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エッセイ:「知らない秘密」について


秘密、秘めごと、内緒ごと。

機密、内密、隠しごと。

公開しないこと、見せないこと。

内に忍んで出さないこと。

秘密の味は蜜の味。

秘密には、魅力がいっぱいです。


ところで、そもそも秘密とは何でしょうか。

何でこんなにも魅力的なのでしょうか。


わたしは、秘密には二つあるように思います。

一つは、知っている秘密、そしてもう一つは、知らない秘密

とりいそぎ、この二つに分けて考えることにしましょう。


1.知っている秘密


知っている秘密とは何でしょうか。

わたしが知っていることを、誰にも言わないこと。

あるいは、あなただけが知っていることを、わたしに言わないこと。

みんなが知っていて、一部のひとは知らないこと。

誰かが知っていて、誰かが知らないこと。

知っているひとと、知らないひとを分ける境界線

あなたは知っている、わたしは知らない。

知れば、わたしもそちらに行ける。

知らなければ、わたしはこちらに留まる。

知っている秘密とは、ひとを分ける境界線なのです。

知っているひと
ーーーー秘密ーーーー
知らないひと

別の言い方をすると、知っている秘密は、内容が明確です。

教えれば、それは秘密ではなくなる。

秘密の内容が明確であるからこそ、教えることができるのです。

境界線を越えることができる、ということは、そこに境界線があることが分かっているから、とも言えるわけです。

そこに境界線がある、と教えることができる。

たとえば、わたしが、あなたに「わたしが住んでいる場所」を秘密にしていたとしましょう。

住んでいる場所(=住所)は、明確であり、言葉で説明したり、写真やグーグルマップを見せて説明したり、あるいは、わたしの家にお連れして見せて、教えることができます。

これが、わたしの住む場所です、と。

このように、内容が明確である秘密。

それが、知っている秘密です。


2.知らない秘密


一方で、知らない秘密とは何でしょうか。

知らない秘密とは、境界線がない秘密です。

どういうことか。

知っているひとと、知らないひとの境界線がない。

つまり、全員が知らないこと。

全員にとって隠されていること。

誰も知らないこと

ただ隠されている、ということだけが分かること。

そこには何かがある。

あることは分かる、だけれど、それが何かは分からない

誰も分からない。


それは丸いものだ、と誰かが言う。

すると、別のところから、いや、それは四角かったと言う。

丸く見えたひとたちが集まり徒党を組む。

四角く見えたひとたちが集まり徒党を組む。

それぞれが、自分たちが見えた形が正しいのだと主張する。

しかし、正しい形は誰にも分からないのです。


曖昧模糊。

一体、これはなんだ?

好奇心がくすぐられる。

わたしたちは、それが何か分からない、知らない秘密とは、そのような秘密です。


3.それを中心にして書くこと


わたしたちは、秘密について考えています。

一つは知っている秘密であり、もう一つは知らない秘密なのでした。

内容が明確である、境界線を引く秘密、知っている秘密。

そこにあることは分かるけれど、その内容を誰も知らない秘密。


わたしは、後者の秘密、誰も知らない秘密にとても惹かれます。

魅了されます。

そこに何かがあることは分かるけれど、それが何であるか分からない。

全く分からない。

眼には見えているかもしれない。

けれど、分からない。

何度も見ているかもしれない。

けれど、分からない。

そこに何かあるはずだと、じっと観察する。

それが何であるか表現しようとする。

それが何であるか分からないけれど、デッサンするように、文章を書いてみる。

あるいは、静物画のように、何かを描くことで、「その秘密」に間接的に近づく。

ここで、わたしは、ゴッホの静物画や、ラトゥールの静物画を思い出します。


テーブルに置かれた瓶と籠、そしてレモン。

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(ゴッホ,「レモンの籠と瓶」,1888年,レプリカ)


そして、籠と壁、そして薔薇。

画像2

(ラトゥール,「薔薇の籠」,1890年,画像はロックバンド New Order のアルバム『権力の美学』のジャケット)


何かを描くように、静物が描かれている。

レモンの輪郭、瓶のなかの液体、薔薇の影と、壁の色。

これらの静物は、何かの秘密を携えているように、わたしには見えます。

わたしの知らない秘密、そして、画家すらも知らない秘密を。

わたしは静物画を観るたびに、画家は、知らない秘密を筆でなぞるようにして、静物を描いているのではないか、と感じるのです。


あるいは、文学作品。

文学作品もまた、「知らない秘密」を中心において、それをデッサンするようにして書かれているのではないだろうか。

文学作品は様々なものによって構成されています。

たとえば、テーマがある、キャラクターがいる、セリフがある、出来事がある。

しかし、文学作品を構成するそれらは「知らない秘密」の周りにある間接的なものではないだろうか。

実はそこには「知らない秘密」が中心にあるのではないだろうか、ということ。

ここで、わたしは村上春樹の小説『アフターダーク』の冒頭を思い出します。

 私たちは「デニーズ」の店内にいる。
 面白みはないけれど必要十分な照明、無表情なインテリアと食器、経営工学のスペシャリスト達によって細部まで緻密に計算されたフロアプラン、小さな音で流れる無害なバックグラウンド・ミュージック、正確にマニュアルどおりの対応をするように訓練された店員たち。「ようこそデニーズにいらっしゃいました」。店はどこをとっても、交換可能な匿名的事物によって成立している。
(村上春樹,『アフターダーク』,講談社文庫,2006年,p.7)

このように、村上春樹は、「デニーズ」の店内にある「交換可能な匿名的事物」を、書き連ねていきます。

眼に見えるもの(証明、食器、インテイリア、店員)。

眼に見えないもの(バックグラウンド・ミュージック、店員のあいさつ)。

村上春樹は、デニーズの店内を静物画を描くようにして書き連ねることで、デニーズの店内それ自体ではなく、物語全体に隠された「秘密」に接近しているように感じられます。

もちろん、物語に隠された秘密は、主人公も、デニーズの店員も、デニーズの客たちも知りません。

誰も知らない、しかし、そこには誰も知らない秘密があります。



それは誰も知らない秘密。

わたしも、あなたも、誰もかれも知らない秘密。

世界の秘密。


わたしはそれを中心において、文章を書いてみたい。

いや、意識せずとも、それを中心において、文章を書いてしまっているのかもしれません。


あの画家は、どんな風にして、秘密を描くのか。

あの作家は、どんな風にして、物語の秘密を書くのか。

あなたは、どんな風にして、秘密を文章にして書くのか。

ひとそれぞれに、それぞれの仕方があります。

秘密をデッサンする仕方があります。

そして、わたしはそのデッサンの仕方に見惚れてしまう。

だからこそ、秘密に魅力を感じてしまう。

そんな風に思うのです。


あなたはどんな秘密に魅力を感じますか?



おわり

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