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社会福祉という学問に救われた

通信制の高校を卒業して、まる5年ぶりに毎日通う"学校"は、思ったより大変ではなく、かといって、すぐに一緒に過ごせる友達が出来るわけではなかった。そして、語学の授業に脅えて過ごしていた。
語学の授業をやり過ごし、社会福祉の専門科目をはじめて受講した日のことを私はよく覚えている。

「全ての人間が脆弱性を抱えている」

これは、社会には様々なリスクがあり、人間どんなに上手くいっているように思っていても、そのリスクに陥る可能性は、誰にでもあるよね、という話であった。
また、個人の生きづらさと社会の繋がり、社会福祉を通じた社会変革の話など。

ああ、、この為に大学に入学したのだな、と思った。涙が出た。とにかくその時の私に刺さる授業だった。
私も生きづらかったし、(学校に行っていなかったし、親に傷つけられることが多かった)私の友達は自分が居た環境の影響で、色んな境遇で育ってきた人が居た。そんな人達は、私含めその生きづらさの責任を自己責任で終わらせられることなく、考えてくれる学問があって、そんな人々がいるんだ、ということ。色んな境遇で生きている人が居ること、そんな人たちを私は、その人のせいに全くせずに考えていけること。

そして、社会福祉に夢中になった。
社会的包摂をはじめ、色々なリスクや分野ごとの生きづらさ、その連鎖や重複、色々なことをきちんと勉強して、調べた。秋学期は理論的な話はよく眠っていたが、そもそもの社会の仕組みや事例検討、実際に支援に携わる方々のお話を聞き、社会的企業の実践の話を聞いて、どれも凄いな、素敵だなと思った。社会福祉の専門科目が詰まった月曜日は1-5限で大学にいたが、講義が楽しくて何も苦痛ではなく、楽しみな日だった。課題は大体興味関心のあるものばかりで、面倒くさいなと思いつつもやり始めると熱心になっていた。

私は特に社会的包摂という概念に夢中になり、誰もが包摂され、受け入れられる社会がいい、という思いが強くなった。今も本当にそんな社会になればいいと思っている。
そこで、誰にも、社会福祉にも包摂されないホームレスの人々の存在が気になり、積極的に話しかけたり、ビッグイシューの方とお話をしたり、炊き出しに参加したりした。
耳が聞こえない人、本当にずっと同じ場所にいる人、ぶつぶつ独り言を言う人、炊き出しに来る人は、人懐っこくて話しかけてくれる人が多かった。また来月も来てよ!!と言ってくれる人が居た。数珠を沢山つけている人、若い女の方、複数人で仲が良さそうな人たち、ダンボールハウスに住む人、ずっと下を向いている人、本当に色んな人が居た。ビッグイシューの販売員の方は、本当に心温まる接客をしてくれて心が癒された。耳の聞こえないおばあちゃんは、上手く話せなかったけれど、優しい透き通った目と、微笑みが印象的であった。
私はコミュニケーションが上手ではないから、特にこれといった会話は出来ていないし、エピソードも無いけれど、この出会いを通じて、ああ、、幸せになって欲しいと思った。こんなに心暖かくて、優しい方たち。寒い冬は暖かい場所で過ごして欲しい。
そしてホームレスについては少し深く勉強した。ホームレスの中にもネットワークがあり、そこからもこぼれ落ちてしまう人がいること、ホームレスの人々はなんらか障害を持つ方の割合が多く、ホームレスは福祉サービスからこぼれ落ちてしまった人たちとも言えること。みんながみんな今の状態から抜け出したい訳でもないこと等である。

知的障がいのグループホームでアルバイトさせて頂いたとき、一緒に歌を歌うとニコニコ笑ってくれたり、ドリフを一緒にみていたら、あっち行け!のような仕草をするけど、笑いが起こるポイントで必ずこっちを向いてきたり、絶対にバレているのに持ち出してはいけないものを持ち出そうとしている方を必死に引き止めて笑いそうになったり、一緒にご飯をたべたり、フルーツを用意したら嬉しそうに食べてくれたり、たくさん自分の話をしてくれたり、初対面で、茶髪おそろいですねー!と言ってくれたり、カフェでワンピース似合ってますねと言ってくださったり。

現場にいくと、支援をしているようで私が包摂されていた。ぬくもりを感じていた。
社会福祉を通じて私が暖かさを感じていた。

そう感じさせてくれた方々には本当に感謝しているし、社会福祉という学問の魅力を示してくださった教授や、書籍にも感謝したい。

私は社会福祉に出会って、自分の生きづらさは自分のせいだけじゃないと思えたし、他人にももっともっと寛容になれて、救われたな、と思います。
何か苦しくて、しんどい、生きづらさの要因はなんなんだ、と思う方々に是非勉強してもらいたいです。

本当に、生きてくれているだけでもありがとう。


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