見出し画像

ちいさな悪意、ちいさな意地悪の弊害【奇跡のコース】

奇跡のコース実践オンラインサロンを運営しています。アーサです^^

久しぶりに読んだ、作家よしもとばななさんの本に、「小さないじわる」について書いてありました。


小さないじわるって、例えば、話を聞いて欲しそうにしている人に気づいていながら目を合わせないようにしたり、声が聞こえなかったフリをするとか


誰かの嬉しかったこと、喜んでいる姿に対して
「でも、あの人はもっとすごかった」とか
どうでもいい一言をボソッと言ってしまうとか


そういう、たいしたことではないのだけど、ほんのちょっぴりと相手を傷つけたいという小さな意図が隠れているようなもの


こういうのを「小さないじわる」としているのだけど


この小さな棘というか、ささいな悪意みたいなものは、わたしたちの日常のいたる所に割と転がっているものだったりしない?


これらは犯罪でもないし、責任も伴わないから一種のストレス発散のように何気なくやってしまうようなものだけど


相手側だけでなく、自分にとっても著しく害するものでしかない。


って書いてありまして
これは、ほんとそうだな~~と思ったんです。


誰かを小さく傷つけたいという意図はストレス発散のようで、奇跡のコースの言葉を使うなら、ただ自分の罪悪感を強化して余計苦しむことになります。


ばななさんは、この小さな棘、ささいな悪意といったものを徹底的に取り除いていったら


なにがどう変わっていくか人生をかけて見てみたい。研究したいと書いてありました。


で、わたし、このばななさんの気持ちが
めーーーーーっちゃ、わかる!!!!と、思いまして
ものすごーく嬉しくなりました^^


で、わたしも日々やってみているわけですが
これがね、もう本当にむずかしいのです。笑


イヤだな、と心がモヤッとしたとき
すぐに自分と他人を「分けて」気に入らないものを排除したいという
衝動がわいてくるのですよね。


結局のところ
これが、わたしたちの問題だったり痛みや苦しみの元って感じで


誰かを咎めたり、裁いたり、ちいさな悪意を心のどこかに抱えたまま幸せになるのは不可能というか


そういう自分に心からOK!の許可が出せる人っていないと思う。


何かを切り分けて排除するってことは
自分の一部を殺しているのと同じだから


どうやったって、苦しいのよ。


これは本当に人生をかけてでも
やる価値があるものだと私は思っていて


どれだけ時間がかかってもいいから、やり続けようって思っているんです。


で、このプロセス自体が
人生における幸せなのではないかと思うようになりました。


その先に、世界の何がどう変わっているのかも
ものすごく興味があるから。


わたしは、自分の性格が悪い(悪意がある)ってことは小さな時から気がついていて


それが、とっても生きづらかったんですよね。


奇跡のコースに出会ったとき
この歳になって、やっと解決策がわかったことに
心の底からホッとしたことを思い出しました^^



7日間無料メールレッスンのご登録はコチラ▼

奇跡のコース実践オンラインサロン
奇跡のサロン・5月のスケジュールはこちら▼

奇跡のサロン・詳細はこちら▼


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?