ご(ふ)機嫌ばあさん
母には6つ年上の姉がいるのだけど、二人は驚くほど似ている。孫たちが蔭で「銭婆と湯婆婆」と呼んでいるほど。
ただ性格は正反対で、特に「機嫌の良さの差」は年々開いていく一方だ。
傍から見れば幸せの要素をたくさん持っている伯母が、この20年「生きていても仕方がない」とばかり言うのは、姪の立場でも、聞いていてかなり切ないものがある。
淡々と日常を送る母と、自分は不幸だと嘆いている伯母。同じ姉妹なのにこの差はどこから生まれたのだろうと考えさせられてしまう。
思うに、伯母は子どもに自分の幸せを依存し過ぎたのではないかと。
うちの母は実子に対して何も期待していない人、正確にいうと期待を見せない人だったのだが、伯母は自分の価値観が一番と疑わず、なにかと強要するタイプだった。若かりし頃は教育ママとして君臨し、子ども4人を全員東大に入れた元祖佐藤ママのような人なのである。
伯母はわが子を東大に入れるのが親の務めと心から信じていたので、私たちが中高生のころは「部活なんてさせていないで、渋谷の〇〇という英語塾に通わせなさい」などとよく妹である母に電話をしてきて、あれこれアドバイスという名の説教をしていた。
母はたいていは上手く聞き流していたけれど、ある時、よっぽど腹に据えかねるものがあったのだろう。「姉妹とはいえ、他所の家庭の教育方針に口出ししないで」と大きな声で抗議して、電話を切った後に泣いていたのを覚えている。母が泣かされたのは一度や二度ではなかった。
従兄弟達は結婚が早かったし、伯母は50代で夫を亡くしたこともあり、もう20年以上「早くお迎えが来ないかしら」「生きていても仕方がない」とため息ばかりついている。なぜ私にはまだお迎えが来ないの?こんなに待ってるのに的な歌を五七五で詠んでは送りつけてきちゃうので、ヤレヤレである。
専業主婦で子どもの教育に全てをかけていた伯母にとって、人生のピークは30代、40代だったのかもしれない。
姉から鬱鬱としたLINEが届くたびに母は慰めたり、励ましているのだけど、自分を不幸と信じて疑わない人に周囲ができることなんて何もないのだと感じさせられる。
本当に勿体ない。
なぜなら伯母は話すととても面白い人なのだ。頭脳明晰で、昔のこともよく覚えているし、かなりの毒舌なのでおもわず笑ってしまう。甥や姪には人気者だけど、実の子は誰も寄り付かないから、伯母の孤独に拍車がかかってしまう。
ちょっと離れた立場なら「ほんと毒舌だなぁ」で笑い飛ばせるけれど、実子や孫には毒が強すぎるのだろう。過干渉だし。
先日、伯母から母に「長男が社長になれなかったのは、やっぱりあの時、転勤を断ったのがいけなかったんだわ」と、30年以上前の選択を悔悟する長いLINEが届いた。
長男の勤め先は、従業員が何万人もいる。そこで社長になれなかったと嘆くなんて、それはさぞ苦しかろうと、驚いたというか、正直、アホじゃなかろうかと呆れた。伯母の努力の領域外だ。
80半ばになっても健康で、健脚で、経済的な不安もなくて、友達もいる。子どもや孫もみな社会人として立派に活躍している。20年も変わり映えのしない愚痴を聞いて、常に励ましてくれる妹だっているのだ。
これ以上、何を望む? 幸せの要素はすべて持ている、あとはおばちゃん自身の問題だよと。
自分で自分の機嫌を取れること、幸せの基準を他人に依存しないことが大切だと、この伯母から教えられた。
あーそれにしても勿体ない。伯母は話し相手としては最高に面白い人なのに。
ちなみに…。矛盾しているようだけど、伯母はいまだに1日8000歩をノルマにしていて、趣味は散歩とトランプのポーカー。週に3日は「ボケ防止」とトランプの集いとやらに通っている。持病一つないし、長寿の家系だし、こりゃ100歳コースは間違いなさそう。
暇つぶしに展覧会に足を運んでは「あーつまらない」「生きていても仕方がない」とやっている。そのくせ「ハナちゃん、何か美術展や展覧会の招待券ないかしら?できたら3人分」とよくLINEに飛んできた。つまんないつまんないと言いながら、エネルギッシュなのである。
案外、「早くお迎え来ないかしら」というのは口癖なだけで、人生楽しんでるのかもしれん。かなりはた迷惑な口癖だけど。
結論。機嫌の良さ大事!
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