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今こそ半隠遁という生き方を

今は昔、高校2年生の頃、修学旅行でロンドンとパリを訪れた後、時差ボケから体調不良に陥ってしまった。それから受験ノイローゼや摂食障害もありあっという間に不登校&引きこもりになってしまった。

当初は、大学受験のために1日12時間くらい勉強してたけれど精神的にも体力的にも、そんな日々は長く続くはずもなく気付けば朝から晩まで戦国無双をプレイし続けるゲーム廃人になっていた。

両親にも、ずっと反抗し続けたある日、父と言い争いになり殴り飛ばされた。その時、私の中で何かが音を立てて崩壊した。気付けば剃刀を持ち出し左手首に叩きつけていた。黄色い脂肪が傷口から垂れていた。

そこからは、精神科のお世話になる日々。自殺未遂を何回も繰り返しながら高校中退を経て通信制高校に入り直した。特に人生の目標を持たないままだったが、母に親戚中、大学を出ていない人間なんて一人もいないと泣きつかれて嫌々、大学に入学し就活もせずに駄文を書き連ねた卒論で大卒の資格も得たが、友だちもいなければ行く場所もない私は働けと両親に言われるままバイトした。でも、精神はずっと引きこもったままだった。

(つーか、自分で振り返っても当時の自らの主体性のなさにイラついてきた。そのうち記事にしようと思っているコペルニクス的転回が起こるまではずっとこんな感じだった。)

そんな中で、出会ったのが哲学者の中島義道さんの『人生を〈半分〉降りる』という一冊の本だった。趣旨としては厭世観を持ちつつ半隠遁しながら生きるという道もあるといった一種のライフハックを著者の生き方を通して紹介するものなのだが、私にとって非常に目から鱗だった。

本当は物理的にも社会的にも引きこもっている自分が嫌で、大学で友達を作ろうとしたりサークルに入ろうとしたりして無理矢理明るいキャラを演じようとしたけれど結局は、メッキが剥がれてしまい大失敗に終わった。

だが、偶然手に取った当該の書籍に、日本社会に順応するために周りの空気を読み自分を曲げることや、体面のために良い人間のふりをすることの空々しさや愚かしさが書き尽くされており言外の感情が一気に整理され溜飲が下がる思いだった。

結局は、私の能力不足で社会に適応できないわけではなくて同調圧力だらけの日本社会が私の波長や感性と合わないだけだったのだということを理解したことで、半隠遁者として生きていく覚悟を決めることができた。つまり、生きていく上での重圧やしがらみのようなものから解放され幾分か精神の自由を得たのだ。

未だにリアルの世界に友達なんて一人もいないし、社会ともなるべく距離をとって、ひっそりと都会を離れて夫と猫と暮らしている。(じゃあ、なんで結婚できたんだよ?というツッコミもあるだろうけれど、それも後で書く)

そのことに何の不便もないし、余分な人間関係を自分の暮らしに介在させないのって、ものすごく快適。読書したりツイッターに投稿したり資格試験の勉強をしたり音楽を聴いたり映画を観たり筋トレしたり自分のために時間を使うことで心に栄養がチャージできる気がする。夫も同類で良かった。

あの暗黒時代から15年以上経って、新型コロナウイルスのせいで国民の大多数が引きこもる時代が予想外に到来してしまったが、今こそ半隠遁を試してみてはいかがだろうか?じっくりと自分自身と向き合い自らが本当に望む生き方について考えて覚悟を決めれば漠然とした不安も消え、今やるべきことが見えてくるかもしれない。

長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。

#引きこもり #半隠遁 #家での過ごし方 #生き方 #発想の転換 #新型コロナウイルス #長文







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