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『つまらない配信者』になる3つの要因

 動画共有サービスやSNSの登場によって、メディアはウェブ発信の時代に入った。現在ではTwitter・Instagram・Facebook・YouTubeなど、インターネット上にある複数のサービスが発信したい人々の活動拠点となっている。
 この次世代のメディアは、これまでのように限られた人間が特定の組織から発するものと異なり、柔軟かつ直接の収益性をもった存在である。ニュースキャスターやレポーターでなくてもニュースを発信でき、ひとたび根強いファンを獲得すれば生業とするに十分なだけの収入が得られる仕事。活躍次第で企業からの宣伝依頼が舞い込み、単独でライブに立つことさえ夢ではない。世のパフォーマーたちにとって、これほどまでに魅力的で、手を出したくなる環境は今まで無かったのではないだろうか。

 ほんの十年ほどの間に、YouTuberやInstagrammerと称するメディアパフォーマー達はその数を増やしてきた。そして、今ではテレビの出演者よりも名の通る大物まで現れ、老若男女が日夜賑やかしく自作のコンテンツを野に放っている。
 ざっと界隈を見渡せば、そこにはバラ色の光景が広がっているかのように感じられる。しかし、よく目を凝らしてみればそうでないことは明白だとわかるだろう。多くの人気を集めるのはほんの一部の配信者だけであり、それ以外は見向きもされない。夢見がちに飛び込んだ者の多くは、界隈の片隅で細々と活動するか、あるいは挫折し現役を退いてしまっている。

 なぜ同様の活動をしているのに、これほどの差がついてしまうのか。一般に、上手くいかない配信者は「配信の内容がつまらない」という点を指摘されることが多い。しかしながら、『つまらない』というのは漠然とした評価でしかなく、具体的に何が要因となっているか語られることは少ない。
 そこで、今回は『つまらない配信者』と評される人達がやりがちな行動や選びがちな内容について、例を挙げて説明していこう。あくまで特定個人に対してではなく、一般的な要素としての解説をしていくため、不十分な箇所も少なからずあると思う。参考程度に捉えていただければ幸いである。

つまらない要因①:オンリーワンにこだわり過ぎる

 「他者との差別化を図るためには、他人が真似できないような持ち味、独自性を発揮するべきだ」という考えは、ある種常識のように語られている。
 他者との差別化ということ自体は間違っていない。が、真似できないものだからといって、それが面白いものとは限らないのもまた事実である。

 たとえば自分以外がやったことのない、まったく新しい遊びを考えたとしよう。
 この遊びの様子とそのやり方を動画にまとめてアップロードしたとして、視聴者には内容の面白さがすぐ伝わるだろうか。どんな遊びにも共通するような楽しさはわかってもらえるかもしれない。しかし、その遊び自体が持つ魅力や醍醐味といったものまで理解し、共感するというのは難しい。
 これをメディアの場でやってしまうのが『つまらない配信者』である。彼らは、自分の言葉で面白い要素、楽しい要素を強引に定義しようとする。そして、オリジナルな表現を広めたりコンテンツ内での使用を強制しようとする。
 それは配信者にとって価値のあるものかもしれないが、多くの視聴者にとってはどうでもいいものである。むしろ、一般的な用語や表現を用いてくれた方が良いとさえ思っている。そのため、オリジナリティーにこだわる配信者の姿は時として疎ましいものように映るのである。

 オンリーワンであることは確かに大きな価値を持つ。だがそれを理解してもらうには、送り手側と受け手側の双方に、共通した価値観や知識が必要となる。
 独自性とは、数多の共通性の上に成り立つ価値観である。同じ土壌にあるからこそ理解ができ、かつ違いも理解できるのだ。この点の留意を省いたままコンテンツを展開してしまうと、独特ではあっても面白みの理解できないものとして受け取られてしまう。その結果、配信者自身が面白いと思っていることを提供していても、不人気であったり反感を買ってしまったりするのである。

つまらない要因②:流行に溺れている

 インターネットメディアに限らず、配信者が流行り物について取りあげたり参加したりすることは多い。直接参加者になる場合もあれば、やや距離を取って考察や物申しに徹する場合もあるが、こうした旬のものについての扱いも、一度誤ると『つまらない配信者』としての印象が強まってしまう。

 特に気をつけるべきは、サンドボックス環境のコンテンツにおける配信内容だ。ここでは有名なサンドボックスゲームのタイトル、Minecraftを例にして考えてみよう。
 Minecraftを何の考えもなく実況配信した場合、まずは何もない原野に放り出され、木を素手で解体する場面から始まることになる。素材を集め、最初のツールを作成し、簡易的な小屋を建てて一夜を過ごす。これはMinecraftにおける実質的なチュートリアルであり、大抵のプレイヤーが経験することである。
 一人のプレイヤーがただ遊ぶだけなら、最初の内容が似通ることに問題はない。しかし、配信者が全員このプレイ内容だったとしたなら状況は変わってくる。
 どの配信者の動画を見ても、最初はほとんど同じことしかやっていない。いつかは別々の内容に入るだろうが、それがいつになるかは見当もつかないことだ。となれば、視聴者はこう考えるはずだ。

「一番早くゲームを進める配信者だけを追っていればいい。残りはその後追い、二番煎じでしかないのだから」

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