悲しいという感情

 虐待加害者だった母が亡くなり、もうすぐで半年になる。
未だに自分の中で存在がありありとしていて、本当にこの世から消えたのか実感がない。
夢にも相変わらずあのままの性格で出てくるものだから、実家と今の自宅との区別がつかないこともある。
ゾワゾワしながら朝に目覚め、ふとした瞬間に実家での動線が身体に現れ、落ち着かないことこの上ない。

今をもってしても、母が亡くなったことに悲しみが沸いてこない。我慢しているわけでもない。
恐らくだけど、仮に葬儀場にいてたとしても泣くことはなかったかも知れない。
そんな私を責める親族の怖い顔も、想像ながらリアルに浮かんでくる。その親族と私の間にはなんの関わりがないとしてもだ。
母が遺した言動の中には、私への労りも思い遣りもなく、ただただ母自身が憐れみを向けてほしいが為に私や亡き父、祖父母を悪く言い続けてきた結果である。

虐待が細々と終わらず残っているような気配がある。どちらかが先に逝ったとしてもだ。
後日カウンセリングを受けに行く。
私の人生を修整するために、終わりのまだ見えない時間である。
でも、もう我慢を捨てる。
軽やかに生きたい。
身体や心に染み付いた虐待の傷、変形もしてしまい元に戻らない傷も全部、消せるものなら消してしまいたい。
絶対幸せになって、消してしまおう。

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