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イッツ・ア・シャッチョサンワールド〔クオート【書籍の軌跡】4〕

一応、僕もnote活動している身。文章力の向上には多少なりとも興味はあるわけで、ちょくちょく文章術に関する本は読んでいるのです。

そんな中で、先日読んだ本に気になることが書いてありました。

 つぎのような場面に出くわしたことがあります。

 ホテルのエレベーターのドアを、しっかり押さえている男がいます。乗っている人は早く目的階に行きたいのに、足止めを食らわされています。
 しばらくすると、社長とおぼしき人物が悠然と現れます。そして、彼の男は、うやうやしく最敬礼して、エレベーターの出発を見送ります。
 公共の建物であるにもかかわらず、この男の目に、社長以外のものは何も入っていません。一般の人たちの迷惑など、頭の隅にもないのです。

『「超」書く技術』p53.54 (野口悠紀雄著 プレジデントムック)

この部分、引用元の箇所に書いてある通り、野口悠紀雄氏の『「超」書く技術』から引用しました。

この本、タイトル通りゴリゴリの文章術に関する本です。なのに、文章とは一見関係なさそうな(そして少々不愉快な)事例が紹介されていました。

「なんで?」と思うかもしれませんが、繋がりはあります。

書かれているのは「敬語」についての箇所です。

例えば「上司の判断を仰ぎます」という言い方。

自社の「上司」に尊敬語を用いて敬意を払っています。

しかし、これをそのまま社外の人間に用いるのは問題です。

その人も「上司」を仰がなくてはならないことになり、不快な気分にさせます。

会社の上下関係を会社の外に持ち出してはいけません。

…この流れで冒頭の事例を出しています。

筋は通っていますが、この事例、文章の技術や敬語の使い方とは直接関係ありません。

この部分がなくても、敬語の正しい使い方は十分理解できます。

それにもかかわらず、野口氏がわざわざ「会社の上下関係を会社の外に持ち出してはいけない」を挟んで、ロジックを繋げているあたり、

相当腹に据えかねているんだなあ

というのがみてとれます。

冒頭の文に続けて、

「社内の常識、世間の非常識」と言われますが、ここまでくると「社内の常識、社会の迷惑」です。企業が地球温暖化防止のために貢献してくれるのは結構なことですが、その前に、公共のエレベーターを止めるようなことはしないでほしいと、願わざるをえません。

「上司の判断を仰ぎます」や「上の者の意向で」も、全く同じメンタリティーが出てくるメッセージです。社内の上下関係がすべてなので、一般人をエレベーターの中で待たせるのと同じように、上司の決定を仰ぎ見るように押し付けてくるのです。 

 このような人が増えていることが、日本劣化の基本的な原因と思えてなりません。

同書p54

と、かなり強い言葉で非難しているのがいい証拠でしょう。

…わかります。

僕だったら、バリバリブログのネタにするでしょうね。

場合によっては、スマホで動画を撮られてSNSにアップロードされ、プチ炎上してしまうかもしれません。

取引先の方が、この光景を目にしていたらどうするんでしょう。

月並みと言っていいほどの「自分たちのことしか見えていない」事例といっていいでしょう。

ところで、別の記事ですが、とある牛丼屋で就活生二人が食事が終わったにもかかわらず、いつまでも居座り喋り続けていました(それを見ていた人事担当の方が「社会人以前だよ?」と、心の中で×をつけたそうです)。

何年か前、スーパーの店内で大学生集団がダンスゲームをしていて大炎上しました。

冒頭のエレベーターを止めた男性は社会人。仕事の能力では、さすがに学生よりは遥かに上でしょう。

しかし、「自分と自分の関係ある人しか見えていない」という点で、精神的に自己中な学生たちと大きな差はないと思います

「能力」と「精神性」って別物なんだなぁ、というのを改めて気づかされました。

文章を学ぶために、文章術の本を読んだつもりが、社会も学べるとは。

いろいろ勉強になる、いい本でした。

こういうことを見聞きしたら、反面教師にして絶対に同じことをしないようにしたいものです。月並みながら、それもまた一つの勉強。

(参考図書)

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