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いいモノってなんだろう?


「ディスプレイで8万円はキツイ・・・もう少し安いのでおすすめありませんか?」

ディスプレイを買い替える相談を受けていて、私は悩むことなくLGのUltraFineDisplayをすすめました。
その値段がだいたい8万円。


モノが高いのか安いのかはその人の価値観が決める

このディスプレイは32インチIPS液晶の4K解像度、HDRを搭載してDCI-P3の色域を95%カバーしている高品質なモデルです。

私は自信満々でした。
(その方が現状使っているディスプレイを考えれば)買って絶対後悔しないし、自らクリエイターを名乗るならそこそこ良いディスプレイを1枚は持っていた方が良いと考えたからです。

またディスプレイの世界にはEIZOという優れたブランドがありますが、LGの液晶の品質も負けてはいません。

そのLGのハイクラス製品は彼や私のような仕事であれば十分な品質を保証してくれるものです。

なぜこのディスプレイが素晴らしいのかを力説し購入をすすめましたが彼には届かず、冒頭のアンサーが返ってきました。

彼が支払いを想定していたラインは4万円台~5万円程度だそうです。

そのディスプレイは8万円ちょっとします。

その場にいた別の方二名(二人ともクリエイター)もディスプレイにはせいぜい2万円くらいで十分、という感じで私は意外に感じました。

でも考えてみたら当たり前なことなのかもしれません。

私の根底には「いいディスプレイを持っていれば生産性や作ったモノの品質が向上する」という意識と「良いモノは無理をしてでも手に入れるべき」という価値観があるのです。

ですがその「良いモノ」が落とし穴だったのかもしれません。

良いモノって何ですか?

品質、性能、機能が優れていたら「良いモノ」なのでしょうか?

たしかにそれらは「良いモノ」を構成するパーツではありますが、それだけで良いモノにはならないと感じたのです。


「良いか悪いかなんかその人によるんじゃない?」

たぶんなんですが良いモノを決める基準は、その人の優先順位や生き方を含めて価値観に左右されるのではないでしょうか。

良いモノだから良いのではなく、良いと信じるひとりひとりの心が手にしたモノや体験したコトを「良い」にするのではないのかな。

「8万円だから価値がある」のではないし、「品質やスペックや機能に価値がある」というのも実のところ不十分で、「私の物差しに合致したから価値がある」のです。

価値観や価値基準が違えば当然それに支払える金額も増減するわけです。

たぶん何にでもいえることなんでしょう。
服とか時計とか美容とか車とかお金が発生する全てのモノやコトに。


他者の価値観は否定してはならないけれど

私が良いモノだと信じ他人にすすめるほどにまで良いと感じたように、私の手がけた作品が受け取ってくれた方々にとっての「良いモノ」になれるよう頑張っていきます。

当たり前のことなのかもしれませんが、個人的には気づきと自分の抱負が得られて良い経験ができたと思います。

ちなみにその方はワンランク下のものを購入するそうです。

これで終わったらイイハナシだなーでしめられるんですけどねー。


「自分で調べたりする時間が面倒臭いと相談相手である私の前で言っちゃったり、そこから自分でも調べるって方向には一切向かわないでそこそこの金額を支払う決断とそれに伴うストレスを相談相手にゆだねるのはお行儀が悪すぎない?」

とは思いました。


(それにしても自分が好きなモノやガジェットトークになると早口でまくし立てるのはどうにか矯正できないものかしら・・・)

そのうち私が買ったディスプレイのレビューでも書こうかしら…

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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