ハナコ

反抗期の一人娘と海辺の街で暮らしています。ビンボーFIREしたものの、あまりの暇さに音…

ハナコ

反抗期の一人娘と海辺の街で暮らしています。ビンボーFIREしたものの、あまりの暇さに音を上げて、また仕事を始めました。老後の楽しみにスタートしたnote。書き始めたら、人生半世紀にもなると、もうそんなおもろいことはないなぁ~と気づいてしまいました。何の役にも立たない雑記です。

最近の記事

おとうとはスナフキン

私は双子で、2つ上の兄と同い年の弟がいる。 この弟というのがまぁ夢追い人で、長年、あなたはスナフキンですか?というような生活をしている。 親戚一同の中で一番のイケメンで、きょうだいの中で最も高学歴。学生時代は無双で、それこそバレンタインデーは毎年数えきれないほどチョコをもらっていた。街をあるけばスカウトされ、有名雑誌の街角スナップにも何度も掲載されていた。 が、若い頃に外見でちやほやされるのはいかん、とおもう。 見事に正統派の人生ルート?から外れた弟は、これまで一度も

    • 教員採用試験 受験者過去最低に思う③

      教員認定試験の受験案内には、時給制の仕事は職歴に書くことができないとある。 なんでだろう 日本の労働者の約4割は非正規の雇用なのに。 時給制でもフルタイムで働いて、納税して社会保険料を納めている人はたくさんいるし、専門的な職業だってあるだろう。  いくらなんでも差別というか、選民意識も甚だしいと思ってしまうけれど 何か私が気づけていないだけで、時給制を職歴NGとする合理的な理由があるのだろうか。 ロスジェネ世代が社会に出たころは、先生になるのは狭き門だった。何年も臨採

      • FIREできる人はすごい

        昨年、長く勤めた会社を割増退職金をもらって辞め、ビンボーFIREをした。「よくその資産で辞めたなぁ、おい」という感じではあるのだが。 結果、半年で音を上げた。 もう子どもも大きいので、家にいてもすることがないのである。 暇はいかん。あー私ってホント無趣味なつまらない人間だわ、と日に日にわが人生とは、とか考えちゃうのである。こんな生活してたら絶対ボケる。里子をもらいたいと本気で考えてしまった。(今でももらいたいけど) じゃあ、会社を辞めたことを後悔しているか?と聞かれる

        • 見える、私にもビンボー神が見えるでー

          高校からの友人カナちゃんと久々にランチした。会うのは二年ぶりだったけど、昨日もお茶したみたいに話せるから、学生時代の友人ってすごい。 ひとしきり近況を報告しあった後、カナちゃんはご自慢のトーダイを目指している息子くんたちの話を始めた。 カナちゃんは子どもたちに、勉強しろと言ったことはないそう。ただ、学生時代より大人になってからの方がずっと長いから、好きな仕事、やりがいのある仕事に就けるように先を見据えて今を過ごせ、決して母ちゃんのようになるなと口を酸っぱくしていい続けてい

        おとうとはスナフキン

          わが子の「読めない問題」に悩まされて

          何年か前に「教科書が読めない子どもたち」という本がベストセラーになった。中3の娘はまさにそれ。親としては、この問題はなかなかに根が深いし、改善が難しいと感じている。 先日、バレーの試合をTVで観ていたときのこと。 画面右上のテロップにはこうあった。 日本勝てばパリ五輪出場決定 カナダから1セット先取  娘は「あれ、テロップ変じゃない?これだとカナダのほうが日本より先に、1セットを取ったことにならない?」という。 実際のテロップは、1行目の「日本」の部分は「日の丸」の画

          わが子の「読めない問題」に悩まされて

          若い頃、職場でイベントの設営をしていたら、勢いよくふりむいた同僚の肘が、真後ろでしゃがんでいた私の鼻を直撃したことがある。 目から火花ってこれか!というくらい痛かった。が、それも一瞬のことで、すぐに鼻血も止まったから、粛々と設営に励んだ。 しばらくしたら先輩が「ハナコの鼻、すげー腫れてる」と声をあげた。ここはいいから医者に診てもらえと、ヤブで有名な社内診療所へと追い立てられた。 このヤブ先生、誤診しかしないと評判の迷医だったが、この日はひと目みるなり「あんたそれ、折れて

          子育ての終わり 娘が巣立ったあとは

          ポルトガルに住みたい!って言い続けたら現実になるだろうか。 こんな書き出しから始まるとあるnote。感動したのは、その方が、1年もたたずにポルトガルに住み始めていらっしゃたこと。 まさに言霊だわ。 私も子どもと海外で暮らしたい!暮らしたい!と言い続けている。が、肝心の娘が渋っている。15歳。反抗期、真っ最中なのだ。 1年くらい留学しない?と誘っても「え~、ママと二人で?ビミョー」と超テンションの低い声で返してくる。 私の子育てはもう終わったんだなぁ、と感じるのはこん

          子育ての終わり 娘が巣立ったあとは

          教員採用試験、倍率過去最低におもう②不登校が1割

          娘の保育園&小学校時代のママ友数人と久々にランチをした。地元の中学に進んだ同級生の1割超が不登校と聞いてたまげた。1割って、10人を余裕で超えている。 「ハヤトもメイもユウカも学校来てないよー」と、娘がよく一緒に遊んでいた子たちの名前も挙がっていた。「えっ、昨日、タケノスケたちと遊んでたよ」「そうそう、よく遊んでるよね」 ハヤトのおうちは学校に行かないのはOKだけど、引きこもりはNGなんだそう。明るい不登校なのだ。 メイはママが「学校は3日に1回行けばいい」という方針な

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          手相観のおばさまにしびれた

          私は占いとかその手のものは全く信じていないが、人生でたった1度だけ、よく当たる手相観さんに出会ったことがある。 まだ20代のころの話。高校からの親友カナちゃんと温浴施設に遊びにいったら、手相の簡易スペースがあった。カナちゃんは彼氏と別れたばかりで「ちょっと見てもらう」と座り込んだ。 料金は1000円だった。相場は知らないけれど、さすがに素人くさくないか?  こんなしょーもないもんにお金使ってと、冷やかし半分、このいかさまおばはん何いうんやろ?と、カナちゃんの隣の丸椅子に

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          しもやけと老眼

          世間的には厄介なものと認識されているけれど、人生において一度体験してみたかったものが二つあった 一つが「しもやけ」 もう一つが「老眼」だった しもやけに憧れたのは6歳のころ。仲良しのけい子ちゃんが毎年冬になると足をモソモソさせていたのだ 同じマンションに住む同級生のけい子ちゃんは、英会話を習っていた。なにぶん45年も前の話なので、そんなハイカラな子は周りにはいなかった。子ども心に「けい子ちゃんってイケてるわぁ」と尊敬していた 「なんでいつも足モソモソしとるん?」 「し

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          育児お悩み相談

          はるか遠い昔(←おおげさかな。でも気分はこんな感じ)、まだ娘が可愛かったころ(←もちろん過去形)、私のお悩みが新聞の育児相談コーナーで取り上げられたことがあった。 自分で投稿したわけじゃなくて、新聞社で働く知人から電話がかかってきて、「ねぇ、なんか子育てで悩んでることない? いま手元にある相談、どれも既に似たようなのを掲載しちゃってて」と早口でまくしたてられたのだ。 「えー何だろう。そうだなぁ『ママ、死なないで』って毎晩泣かれることかな?」と答えたら、「いい悩み持ってるね

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          近頃、娘との旅行が楽しめない

          娘が10歳くらいまでは、どこに行っても楽しかった。 一年生までは出発3日も前になると、娘は小さなリュックに洋服を詰めて、嬉しそうにぴょんぴょんぴょんぴょん跳ねていた。同居の母が「あらあら、なんだか興奮してるわねぇ」と驚くくらいに。 そのぴょんぴょんが見たいがために、3日も休みがあればどこかに連れて行った。 GWやお盆でも、羽田ー那覇便は空席がなくても、成田発の那覇便だと特典航空券ですら空きがあったりしたのだ。 旅先では、娘はレンタカーの助手席にちょこんと座って、ただ私

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          教員採用試験、倍率過去最低におもう①

          10年ひと昔というなら、ふた昔前は教員はなりたくてもなれない職業だった。もっとも氷河期だったから、どの仕事でも就くのは大変だったけれど。 教育学部卒の友人は20代を非正規の臨時教員として捧げ、たしか8回目の教採で合格した。当時は別に珍しい話ではなかった気もする。受験の年齢制限が今よりずっと厳しかったから、無事に正規に採用されてよかったねとみんなでお祝いした。 大分県教委で不正採用が発覚したのは2008年だったか。 校長が自分の子どもを教師にしたくて、教育委員会のお偉いさ

          教員採用試験、倍率過去最低におもう①

          素敵だなと思った記事①

          幾つになっても挑戦していて、素敵なこと限りなしです。

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