自由は制限があるところに生まれる
留学中にまだ眠りたくないな~って思った時、よく1階の大きいソファスペースで真夜中までシェアメイトとおしゃべりしてたんです。
それを見ていたほかのシェアメイトから”midnight club”って名づけられてたんですけど、今夜はそんなmidnight clubで出た小話をお一つ。
外から見て自由な国でも、その国にはその国のルールがある
「海外の人はさ~自由でいいよね~日本はルールがありすぎて窮屈だよ」
「それは外から見て自由なだけだよ。どんな国にもその国のルールがある」
「たとえば?ほら、イタリア人ってめっちゃ自由じゃん」
「イタリア人は自由だけど、彼らの国においてのルールは必ずある。どんな国でもその国の人が守っているルールはあるんだ。外から見たら自由かもしれないけどね。」
彼はオーストラリア人だけど、そう言った。
私のイタリア人の留学を通して出会った友人は10人弱。対して彼は多国籍なオーストラリアで生まれ、何個目かのシェアハウスのオーナーをやっている。当たり前だけど、私よりたくさんの他国の人と関わってきているんだろう。
☝midnight clubのメンバーです。
そのあとの会話は忘れちゃったけど、でも彼が言ってた外から見たら自由かもしれないけど中にいる人からしたらちゃんとルールがあるという言葉には賛成できた。
自由とは責任
自由の対価は責任であり、責任なき自由はただの無法です
DJあおいの相談ブログで、コロナのこの時期に趣味で遠出した彼氏を「自由な人」と表現する彼女に対して使った「責任なき自由はただの無法者」という言葉。ズシッときた。
自由と無法をはきちがえてはいけない。
私の高校は校則がなかった。生徒の自主性を重んじる方針は生徒に自由の責任を考えさせるとてもいい高校だった。自由の対価は責任。なにをやってもいいというわけではない。信頼されてるからこその自由が与えられている。生徒が持っていた自由とは、先生から与えられた大きな枠組みの中での自由だった。
クリエイティビティと自由
広告研究会にいた頃、グラフィックを作る友達が「なんとなくかっこいいのをお願いします。と依頼されるのが一番困る」と嘆いていた。青、白、ピンクの三色を使って幾何学図形をポスターをお願いします。とかなり制限があるほうがよっぽどやりやすいらしい。
私が学科の展覧会で絵本を作った時も絵本の中でどうストーリーを展開させるかは自由だったが、絵本にすると決める前まではアイデアの収集がつかなかった。絵本は宇宙船のようなものだ。もしそれがなかったら、登場人物、背景映像、ストーリー全てがとどまる場所をなくして宇宙空間に飛び出してしまう。
(写真提供:pixabay/Comfreak)
命綱がある宇宙飛行士は宇宙を自由に飛行できるけど、命綱が切れた宇宙飛行士はもはや自由に宇宙飛行はできないだろう。
自由とはとても難しい。
自由に生きることはもっと難しい。
自分の人生に自由を求めるならば、
どのように、どこに、どのくらい制限をかけて自由に生きるかが重要だ。
命綱をうっかり切らないためにも、自由についてはこれからも考えていきたい。
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