迷っている内観者に、「ほな帰りなはれ」と仰るか、「もう一日座っていきませんか」と仰るかの境目は、「自分で自分のことを助けようとしているか」だということにも気づきました。“天は自ら助く者を助く“のですね。

昔から上下関係も苦手、体育は好きでも体育会系もてんで駄目。学校の先生には「授業を工夫しろ」と言って、教授にも「教科書を読むだけの授業なら必要ない」と手紙まで出した人間です。向いていないことも甚だ多く、他人に噛みつく鬼のような人間なのです。しかし、行き詰まったとき、清水所長が夜9時から朝の4時まで相談に乗ってくださいました。ただ、先生の体力を消耗させてしまっただけでなく、私も体が効かなくなって、「今回はこれでお終い、何も気づくことができない、罪悪感も深まらない」と落ち込みました。しかし、寝不足で思い出すこともままならないと諦めかけたとき、淑江奥様が昼食に運んでくださったスープをいただきました。内観できそうになくても、目の前のスープなら食べられる、と思ったのです。すると不思議なことに、頭の働きが次第に戻ってきて、嘘と盗みの続きを調べられるようになりました。内観に集中できないと研修所に文句を言って、お食事を作るのを手伝ってくださる方・奥様・所長の団欒を壊しておいて、作っていただいた食事をいただいて自分だけは内観をしているわけです。かたじけなくも、ありがたく思いました。壁にぶつかって起き上がれなくなっても、私は愛されていました。まことにありがとうございました。

あの青空が最後の面接のときにおしえてくださったことは、「人間のする仕事は、この地球・この世界を楽園にすること」でした。楽園の象徴が“ブーケ“です。帰宅してから今日眺めた空もまた透き通るような青空でした。私の頭上に存在する不思議な窓の中もまた、夜になると時折「星空」にもなる透き通った青空です。世界は不思議で知らないことのほうが遥かに多く、また神秘的なのは本当に有り難いことですね。

ところで、『只今の時間、どなたに対して、いつのご自分をお調べになってくださいましたでしょうか』。吉本先生・柳田先生が生きられた昭和の素朴な温かさと懐かしさ、優しさと厳しさが入り混じった不思議な空気が、私を一週間見守ってくださった部屋に放送や音楽とともに溢れていました。

ありがとうございました。

合掌

○ 第17回目の内観終了直後の感想文です.
○ 円を「まど」と表しているのは,押田成人神父の「円(まど)い」から借用しております.
○ 実際の不思議な窓は「ルーローの三角形」に近い、もう少し丸い印象です.
○ お写真はコモン・ユースのアルバムからお借りしました.まことにありがとうございます.

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