過去から続く治らない傷 1

何の縁か、姉弟の友人のお師匠が、私の中学の1年間美術を教えてくれていた先生だった。たまたま、ああ、まだ生傷のままだったのだと気付かされることがあったのでここで吐き出そうと思う。


学校ではなく、外の教室だった。
有名な先生で、大学などで教えたり、ご自身でも作品をだしている先生だった。1年間、一万円で素晴らしい先生がデッサンの仕方を教えてくれる内容だった。すごい先生がそんな破格の値段で教えてくれるってことですでに美術の道を目指した人たちが集まっていた。

私はその中、ただのミーハーだった。マンガやアニメが好きで、絵の道に行ってみたいそういう思いが捨てきれなかった。友人が絵が上手でデザインのセンスもモノの見方も、イメージを描き起こす力も全く違う、自分にセンス、才能ないんだと気づいて、絵の道はそう簡単に生きていけない、大変だと分かりつつ、あきらめきれていない時期だった。先生で堅実な母は当然気づく。やはり、そういう才能がある子はそういう子であると。大きくなった今、私もそれはわかる。

ただ、先生に「あの子、絵の道行きたいなんていってるんですよ。」と反抗期真っ盛りの三者面談でトイレに行ってる間、担任と談笑しているのは傷ついた。その後、母が新聞でその美術の先生のをみつけ、勧めてきた。諦めさせるのとやるなら本気で、その2つの意味があった。

先生ははっきり言うし、正直講評の時とか怖かった。でも、不機嫌だからどうこうではなく、ただ事実を淡々と先生にしかみえない改善点を言われた。不真面目な私は、なあなあでこなすようになった。

でも、別に先生が辛いわけではなかった。一番辛かったのは、その環境の中にいることだった。すでに他の教室にも通って、美術の道を目指してるそんな人の中にいることが。

その思いの強さに差はあれど、皆何かしら芸術が好きだった。こんな絵が好き、映画が、将来はこんな仕事が......。そういう話を振られるのが、聞いているのが、感じることが、何よりも辛かった。別に好きじゃないし、その道に行こうなんて本気で思ってない。ただただ、いないように息を潜め存在を消した。


長くなった。次にしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?