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自分整えには独自の無限ループを確証すること



頭の中で感情の文字起こしが急に始まったので
おもむろにPCを開いてコーヒーを嗜みながら
感情のままに打っている。

相変らず目まぐるしい日々が
風のように過ぎ去っていき、
気が付くとついつい「心」が置いてけぼりに。
特に今日は雨。
気圧が助長して胸の圧が増していく。

最近、感じたこと。
それは世の中にあふれかえっている言葉たちが
“時と場合によっては”裏目に出る「瞬間」が
あり、それを正か悪かで無意識に判断している人も
溢れかえっているんじゃないかということ。

自分を整える」「感情のコントロール
こころの声を聴く」というフレーズが今
フォーカスされているからこそね。

あくまでもこれは個人的な知覚と体感。
そうでしょ?って押し付けたいわけじゃなくて
「そう感じてる人」もいたりするかな?ってこと。
正と悪で答えが欲しいわけじゃないってことを
前置きにおいた上でどうか読み進めていってほしい。

まず、自分を大切にするって簡単じゃない。
人生において死ぬまでの課題
なんじゃないかとすら思ってる。

色んな過去や記憶・トラウマ・
その人が本来持つ価値観と感覚が複雑に
合わさっていて大切にできる範囲って
限界があるなと感じることが増えた。
そう、自分のラインをまず知るってことが
とってもとっても大切だと感じている。

自分を大切にするという1つのテーマでも
その時の・その瞬間の・メンタルの状態と
環境と人によりけり
だって思うんだ。

例えば私の【今】にフォーカスする。

今日の気分は天気の通り。
ざあざあ降りの雨模様。
気圧で頭が痛いし、ホルモン系の体調不良で
体はパンパン。おもだるいし、
なんなら一日中ベットで過ごしたい。
でもやらねばならぬことは山積み。

家の隅っこには急いで取り込んだ洗濯物の山。
なんとか体を起こしてやった
朝ごはんの食べた後は
シンクの中で水に浸かったまま。

こんな自己感情を
つらつらと打っている暇があれば、
決めているものをやり切る時間に有効活用しろよと
自分で自分に叱咤して自己嫌悪の繰り返し。
深呼吸すらも重くて空気が肺に入っていかない。
いわゆる、現実逃避モード全開。

そんな日、
あなたならどう自分を大切にする?


tiktokを開けば
「やるか・やらないかで人生は決まる」と
書かれた動画が次々と流れてくる。

Twitterを開けば
「ライバルは昨日の自分。」
「やらないといけないことをとにかくやってみる」と
いう言葉を目にする。

頭では十分理解している。
今やらなきゃいけないことに逃げたって
ツケが回ってくることも
せわしなさから解放されないどころか
増していくことも。

そういった向き合い方が
できるようになりたいし、
自分を自分で
アップデートしていきたいと思っている。
本気で追いかけているものだってあるんだもの。

だからそういった言葉を検索するし
検索するから勝手に優先的にそういう言葉が
回ってくるようになってる。そういう時代。

そんなタイムリーな自分と
なりたい自分との差が焦燥感を生み
「○○しなければ」精神が水たまりのように
次々とあちらこちらで溜まっていくんだろうな。

あちこちに溜まっていくもんだから
追い付かないんだよね。これがまた。
そしてその埋め方(対処法)が1つ2つだけだと
もう、にっちもさっちもいかない。

だって埋め方が悪いと、水漏れしてくるでしょ。
それに気づかずに適当に埋め続けると
お手上げ状態で動けなくなる。
もうどこからどう
修復していけばいいか分からなくなる。

まさにこれがあちこちで
起こってるんじゃないかなって思うんだ。
自分含めてね。
自戒を込めて今書き記している感じ。

そう。文字で起こしながら今まさに自分やん!
って突っ込んでる。(笑)

あちこち水漏れしてて、修復方法も
何個かしかなくて
でもそれじゃ追っつかないぐらい水漏れ中。

だけどなりたい自分(理想)は増えていくばかり。
あの人のようになりたいーー。
ああいう生活を送りたいーー。

そう思えば思うほど、水たまりは増えていく。

最近すごく心にのしかかっていて
ずっと頭の裏側にへばりついている言葉がある。
それはマツコ・デラックスさんのこの言葉。

幸福ってなんだって言われたら
他者を介在させずに喜びを得ること

人間は生まれてきたら他者と
関わらざるを得ない生物で
他者を救うによって救われる生き物だし
他者との関係性を切るなことなんて
絶対できないけど。

それはありがとう。
でも自分はこれ。

他人に絶対介入させないで
他人と絶対比較しないでっていうものを
持っていることが幸福な気がしています

マツコの知らない世界番組内の名言より

ちゃんみなさんとの対談での言葉だったかな?
この切り抜きが流れてきて、一目見た時から
ずっと脳内再生されている。

他者を介在させない喜びって何だろうな。
私の永遠のテーマかもしれない。

思い起こせば、
他者の介在なしで幸せを
感じたことないんじゃないかな。

今読んでいるあなたはどうですか?


他者を介在させない幸せが私にとっての
本当の幸せかどうかは分からないけど。
探求してみることで見えるまた新たな
世界が見えるんじゃないかと思えた言葉だった。

まあこれも、ある人からしたら
「○○せねばならねばモード」が
発動する人もいる。

それが人だもの。

だからこそここで自分の心のバロメーターを
見る練習、俯瞰する練習が必要になってくるよね。

水たまりが手が負えないほど増えないようにする、
増えたときの埋め方(対処法)を増やす。

他者を介在させず得れる幸福の1つはきっと、
自分の心の声を蔑ろにしない、否定しない。
嫌なものは嫌だ。それでいい。
それでいいんだよ、

自分で自分を認められるような言葉に
価値観に、好きなものに触れる、
起こしてみる、並べてみる。
知覚を無視しない。
そしていい意味で他者に依存しないこと。

その人はその人だと受け入れられる
距離感でいること。
その距離感を得るためには
余裕・余白を保つこと。



これの無限ループが答えなのかもしれない。

ここの部分、ちょっと可視化してみようかな。





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