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母を殺すとき

心のなかで母親を殺すと(私は父親も一緒に殺しました)とても楽になりました。

ユングのいう、『グレートマザー(母親)殺し』です。

私は19歳で実家を出ましたが、40歳前後で母親と本気で距離をおきはじめ、心の中で親を殺してしまうまで親離れが完了しませんでした。

30代で向き合わざるをえなくなった自分の生き辛さを、いったん、全て親のせいにする(問題の外在化をする)ことで、まずは、自分自身をやっと責めないようになりました。


良い人でいなければいけない、良い人でなければ受け入れてもらえないと無意識に周りに良く見せようとしたり
こんなに頑張っているのに当たり前だと思われて、やるせない気持ちになったり

大丈夫かと優しい言葉をとかかけてくれてもいいのに
気持ちを分かってくれていない
こっちの心配はしてくれないのね
好き勝手ばかり言って
負けるもんか
 

そのような気持ちは、実は全て『母親に対して要求すること』だと解釈できるようです。

母親に対しての、甘えや憤りや反発の再燃(再演)と捉えられるのではないでしょうか。

心の傷が周囲への疑念となり、自分の周りの配偶者などの対人関係、関わる人に対して、合わせ鏡のように『ダミー』として繰り返し感じてしまう。

甘えや反発、意固地になって拗ねていることを、母親を元凶だと悪者にすることで(お母さんが悪いからこうなったんだと思うことで)ようやく認めることができます。自分の傷を認めることが、癒しとなります。

私の母親は『子供に愛情がないと思われたくない』と思って行動するような人ではなく、子供を別個のものとして見れている人です。人生でたぶん『心理的に子供に頼る』ことは一切無いのではないかという、いわゆる毒親ではなく、はなから自立した大人です。

なので、私が一方的に母親に『包まれていた』のだと言えます。包まれている場所から出れていなかったので、甘えや拗ねがあり、反発していたのです。

母親殺しは、包まれていたい(支配を受け入れている)自分を殺すことではないでしょうか。

私は母親と父親を心の中でメッタ刺しにして、粉々にしました。すると、やがて自分のことは全て自分の責任であるという感覚がうわべだけでなく浸透しました。
あれも、これも、自分の選択している自分の人生なのだと受け入れるスタートラインに立てました。

些細なことでも誰かを責めなくなりました。
自分は自分だと、周りと分けて見れるようになりました。

自分の子供になら殺されてもいいと思います。子供が私に刃物を突きつけたら受け入れると思います。子供が私を殺したあとに罪悪感にさいなまれても、あなたなら絶対に大丈夫と信じることができます。
私の母親もきっとそうだろう、とメッタ刺しにした親の愛も信じられる自分がいます。

戦国時代や、アイヌ文化でも『親殺し』という概念があると聞いたことがあります。
『守破離』の概念も同じではないかと思います。
守り、破って、やっと離れられるようです。

母親の存在は大きすぎて、目の前に巨大化して立ちはだかっている為に、なかなか認識できません。ダミーの問題ばかりに目がいって、同じことを繰り返し体験します。
分かってほしい、認めてほしいと。

親との心理的な繋がり(依存)が、周りの対人関係においても自分の価値観を押し付けてしまうような「甘え」が生じる原因だったのかもなあ、と感じました。

元夫にも、周囲のひとにも、制度や社会や政府にも、価値観を押し付けるような甘えがありました。

まだまだスタートラインなので、認めてほしいという感情が顔を出すたび、向き合うのに根気がいります。

大阪市の福祉事業所NPO法人ディアー1で、お給料を貰いながら人の役に立てる、これからの仕事を一緒にしましょう。
http://www.dear1.net  




 

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