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非一般的読解試論 第十回「もしも足跡を見つけたら」

こんにちは、デレラです。

第十回 非一般的読解試論をお送りします。

今回は、わたしの友人である同人作家ごひにゃんの新作『僕は世界を愛さない』についての感想文を書きます。

ネタバレが含まれますので、その点、ご承知おきください。

さて、ごひにゃんの新作『僕は世界を愛さない』は、艦これの同人小説です。

すごくソリッドで印象的なタイトル。

このタイトルは、本作の主人公である時雨のセリフ(「僕は世界を愛さないよ」―p.55)でもあります。

本作を読んでいるあいだ、この「タイトル=セリフ」が、ずっと、わたしの頭のなかをぐるぐると回っていました。

世界とは何だろうか、また、なぜそれを愛さないのだろうか。

そして、この物語を読み終えたとき、「タイトル=セリフ」に含まれている、時雨のある態度に、わたしはこころを動かされました。

わたしのこころが動かされた「ある態度」、それは「世界の捉え方」と言い換えてもよいかもしれません。

「世界を愛さない」という態度、愛さないという「世界の捉え方」です。

だから、わたしは、この感想文では、時雨の「世界の捉え方」について、考えてみようと思います。

ごひにゃんが描いた「世界の捉え方」について。


1.足跡、身体、生活、そして

まずは引用から始めましょう。ラストページから。

 ドアを開けると、一面に雪が積もっていた。踏むと綺麗に足跡がつく。すぐそばにある白樺の木へ向かうと、空からたくさんの流星群が降ってきた。
 綺麗だと思ってしばらくそれを眺めていた。光はどんどん強くなっていく。そのまま視界が真っ白になって、何も見えなくなった。ーp.58

静寂と美しさ、主人公の感情を、風景に重ねて描く、ごひにゃんのお家芸です。

わたしは、ここで「足跡」に着目したいと思います。

あなたの目の前に、一面の雪原があると想像してみてください。

そこには、小さな足跡がぽつぽつと残されています。

あなたは、その足跡から何を連想しますか。

足跡がある、ということは、誰かが歩いたということ。

足跡があるということは、一歩前にも足跡があるし、一歩先にも足跡があるということ。

雪面に足が降り、踏みしめ、形を残したということ。

つまり、「ある身体(足)」がそこを通ったということです。

どこからか「身体」がやってきて、足跡を残し、その先へ「身体」が行ってしまった。

すこし、抽象的すぎるでしょうか。

では、もっと具体的にしてみましょう。

わたしは、日銭を稼ぐために、オフィスワーカーをしています。

週五日、毎日仕事に出かけます。朝のラッシュアワーが苦手で、朝早く起き、ピークを外して出社、会社に着くとPCを起動し、タイムカードを切ります。

昼食は、ひと混みが苦手なので、デスクで食べます。

できるだけ効率的に仕事をこなし、いくつかのエクセルデータを保存し、タイムカードを切り、わたしは退社します。

朝はラッシュアワーを外せますが、帰りはそうは行きません。満員電車のなか、なんとか座席を確保し、わたしは帰宅します。

この一連の流れ、毎日のわたしの行動、わたしの生活。

この「生活」は、わたしの身体が残した「足跡」と言えるでしょう。

足跡をたどれば、そこには身体の「生活」があります。

これをもっと、もっと、引き伸ばしてみましょう。

生まれてから、今日まで、そしてこれからの生活。ずっと続く足跡。ひと続きの足跡。

この足跡の総体は、「運命」と言うことができるかもしれません。

足跡があれば身体がある。身体があれば生活があり、生活があれば運命がある。

足跡、身体、生活、そして運命。

わたしにはわたしの「足跡=運命」が、そして、あなたにはあなたの「足跡=運命」があるということ。


2.身体を引き受ける

では、艦娘である時雨は、どのような身体を持ち、どのような生活をしているのでしょうか。

引用しましょう。


深海棲艦と戦って、世界を守る。時には上官の無茶な命令を聞いて、命を賭けて戦う。普通ではない、特別な僕たちだからできること。ーp.48

時雨は、駆逐艦としての身体を持ち、鎮守府から出洋し、深海棲艦と戦い、街を守る生活をしています。

時雨だけではありません。すべての艦娘たちが、任務のなかで、いつ被弾し、轟沈するか分からない日々を送っています。


「僕は被弾するたびに沈むんじゃないかって不安になるし、出撃が怖くなることだってある。(引用者略)」ーp.51

艦娘の生活は、「普通の生活」ではなく、その生活を顧みれば怖くなるような生活なのです。

時雨の生活、いつ被弾してもおかしくない生活、轟沈と隣り合わせの生活。

その生活によって、時雨たち艦娘は「世界」を深海棲艦の攻撃から守っています。

しかし、世界は守られている、にもかかわらず、ときに世界は時雨に悪意を向けます。


 悪意は誰からでも向けられるし、僕たちがもし深海棲艦から皆を守る正義のヒーローだったとしても、それを怪物だって言う人もいる。
「あんたも新聞くらい読んだことあるでしょ?」
「うん、艦娘は兵器だって言う人もいるね。それが間違っているとも思わないし、人に向けて砲撃したらどうなるかくらい、最初の研修で習うよ」ーp.54

艦娘は、自分の生活を愛することが難しい、一方で、世界からは「危険な兵器だ」と危険視されている。

時雨は世界(自分の生活)を愛さないし、世界もまた(兵器である)時雨を愛さない。

このような運命を、どうしたら「愛する」ことができるでしょうか。いや、できません。

では、時雨は世界を愛さないなら、逆に、世界を「拒絶している」のでしょうか。

そうではないようです。引用しましょう。

時雨は、山城に「普通の子供が羨ましいと思う?」と聞かれて答えます。


「僕が時雨である以上、羨ましいとは思わないよ」ーp.15、45

時雨は、常に自分が傷つく可能性がある生活に身を置いている。

それは、時雨の身体が「艦娘」である以上、逃れられない運命です。

もし「深海棲艦と戦う運命=艦娘の身体」を拒絶するならば、「普通の生活が羨ましい」と素直に答えるはずです。

でも、時雨は首を横に振ります。

時雨にとって、「深海棲艦と戦う運命」を拒絶し、「普通の生活が羨ましい」と思うことは、艦娘の運命からの逃避なのです。

だから、拒絶もしない。これは、ある意味で矛盾した態度です。

愛さない、でも、拒絶もしない。

わたしは、この態度を「引き受け」と表現したいと思います。

時雨は、運命を愛さないし、運命を拒絶しない。

自分の身体が「時雨」である以上、その運命を引き受ける。

「愛する」でもなく、「拒絶する」のでもない、別の仕方。

自分の身体を、自分だけの運命として引き受ける。

運命の引き受け。

この在り方、世界の捉え方、運命との関わり方に、わたしはこころを動かされました。


3.足跡を見つけてくれるひとに

時雨は、自分の運命を引き受けます。

この機微を思うと、わたしは苦しくなる。なぜ、時雨はこんなに苦しい選択ができるのでしょうか。

というのも、この「運命の引き受け」は、孤独と隣り合わせだからです。

そもそも運命とは孤独なものでしょう。

ひとそれぞれに「身体」が違うのだから、同じ運命は存在しません。

それぞれが独自で唯一な、孤独の運命です。

もしも、自分の運命を引き受けずに、拒絶し、他人に依存してしまえば、孤独は回避できます。

また、自分の運命を愛してしまえば、孤独を忘れることができます。

拒絶と愛の方が、「引き受け」よりもずっと楽なのです。

では、時雨は、この孤独をどのように感じているのでしょうか。

時雨の気持ちが垣間見れる場面があります。

山城が鎮守府の職員の怪奇現象について話す場面です。短く要約します。

鎮守府の職員の住むアパートで、怪奇現象が起きる。
消して出たはずの寝室の電気が、家に帰ると点灯していた。
不気味に思った職員は、鍵を変えて監視カメラを設置。
数日後に、鍵が壊され、壁に赤いペンキでメッセージが残されていた。
実は、犯人は外から入り込んでいたのではなく、ずっと家の中に潜んでいたことが明らかになった。
(p.26-28)

とある猟奇的な事件。これに対して、時雨は次のように考え答えます。引用しましょう。


 山城の話が本当で、それに出てきた犯人が実在するのであれば、その動機は何か。
「きっと気づいて欲しかったんだと思う」
 ただ潜むだけなら、電気をつける必要が無い。わざわざつけていたのは、存在をアピールするためだと時雨は続ける。
「壁に書いた文字は、きっとさよならの挨拶さ。(引用者略)」ーp.28

あくまでも想像の話だと断ったうえで、時雨は犯人の「気づいてほしい」という気持ちがあったのだと指摘します。


「気づいてもらえるのは、やっぱり嬉しいと思うんだ」
「気づかされた相手の気持ちなんてどうでも良いのね」
「そうは言わないよ。もちろん、犯人を擁護するつもりもないしね」ーp.29

運命の孤独を引き受ける時雨だからこそ、この犯人の行動に「気づいてほしい(=孤独のさみしさ)」を読み込んだのかもしれません。

自分の運命を引き受ける時雨は、「孤独さ」を自覚しているようです。

そして、その孤独さから救われるためには、「気づいてもらわなければ」、あるいは「見つけてもらわなければならない」と。


 夏祭りの日に、山城は僕のことを見つけてくれた。
 普通の世界なんて、最初から存在していなかった。憧れたところで、手に入ることはない。
(引用者略)
 だから僕は、世界を愛そうと思わないし、愛せる世界を望まない。望まなくたって、僕が欲しいものはもう手に入れていると分かった。それに何故か、世界を愛さない僕じゃないと、きっと山城は見つけてくれないと思った。ーp.56

時雨は「見つけてほしい」と、そして「山城なら見つけてくれる」と信じている。

「孤独の寂しさ」に対して、時雨は「見つけられること」以上を望みません。


たしかに、運命の引き受けは、孤独です。

でも、山城がいるからこそ、時雨は自分の運命を引き受けることができるのかもしれません。

そして、山城は、時雨の足跡を見つけることでしょう。


「山城が僕を見つけてくれて、嬉しかったって話だよ。」ーp.29


4.あなたとは違う運命だけれど

ごひにゃん作品の醍醐味は、複雑な機微と、繊細な感情。その描写は、美しさと静寂を帯びています。

しかし、ときに、研ぎ澄まされた感覚が、刃のように世界を切ります。

なぜこんな世界を愛さなければならないのか、と。

世界を愛せるかどうか。その問いには二つの簡単な解があります。

「それでも世界を愛せ!」と「そんな世界は拒絶しろ!」の二つ。

しかし、ごひにゃんは、別の解を、細い糸を手繰りよせるかのように描いたのだと思います。

運命を引き受けるということ。そして、その運命の足跡を見つけるということ。

わたしはどうだろうか、と考えてしまいます。わたしの足跡を、誰かが見つけてくれるだろうか。

それは分かりません。ましてや、それを望むこともできません。

でも、わたしが誰かの足跡を見つけることはできるかもしれない。

わたしの身体は、あなたと違う身体なので、あなたの運命を完全に理解することはできません。

あなたの運命に、気軽に同情をすることは、だれにもできないのです。

しかし、あなたとは違う運命だけれど、もしもわたしが、あなたの足跡を見つけることができたら。

その足跡を見つけたことを伝えるために、文章を書きたい。

だから、わたしはこの感想文を書きました。

世界を愛さない、運命を引き受ける時雨を、あなたの足跡を見つけたと、知らせるために。


おわり


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