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ものがたり屋 参 現 その 2-1

お詫び

いつも Zushi Beach Books をお読みいただき、ありがとうございます。
これまで「ものがたり屋 参」シリーズを毎週新作を更新してきました。現在は「現 ( うつつ )」のその 1 を公開中で、今回はその 2 を公開する予定でした。
ご存知のように、いま癌サバイバーとして抗癌剤治療を続けている最中なんですが、これまではその治療の合間を縫って、なんとか更新してきました。けれど、今年最初に点滴を受けた抗癌剤の副作用のせいで、この週はまともに原稿を書くことができなくなってしまいました。
なんとか毎週更新するペースを維持したかったのですが、さすがに執筆に使える時間がほとんどとれず、今回は「現」その 2 を完成させることができませんでした。
それでもなんとか公開をしたいということで、今回はその 2 の一部を公開することにしました。
本来のボリュームでいえば 1/3 に充たないもので、暫定版とはなりますが、ぜひお読みいただければ幸いです。
もちろん来週には「現」その 2 の完成版をお送りしたいと思っております。
これからも Zushi Beach Books をご愛顧いただければ、これに勝る喜びはありません。よろしくお願いします。

 うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。

 気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

現 その 2 -1

 すべては幻、そして虚ろい。
 すべては儚きもの。
 その手に触れるものは、なに?
 その瞳に映るものは、なに?
 そこにいるのは、いったい誰?

「ねぇ、いったいどうしてなんだと思う?」
 あなたは真剣な眼差しで向かい側に座っている麻美にいった。
「痕が残ってるの?」
 麻美はあなたを気遣うように訊いた。
 あなたはただ頷いて、右手のシャツをまくった。その右手首には包帯が巻かれている。起きたときに残っていた手の痕はまだうっすらとしたものだった。それがやがて濃く痣のようになり、あなたは包帯で覆い隠したのだ。
 お昼時の大学のカフェエリア。
 いつもまぶしい陽射しが飛び込み、学生たちで賑わっているはずなのに、なぜかこのときだけは違っていた。喧噪の中で、あなただけが別の空間に放り出されたような、そんな心細さを感じていた。
 あなたは周りの視線を気にして、そっとあたりを伺った。
 まるでそこにいるみんながそっぽを向いているようだった。きらめくような陽射しすら、逆にあなたをなにかから覆い隠しているような気さえする。
 じっと右手首の包帯を見つめるあなた。
「愛生、大丈夫?」
 麻美が俯いているあなたを覗きこむようにして訊いた。
「うん……」
 麻美の声がまるで水の底で聞くようにぼんやりと響いてきて、あなたはこくりと頷いた。
 包帯にそっと手を延ばして、ゆっくりと解きはじめる。
 ──お願い、消えていて……。
 願いを込めて解くあなた。しかし、右手首には手の痕がしっかりと残っていた。しかも痣のようになったままで。
「ほんとうだ……」
 麻美はあなたの手首を見つめたままぽつりといった。
「ねぇ、わたしどうかしちゃったのかな?」
 あなたは呟くようにいうと、麻美を縋るように見つめた。
「子どもの手みたいね」
 じっとあなたの右手首を見つめたまま麻美がいう。
「なんだか怖い……」
 ぼそっと呟いたあなたの言葉に麻美はただ黙って小さく頷いた。
「あいつに会ってみる?」
「あいつって……」
「だから結人。久能結人よ。この手の話はあいつしかまともに聞いてくれないと思うんだ」
「そうなの?」
 麻美のいうことをそのまま信じていいのか諮りかねて、あなたはつい首を傾げてしまう。
「いいんだよ、愛生が決めることだから」
 麻美はそういって労るようにいった。

 あなたは麻美に連れられて敷地のかなりはずれたところにポツンと建っている古ぼけた校舎に向かっている。
 降り注ぐ陽射しが場違いのように強烈だ。初夏のはずなのにまるで真夏を思わせる暑さ。それでもなぜかあなたはその暑さにも現実感を覚えることができない。額に浮かぶ汗すらも拭う気にならなかった。
 まるで海の底を歩いているようだった。
 取り散らかった廊下を歩いて奥のエレベーターへ向かう。入り口から射しこむ陽射しが舞い踊る埃に反射する。
 できたらマスクをしたいほどだったけど、ごくあたり前に歩いていく麻美を見て、あなたはただその後をついていく。
 がたがたと揺れるエレベーターで最上階の四階へといく。エレベータを降りると、廊下の奥の部屋へと向かった。そのドアには「量子情報工学研究室」と書かれた札があった。
「ここなの?」
 その研究室へ足を踏み入れようとしてあなたは麻美にそっと尋ねる。
「そう、ここがあいつの──結人のいる研究室」
 窓際にテーブルが置かれている。カーテンが揺れるたびに陽射しが零れてくる。
 あなたはその窓を背にして麻美の隣に腰を下ろす。
 すぐに部屋の奥の扉が開いて久能が顔を出した。あなたが前に神社で会った学生だ。少し長目の髪がくせ毛のせいで巻き毛になっている。あのときのままだ。
 結人はあなたと向かい合うように腰を下ろすと、やさしくいった。
「それで?」                つづく
はじめから

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「Zushi Beach Books」では、逗子を舞台にした小説はもちろんのこと、逗子という場所から発信していくことで、たとえば打ち寄せるさざ波の囁きや、吹き渡る潮風の香り、山々の樹木のさざめき、そんな逗子らしさを感じることができる作品たちをお届けしています。

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そんなスタイルで Zushi Beach Books の作品たちをお楽しみください。

また、今回の Kindle 版の販売にともない、「ものがたり屋 参」の第一話「聲」、第二話「隂」、第三話「凮」各話について NOTE でお読みいただけるのは、その 2 までとなります。完結編となるその 3 は、Kindle 版、また ePub 版でお楽しみください。
よろしくお願いいたします。

いままで NOTE で公開した各作品の ePub 版は引き続き販売しています。


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