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Xジェンダー不定性 察してくれる方にも感謝

noteを書き始めてから3日が経ちました
正直、noteに自分のジェンダーを書き綴っていくというのは、「なんとなく」で始めたことでしたが、記事の数としてこんなに書くことがあったことにも驚きですし、なにより「性別というものにこんなに自分はこだわり続けていたのか」ということにも、改めて驚いています

世の中のマジリョティの方々は、もし周りにマイノリティの方がいらっしゃらなければ……もとい、その存在に気づかなければ(きっと、出会ってはいるけど、クローズドにしていて言わないという方を含めれば、割合としてはきっと誰もが一度ならず二度も三度も出会っているはずです)自身の性別について何の疑問も持たずに80年や90年といった生涯を過ごす方が大半なのでしょう

でも、僕にはそのことの方が逆に不思議です
なぜなら、「今日はどの性別だろう」「どうして僕は周りとは違うんだろう」ということを、もの心ついた頃からかんがえているので、それだけ僕がマイノリティとしての悩みを持っているということの裏返しなのだから

さて、僕の周りには、僕のセクシュアリティをカミングアウトした人と、カミングアウトはしていないけどなんとなく察してくれている人と、完全にクローズドにしている人の3パターンの人たちがいることは、以前の記事にも綴りました

今回は、その中の「なんとなく察してくれている人」のお話です

人間関係で衝突しないような分別がついてくるようになると、人は「察する」ということを覚えます

そのなかでも、セクシュアルマイノリティといったことに関しては、ある程度の良識が備わってくると、大抵の方は察することができるようになりますし、仮に察したとしても直接本人に言わないのが大人のマナーだとわきまえられるようになります

ちなみに、子どもだと逆に察する以前に、それをそのまま柔軟に受け入れるというパターンも往々にしてあるようで、そういった「多様性を認める」ということを、大人が教えずとも自然と理解できる純粋さっていいな、とも思ったりします

さて、本題に入りますが、リアルでもバーチャル(配信)でも、可能ならば僕のセクシュアリティを察してほしい(そもそもマイノリティだということも含め)と思う方々には、あまり隠さずに自分のセクシュアリティを“それとなく”出すことがあります

たとえば、女の子が好きだと言うこと
たとえば、アイコンと名前の性別が変わることによって、(無意識のうちに)話し言葉や態度が変わっていること
たとえば、「セクハラ発言とか気にしないから、今は男として扱ってほしい」と伝えること
たとえば、アイコンと名前が変わることによって、好きな色も変わってしまうことを伝えること
たとえば、2つのアイコンをリアルの人間関係の人たち見せて「どちらも自分の分身なんだ」と伝えること

「僕はXジェンダー不定性で、日によって心の性別が男になったり女になったりします」とはハッキリ言わなくても、こう言った行動をサラッと行うことで、(当たり前ですが)九分九厘の人には察してもらっています

そのことで、少しずつですが自分らしくいられる環境を作ることが可能となり、今ではのびのびとリアルもバーチャルも楽しむことができています

そんななか、昨日は嬉しいことがありました

「察してくれている」とある男性ライバーの方と何気ない話をしていて、その方に「〇〇くん(⟵僕)は街中でかわいい女の子を見かけたら、ちょっと気になって振り向くと思うけど……」と、本当に何気なく言われました

その言い方には悪意やからかいはいっさい感じられず、あくまでも一対一の男同士としての会話という感じだったので、逆に一瞬こちらが驚いてしまいました

ですが、その方にとって、「この人(⟵僕)は、今は性自認が男である(のだろう)」ということだけでなく、きちんと「この人(⟵僕)は今は女性が好きなのだろう」ということまで「察してもらって」、改めて1人の男として扱って頂けたのが、本当に心から嬉しかったです

むしろ、おんぶにだっこみたいで、甘えすぎてるというか申し訳ない気持ちすらあります……

そして、やっぱりこうした瞬間に、幼少からいつの間にか隠さなければならないと思っていた「男としての自分」の側面を、外で解放してもいいんだということが、心の底から安心できるというか、とても嬉しくてしかたがありませんでした

(ちなみに、街中に可愛い女の子がいれば、そりゃ振り返ります (なんなら生足とかお腹も見てます))

いまだに誰にでもハッキリとカミングアウトする勇気はないけど、カミングアウトするのは義務では無いですし、こうして察してもらえるのであれば、それはそれで人間関係としてありなのでは……とも思います(お互いにそこは大人ですので)

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