遊びは学び、学びは遊び

 公園でサッカーや野球をする。砂場で山を積み上げてトンネルを掘る。学校の遊具に乗ったり、鉄棒に掴まって逆上がりを猛特訓する。こうした子供の頃の遊びを覚えている人達はどれだけいるだろうか。若い世代の中には、屋外でもゲームに明け暮れた経験の方が印象強く残っている人もそれなりにいるかもしれない。ゲームボーイ片手に集まって、通信機能でポケモンを交換し合ったりとか。

 なんにせよ、僕達の周りには遊び場と称するような自由な領域があって、友達と遊んだりケンカしたりして時間を過ごしていた。学校の勉強に比べれば何の為にもならないようなことをしていたはずなのに、案外記憶に残っていることは多い。ひょっとすると、あの場所で興じていたスポーツや実験やゲームの内容が、今や日々の仕事になっているという人もいるかもしれない。

 昨今騒がれるようになった「子供の体力の低下」だけど、もっぱら支持される説はテレビゲームのやり過ぎだという。家庭用ゲーム機も携帯端末も性能が上がって、長時間遊ぶようなコンテンツが多く出回っていることは確かだ。モバイルやパソコン向きのソーシャルゲームに至っては、何度もクエストやレイドバトルを回って素材を集めるイベントを連日のように開催している。そんなだから、プレイの頻度や時間の消費はのめり込んでいる人ほどすさまじいことになっている。

 ただ、今の子供達が熱中する大人達ほどに没頭できる時間を与えられているとは思えない。ゆとり教育の反動から学ぶ内容が増えてカリキュラムの密度は高まっているし、習い事やスポーツ少年団、塾通いといった放課後の「仕事」を抱える子も少なくない。僕達が子供だった頃よりも余裕のない、スケジュールで埋まった生活を送っていることは明らかだ。どちらかと言えば、こうした自由時間の少ない環境こそが体力の低下を招いているのではないかとさえ思ってしまう。

 より深刻なのは、生活圏内からの遊び場の消滅が進み、彼らの運動不足にいっそう追い打ちをかけていることだ。老朽化や騒音への苦情から遊具が撤去され、公園に球技禁止の看板が取り付けられるといった話が、噂半分ながらも頻繁に流れてくるようになった。小学校のグラウンドも、警備や安全の観点から放課後に閉鎖されてしまうところは多い。現代の子供達は、たとえ自由時間が確保できて、遊び友達の予定も詰まっていないとしても、肝心の遊びに出る先が存在しない。これは由々しき問題だ。

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