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78年つかう入れ物だから

自分に寿命は?と聞くと78歳と間髪いれずに答えたので、私は78歳で今世は終わりと思っている。
自分を疑うことは極力しないようにしているし、ハズレてもどうでもいいことだ。

78だったらあと35年。自分としても長くもなく短くもなく納得のいく年齢で、気に入っている。

私は認知症は受け入れられるが、苦しさは嫌だし、痛みはもっと嫌だ。
なので、食べ物と運動にはちょっと一家言もっている。


なんせ、この身体のほうが意識よりも大事なのだ。
意識なんてものは、まったく得体も知れないし、時期や環境によってイカヨウにもなる。幻みたいなもので自分のものか他人のものか、どこの誰もまだ証明できてはいない。

身体は神秘に包まれつつ実在する真実だ。
自然と同じく、「そのまま」で祝福されている。

私の心と意識を橋渡ししてくれる、縁の下の力持ちの身体に78歳まであと35年、できれば痛みなく動いてほしい。

血液が滞らないよう、関節に負荷がかからないよう、口に入れるものや休息や運動に興味がある。

心臓が膨らみ、縮む。1分に60回。
膨らんで縮むと、ぴったりと同じに戻るのだろうか。
もし、ちょっとのズレがあったらどうか。
戻るときに分子ひとつ分でも取りこぼしていたとしたら、1分で分子を60個、1時間で3600個の分子を取りこぼしていることになる。

身体は、そんな取りこぼしが無いように、自律神経が働いてきっちり戻ってくれている。
寝ている間に、魔法をかけてでもいるようにリセットしてくれる。


世界に誇れる国産自動車でも43年も動けば相当ガタがくるが、私の身体はまだまだ柔軟だ。
78年いけるのではと思っている。

と、ここまで書いて矛盾しているようだが、今は外食ウィークで、家ごはんを食べる気にならない毎日が続いている。
外食に見向きもしない時期もあるけれど、意識だか身体だかが求めるままに、その時の気分で店を選ぶ。
いまは、久しぶりにドトールコーヒーでモーニングセットを食べながら、このブログを書いた。

お仕事行ってきます。

ドトールの写真は無かった



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