VTuber四天王が第一線から姿を消した理由

キズナアイ。
輝夜月。
ミライアカリ。
電脳少女シロ。
そして『バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん』ことねこます。

 彼らの名前をどこかで聞いたか、昔から知っている人々は少なくないだろう。バーチャルYouTuber界隈の黎明期に登場し、各々の配信活動をもってその存在価値を広めた『四天王』である。彼らがそういう括りを自覚していたかはさておき、かつてはVTuberの代名詞として扱われていた。
 実在の人物であることが前提となっており、キャラクター物は入り込む余地すらないとさえ思われたYouTuberの世界。その荒野に踏み入り、新たなフィールドを開拓したのは彼らの存在だった。CGアバターを介してゲームを実況し、お題やコントチックな脚本を演じ、時には視聴者の声にも応じる。その様は最初こそ奇異に受け取られたが、今ではごく当たり前のコンテンツとして受け止められるほど一般化している。何の指針もない中で、手探りながら実績を積み重ねた末に辿り着いた境地である。
 しかしながら、現在彼らの姿をYouTubeの第一線で見ることは難しくなっている。勿論活動をやめたわけではないが、VTuberという界隈で見れば以前ほどの影響力は持っていない。一体何が、象徴同然に扱われていた彼らの存在感を薄めていったのだろうか。

1.『存在自体が面白い』からの価値観の変化

 第一の要因として挙げられるのは、VTuberに対して求められるコンテンツの変化だ。企業所属も個人活動も多数ひしめく現在の環境では、リスナーが要求する『面白さ』の内容も大きく変わってきた。これが黎明期のVTuberにとっては無視できないほどの弱点となっている。

 VTuberが現れた当初のYouTubeは、良くも悪くも生身でない配信者に対する興味が薄かった。当時はドッキリや科学実験もどきの企画で話題を集めるYouTuberが主流であり、現実に出てこれないアバターでは手を出せない内容も多かった。
「単なるしゃべくりや声芸でどこまで人を集められるのか」
という一種の偏見も込みで、VTuberにはあくまで好機の視線が向けられていたのである。
 これがむしろメリットとなったのは言うまでもない。キズナアイがひょうきんに喋り、シロが唐突に物騒な側面を見せ、輝夜月が奇声を上げ、ミライアカリがシリアスとコミカルの狭間を往復する。その行動や言動そのものが視聴者の笑いを誘い、方々での話題を作る。視聴者にとって『VTuberであること』自体が面白さを生む環境は、まっさらな状態から始まったVTuber界隈にとって最大の追い風となったのである。
 また、ねこますのような『吹き替えも声の変調もなしに少女のアバターを被ったおじさん』という前代未聞の存在が界隈に受け入れられたことも、界隈の発展に大きく寄与することとなった。キャラクターを演じるのではなく、今いる人物の人格にCGのキャラクターが付加される。性別も容姿も種族も関係なく、なりたい姿を得て自分のまま活動する。この『作り物ではない中身』という要素が視聴者に受け入れられ、初めてVTuberはCGアバターの人形劇から脱却を果たした。外見はれっきとした創作物でありながら高い実在感を持ち、現実のYouTuberとも互角に張り合えるパフォーマー。その立ち位置がここにきて確立できたのである。

 『四天王』の精力的な活動によって、VTuberは独自の地位を築いた。しかしそれは同時に、
「VTuberであること自体が己のブランドを保証するわけではない」
という宿命を生むことにも繋がった。
 もし、VTuberの活動がただの演劇やアバターを使ったバラエティーであったなら、その筋書きが自分達に都合よく動くもので、かつ内容が優れていれば良い。先駆者の間で主役の座を独占し続けていれば、競合の付け入る隙はそうそう生じることもないだろう。
 だが、VTuberは自らの活動によって、演者自身の人格を周囲が尊重するものとして定義されることとなった。それはすなわち、VTuberの面白さが脚本や企画の枠組みではなく、演者自身から湧き出すものになったということである。
 ストーリーや企画内容の面白さよりも、演者がどれほど面白い言動を見せるか、どれほど人格に深みのある人物かで評価される。そうした環境では、必ずしも最高レベルでない『四天王』が不利な状況となってしまう。自分よりも面白い企画を作れるVTuberや、自分にできない活動ができるVTuberが現れれば、間違いなく自分の庭から視聴者を奪っていく。そして先駆者であることが『古臭いもの』『老害』と見なされるようになった瞬間、黎明期を走ってきた『四天王』達はコンテンツとして終わってしまうのだ。
 実際、一芸をアピールする配信者やグループで長所を重ね合う配信者が増えた現在の界隈で、VTuberであること自体を売りにしようとする路線は、最低ラインの人気獲得さえ難しくなっている。現行の環境は、VTuberの先進性を追い風にしてきた彼らにとって活動の難しいものとなっており、また状況を覆すことも難しいほどに『VTuber自身を見る』という価値観が浸透していると言える。

2.運営体制におけるさまざまな問題

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