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ものがたり屋 弐 トンネル 3/3

 うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。

 気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

トンネル 完結編
 友加里の金切り声が車中に響いた。
 まさかと思いながら麻美はフロントガラス越しに前を見た。
「友加里、なにも見えないわ」
 麻美は友加里の腕を掴むと、振り向かせて言い聞かせるように話した。
「雅之よ。わたし見たんだから」
 麻美の腕をふりほどくようにして友加里が声を上げる。
 けれどただ暗い闇が流れてくるだけだった。
 その刹那、ドンという音ともに車が大きく揺れ、車は急停止してしまった。エンジンも止まる。
「動かないで、そのままじっとしているんだ」
 結人は強い口調でふたりに言った。
「どうしたの」
 麻美は前に身を乗り出すようにして結人に訊いた。
「油断したよ……。気を抜いてしまった。トンネルの中では決してゆるめてはいけなかったのに、何ごともなく一度通り抜けられたから、てっきり大禍時の計算を間違えたのかもしれないと……」
 まるで自分を責めるように結人はつぶやいた。
「どうすればいいの?」
 麻美は掠れたような声で尋ねた。
「とにかく、じっとしているんだ。いいね」
 結人は麻美と友加里のふたりの顔を見て話した。
「でも──、さっき雅之の顔が見えたのよ」
 友加里がすぐに口を開いた。顔がすこし白っぽく強ばっていた。
「いや、そんなはずはない」
「だってわたし見たもの。あれは雅之だった。苦しそうに助けを求めていたわ。どうしてそんなこというの!」
 友加里はまるで人が変わったように気色ばんだ。
「友加里ちゃん、落ち着くんだ。もしほんとうに雅之がいたら、ぼくも麻美も見ているはずだろ? でもふたりには見えなかった」
「違うわ、見る気がなかったのよ」
 友加里の声に怒気が混ざってきた。
「友加里、しっかりして。いまここで言い争ってる場合じゃないのよ」
 麻美は友加里を両手で掴むとしっかりとその顔を見た。
「麻美……」
 納得がいかないような表情のまま、しかし友加里は頷いた。
「ねぇ、聞こえないか」
 結人は振り返るとふたりの顔を見た。
「なに?」
 麻美はそう問いかけたとき、その耳に確かに聞こえてきた。
「え? どうして?」
 雨が降ってきた──。
 トンネルの中に雨音が静かに響き渡る。やがてその音が大きくなっていく。本降りの雨音だ。
 しかし、フロントガラスには雨粒はただの一滴も落ちてきていない。
 あたりまえだ。トンネルの中なのだ。雨が降るはずなどない。
 けれど、しかし雨音だけが響いてくる。
「結人、雨が……」
 麻美が口を開いたその瞬間、再びドンというショックが車を襲った。まるでなにかが突進してきてぶつかったような衝撃だった。前から横から後ろからその衝撃が襲ってくる。
 麻美は思わず友加里と互いの手を握り合いながらあたりの様子を伺った。
「結人……」
 助けを求めるように結人の名前を口にした。
「いいから、そのまま」
 結人はエンジンをかけ直そうと何度かキーを回しながら答えた。しかし、セルモーターの音だけが虚しく響く。
 やがて衝撃は止んだ。
 いったいなにが起こっているのか、麻美は怖々と窓の外を見た。しかし闇が深くてほとんどなにも見えない。ただ雨が降り続いている音だけが聞こえてくる。
「友加里……」
 友加里は麻美の腕をふりほどくと、窓を見ていた。
 どうしたんだろう? もしかして友加里にはなにかが見えているんだろうか?
「麻美、あそこに人がいるのが見えない?」
 友加里は窓の向こうを指さしながら振り返り、麻美の顔を見た。
「え、まさか?」
 麻美は友加里に近づき、その指さす方を見つめた。
 けれど、ただ暗い闇だけしか見えない。
 結人もキーを回しながらふたりと同じように右側の窓から外を凝視している。
「ふたりともぼくが渡したお守りは持っているよね。しっかりと手で握りしめてくれ。けっして落とさないよう。いいかい、絶対に握ったままで……」
 結人が言い終わらないうちに、再び衝撃が襲ってきた。
 前から、横から、そしてうしろから。いろいろな方向からなにかが体当たりしてくる。揺れる車内で麻美は両手で結人に渡されたお守りをしっかりと握りしめていた。
 友加里はドアにしがみつくようにして窓の外を見つめていた。
 そのとき、ようやくエンジンがかかった。
「ともかくここから抜けでなきゃ」
 結人はやや乱暴にアクセルを踏み込んだ。タイヤが軽くスキッドすると車は急発進する。一刻も早くこの場から立ち去りたい思いが、結人にアクセルをさらに踏み込ませた。しかし、車はスピードを上げることができずにいた。
 なにかを引き摺っているようなそんな重さが車の動きで伝わってくる。
 結人は背中にぐっしょりと嫌な汗をかいていることを感じながら、ただひたすら出口を求めてアクセルを踏んだ。
「雅之!」
 友加里が再び金切り声を上げた。右の窓にしがみつくようにして外をただ見つめている。
「ほら、雅之が手を延ばしてる。助けてって、ここに」
 麻美の方を向くと捲したてた。
 いつもの友加里ではなかった。なにかに取り付かれたように、その顔は青白く眉間には深いしわが寄っている。
「しっかりして友加里」
 麻美は友加里の両肩を揺さぶった。
 そのとき、再び何かがぶつかってきたような衝撃が襲ってきた。
「雅之よ、ほらドアを叩いて助けを求めてるわ。しかも、頭から血を流しながら」
 友加里はドアのロックを外した。
「駄目!」
 麻美は友加里を抱きかかえるようにしてその動きを止めようとした。
「麻美、お守りを」
 結人の声に促され麻美は友加里のジーパンのうしろのポケットに入っているお守りを取り出すと、友加里の手に握らせようとした。
「止めて!」
 友加里は身体をよじり麻美から逃れようとしながらその手を振り払った。
「あっ!」
 友加里のお守りがはじき飛ばされた。
 清明紋が描かれた半紙から、小さな石が飛んでいった。
 麻美がそのお守りを目で追っている隙に、友加里は窓ガラスを開けようと開閉ボタンに手を延ばす。友加里の指がボタンを押し、ほんの僅かな隙間が開いた。
「麻美、窓ガラス!」
 ガラスが開く音に気がついた結人が声を上げた。
「きゃ!」
 その瞬間、右側のドアがいきなり開き、友加里がなにものかに引っ張り出されたように車外へと放りだされてしまった。
「友加里!」
 麻美が叫ぶのと同時に結人がブレーキをかける。
 車はタイヤを鳴らして急停止した。
「ドアを閉めるんだ。窓も」
 結人に言われるまでもなく、麻美はドアをしっかりと閉めるとロックをかけ、窓も閉めた。
「どういうことなの? 」
「結界が──。窓を開けてしまったために、結界の一部が破れてしまったんだよ」
 ハンドルに手を置いたまま結人が振り返って麻美の顔を見た。
「友加里は? 」
「わからない」
「そんな、わからないなんて……」
 麻美の言葉を断ち切るように車が大きく揺れはじめた。
「きゃ!」
 麻美の口から悲鳴が零れる。
「しっかり捕まるんだ」
 結人は再び車のエンジンをかけると、アクセルを踏みつけた。
 車が狂ったように走り出す。
 しかし数十メートル走ったところで車はなにかに乗り上げてしまったように宙に浮いたかと思うと、すぐに地面に叩きつけられ横転してしまった。二度、三度と転がり止まったときには車は逆さまになっていた。
「麻美……」
 結人が顔を上げると掠れた声で呼びかけた。
「結人……、どうなっちゃったの?」
 麻美は天井に頭を激しくぶつけたせいだろうか垂れている血を右手でぬぐいながら答えた。前を見るとフロントガラスは割れて飛び散り、素通しになってしまっていた。その向こうに結人がいる。
 下半身が車から出て、上半身は麻美を方を向いていた。
 結人もまたなにかに激しく頭を打ちつけ、傷ついたようだった。その頭が血にまみれている。血まみれの顔をゆっくりと上げて麻美を見た。
「麻美……、逃げるんだ……」
 結人はなにかから逃れるように藻掻きながら口を開いた。
「結人は……」
 結人の方へ手を延ばしながら麻美は訊いた。
「ぼくはもう囚われてしまった」
 結人は静かに頭を振る。
「どういうこと」
「ここは、自分自身の恐怖を現実にしてしまう場所だったんだよ」
「え? 」
「人が抱いている恐怖がそのまま実現する。友加里ちゃんは、死んだ雅之に連れ去られてしまうという恐怖を心の底に抱いていたために車から連れ去られてしまったんだ」
 結人はゆっくりと自分に言い聞かせるように話した。
「どこへ? 」
「どこかはわからないけど、彼女が一番怖いと思っている世界にだよ。死んだ雅之が地獄で苦しんでいると思っていたらそこは地獄なんだろう。もしかしたらぼくたちにはまったく想像もできない場所かもしれない」
 そこまで言うと結人は苦悶の表情のまま黙った。
「なぜ、そんなことに? 」
「なぜ……、なぜなんだろう。ただこのトンネルにはとてつもない悪意が棲みついていることだけは確かだ。それがいまのぼくにはよくわかる。かなり古い時代から、ここはそういう忌まわしい場所だったんだよ」
「わたしひとりで逃げられないわ」
 そういいながら麻美は結人へとさらに手を延ばした。
「もうちょっとで出口なんだ。そこまでお守りをしっかりと握ったまま走って逃げてくれ」
 結人はすこし強めの口調で話した。
「だって結人をおいていけない」
「ぼくはもう囚われているといっただろう」
「だれに囚われてるの? いま、わたしと話をしてるじゃない」
「足をね、がっちりと掴まれしまっているんだ。身動きがまったくできない」
「結人……、払い除けられないの?」
「ぼくが恐怖している相手はそんな柔な存在じゃないんだよ」
 結人は苦笑混じり答えた。
「さぁ、早く逃げるんだ!」
「だって──」
「ぐずぐずしていると麻美まで囚われてしまうぞ」
「なにに?」
「だからいったろ。麻美が恐怖しているものにだよ」
「早く逃げるんだ、ガソリンが漏れはじめている。なにかあったら爆発するかもしれない。急いで逃げるんだ」
「わかった──」
 覚悟を決めたように大き息を吸うと、麻美は開きかけていたドアを両足で蹴るように押し開いた。その隙間から身をよじるようにして車から這い出す。
 引っ繰り返った車の運転席から結人の下半身が出ているはずだったけど、そのあたりを黒い何かが覆っていてよく見えなかった。
「結人……」
 麻美が呼びかけた。けれど、その声はもう結人には届かなくなってしまったようだった。
 麻美は顔を上げると出口を探した。車は引っ繰り返っただけでなく、前後も逆になってしまっていた。車の後ろ側のむこうにぼんやりと出口が見えている。
 麻美は振り返り、もう一度結人を見た。その下半身をなにか巨大な腕のようなものが掴んでいるのが見えた。まるで鬼の手のような、禍々しさを感じる。それがなんなのか見極めている余裕は、いまの麻美にはなかった。
 そのまま出口へと走り出した。
 後ろを振り向くことなく、ただ出口だけを見据えて走る。背中からなにかが迫ってくるような恐怖を感じながら、ただただ走る。その手にはお守りをしっかりと握りしめながら。

 トンネルの出口までどれぐらい走っただろう。
 とてつもない時間がかかってしまったようでいて、しかしほんの僅かな距離だったような気もする。なにも考えることができず、麻美はトンネルを出るとそのままへたり込むようにその場に腰を落とした。
 息が荒い。
 空を見上げると月明かりのない暗い空に、星々が輝いていた。いままで見たこともないような星の数。そのひとつひとつが瞬くように光っている。
 気がつくと麻美は涙がこぼれていた。
 なぜだろう? トンネルから逃げることができたからなんだろうか? それとも大切ななにかを、大事な人たちを失ってしまったからなんだろうか?
 けれどいまの麻美にはこのトンネルで起こったことを心の中できちんと整理できずにいる。
 やがて東の空がうっすらと白みはじめた。
 麻美はのろのと起ち上がるとジーパンについた土埃をはらった。
 振り返ると、そこにトンネルが見えた。
 緑の山肌にぽっかりと空いた穴──。
 そのとき、麻美は様子がおかしいことに気がついた。自分が立っている場所が舗装された道路ではないこと。そしてトンネルもコンクリートで造られたものではなく、ただ崖に開いた穴でしかないこと──。
 麻美はポケットをまさぐると結人にもらったお守りを取り出した。
 中に入っていた石は黒く焼け焦げ、それを包んでいた半紙に描かれていた清明紋も焼けたような痕がありボロボロになっていた。
 ──ここはどこなの?
 やがてすぐに麻美は自分が抱いていた恐怖を知ることになった……。
はじめから

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気づかなかった身のまわりにある隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

噂のあった「トンネル」へいかないかと雅之からの誘いを断った麻美。
何日経っても戻ってこない雅之を案じて、
麻美と友加里、それに結人の三人はその「トンネル」へと向かった。
トンネルに足を踏み入れた三人。果たして麻美たちを待ち受けていたのは……。

怪しくてそしてとても不思議な世界をどうぞ堪能してください。

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