山ガール

ものがたり屋 弐 山ガール 4/4

 うっかり閉め忘れた襖の影、街灯の届かないひっそりとした暗がり、朽ちかけている家の裏庭、築地塀に空いた穴の奥。

 気づかなかった身のまわりにある、隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

 山ガール 4/4
 頭が少し混乱しかけていた。
 なぜ、正体不明の老人は俺が風呂に入っているときに現れるのか? そんな疑問が頭に浮かんだとき、目の前に近づいてきた人影が老人ではないことに気がついた。
 長い髪に豊かな胸、くびれた腰にしなやかな足。
「わっ」
 俺は思わず声を出して、湯船に浸かったままのけぞってしまった。
「なに驚いてるのよ」
 優樹菜が口を開いた。
「なにって、どうして女のお前がここにいるんだよ」
 俺はしゃがんだまま、優樹菜を見上げる格好で尋ねた。目の前に豊かな乳房があった。
「どうしてって、わたしも見たかったんだもん、例の老人」
 そういいながら優樹菜は湯に浸かると、俺の隣に身体を寄せた。
「拙いだろ、いくらなんでもこれは」
 俺は少し後ずさりするといった。
「いいじゃない、トシヤとわたしだけだし」
 優樹菜は俺に近づいてくる。
「だってお客さんが来たらどうするんだよ」
 俺はいった。
「大丈夫だって、こんな時間だし」
 優樹菜はあっけらかんと答えた。
「でも……」
「わたしだって勇気がいったんだから。こんな場所でトシヤと一緒になるなんて」
 そういうと優樹菜は俺の左手を掴んで、自分の右胸に当てた。
「ほら、ドキドキしている。でしょ」
 優樹菜はいたずらっぽく笑った。
「バカ、心臓は左側だ」
 俺は手を引っ込めると照れ隠しに強めにいった。その手に優樹菜の乳房の感触が残っていた。それはとても柔らかかった。
「そうか。でも、ドキドキなんだよ。ほんと」
 優樹菜はふたたび俺の手を取っていった。
「なんだって、こんなことしてるんだよ」
「だってトシヤの見ちゃったもん。そしたら堪らなくなって、つい跡つけたの」
 そういいながら優樹菜は身体を預けてきた。握ったままの俺の手は優樹菜の右の乳房に当たっている。
 優樹菜の顔がすぐ近くにあった。
「ほらトシヤだって……」
 そういいながら優樹菜は俺の股間に手を延ばした。屹立しはじめている俺をそっと握る。
「駄目だって……」
 俺は腰を捻るようにしてその手から逃れた。
「いいから……」
 優樹菜はそういいながら顔を近づけて目を瞑った。
 彼女の唇がそこにあった。
 俺はどうすることもできず、そのまま唇をそっと重ねた。
 触れた唇がゆっくり開き、そこに優樹菜の舌を感じた。
 そのとき、突然浴室のガラス戸が大きな音を立てて開いた。
「あなたたち、そこでなにやってるの」
 女将さんが入り口で仁王立ちしていた。
 俺たちは一時間以上も事務所で叱られた。叱られてあたり前だ。俺は女将さんの叱責をただ黙って聞き、そして二度とこんなことはしないと謝罪を繰り返し、ようやく解放された。
 優樹菜とは事務所の前で別々になると、俺はまっすぐ寮の部屋に向かった。
 すでに二時を過ぎていた。
 俺は部屋に戻ると、すぐに布団を敷いて潜り込むと寝てしまった。
「トシヤ──」
 俺は夢を見ていた。
 稜子の夢だった。
 稜子の微かにはにかんだ顔がそこにあった。
 俺の眼を真っ直ぐ見つめる稜子。
 手を延ばしてその頬を触ると稜子は黙って眼を閉じた。
 俺は稜子を抱き寄せ、そして口づけをした。はじめは軽く重ねた唇だったが、やがて互いに深く口づけを交わす。
 稜子の身体を抱く俺の両腕に力が入る。
 いつの間にはふたりは一糸まとわぬ姿になっていた。
 稜子の白くすべるようになめらかな肌。豊かな胸の膨らみに手をやる。乳房を優しく揉みし抱くと、彼は乳首を口に含んだ。
 稜子の手が俺の頭を掻き抱く。
 そのまま俺は稜子の乳房からゆっくりと手を下に伸ばして、薄い陰りを撫でた。
 稜子の口から声が零れた。
 そのままそっとを指を差し入れる。熱く柔らかに湿ったそこは俺を待っていた。
 稜子の身体をゆっくりと押し開くと、俺は固く屹立したものを挿し入れた。暖かく濡れた稜子自身が俺を優しく包み込む。俺は稜子の暖かさを味わいながら長く長く放った。
 それはまるで最初に稜子と身体を重ねたときと同じような一体感と放出感だった。
 俺は何度も何度も稜子を抱きながら射精した。
 気がつくと夜が明けていた。
 頭がちょっと痺れたようになっていた。まるで魘されたような寝起きだった。
 俺は布団から出ようとして、全裸になっていることに気がついた。
 慌てて股間に手をやる。もしかしたら夢精しているかもしれないと布団も確認した。けれどまったくなんの跡もなかった。
 妙にリアルな夢を見ただけなんだろうか? 
 その日の俺はどこかおかしかった。やたらに仕事でミスを繰り返してしまったのだ。盛りつけを失敗したり、用意する器の数を間違えたり、挙げ句の果ては布団を敷く部屋を勘違いしたり。
 いつもは温厚な原田さんや大和田さんの顔も厳しいものになっていた。
 そんな中でやさしく声をかけてくれたのは同年代の黒田さんだった。
「ぼくなんか、しょっちゅうミスして怒られてますから」
 俺はただただ苦笑いを返すことしかできなかった。
 そして、その夜。
 また、俺は稜子の夢を見た。
 ──これはほんとうに夢なんだろうか?
 こんなにリアルな夢があるなら、このままずっと夢を見続けていたい。俺は稜子の身体を抱きながら、そんな気になっていた。
 何度も稜子の中に放って起きると、まるで魘されたような気分で目覚める。
 起きてみると俺はまた全裸になっていた。もちろん布団を確認しても、なんの跡もなかった。ただ枕元にはあきらかに俺のものとは長さが違う髪が一本だけ残っているのを見つけた。
 この日の俺もどこかいつもの自分とは違った。まるで地に足がついていないような感覚。なにをやっていても現実感が欠けていた。さすがに昨日の今日でミスはしなかったが、しかしまるで手応えのない一日。
 配膳台でひとり夕食を摂っていると優樹菜が近づいてきた。
 あの一件以来、まったく顔を合わせることはなかった。たぶん彼女の方が避けるようにしていたのだろう。
「ねぇ、大丈夫? なんだかぼんやりしているみたい。目の焦点が合ってないというか、心ここにあらずって感じよ」
 配膳台の向かい側から俺の顔をじっと見ている。
「大丈夫だよ、いつもと同じ」
 俺はそれだけ答えると、また食事を続けた。
 優樹菜はなにかいいかけたが、しかし口を噤むとそのまま去っていった。俺と一緒に親しくしているところを、だれかに見られたくない気持ちはよくわかった。
 部屋に戻ると、俺は風呂にいくことにした。
 あの優樹菜のことがあってから、まだ一度も入っていなかった。もちろん疚しい気持ちがあったわけではない。それでも、なぜか足を向ける気にならなかったのだ。
 まだ日付が変わるまでには充分間がある時間だったが、館内は静まりかえっていた。寮を出て大浴場までの廊下ではだれとも会うことはなかった。
 お客さんが少ない日だからということもある。まるで申し合わせたようにみんな寝静まっているかのようだった。
 立て札のところを曲がり、大浴場の廊下へと歩を進めた。
 窓の外の雪景色が目に映る。木枯らしが吹いているのか、その窓の隙間から冷たい風が零れ落ちてくる。
 大浴場の扉を開けるとそのまま脱衣所で服を脱いでいく。棚とは反対側にある鏡に俺の全身が映っていた。全裸の自分をこうして見ることは滅多になかったが、いつもと変わらない俺の姿がそこにあった。
 ──心ここにあらずって感じよ。
 優樹菜がいった言葉がナゼか頭の中に甦ってきた。
「確かにどこかぼんやりとしていることは認めるけど、しかしいつもの自分だよ」
 鏡の向こうの裸の自分にそう呟いてみた。もちろんだれも応えはしない。
 そうやって鏡に映る自分の顔をじっと見ていると、いつのまにかまるで見知らぬ男の顔のような気がしてきて、俺はふいにその場を離れ、浴室へと向かった。
 いつもの湯煙が湯船から立ち上っている。
 今日は気温がいつもよりさらに低いのか、湯煙は濃かった。向こう側の壁が見えないほどだ。その湯煙の中を進んでいき、いつも身体を洗っている場所にいった。
 シャワーで自分の身体と風呂桶、それに椅子を流す。椅子に腰を下ろして、俺はまず頭を洗いはじめた。
 蛇口の向こう側にも鏡があった。曇った鏡には俺の姿がぼんやりとしか映っていない。シャワーの湯をかけて曇りを取るが、それも一瞬のことですぐにまた曇りはじめる。
 湯がかかったときだけ俺の顔がそこに映り、また曇りで歪み、そしてやがてはぼんやりとしか見えなくなってしまう。
 頭の次は身体だ。
 全身をていねいに洗っていく。
 すっかり洗い終わるとシャワーで流す。いつもよりも少しだけ熱めの温度にして流してみる。
 湯の熱さを感じたときには、なんだか意識もくっきりとしたような気になったけど、しかしすぐにその熱さにも慣れ、ガラスがすぐに曇るように俺の気持ちもまた同じようにぼんやりとしたものに戻ってしまう。
 そうやっていつもよりも長目にシャワーを浴びてから、俺は湯船に向かった。
 膝まで浸かるとそのまましゃがんで湯の中に身体を沈めていく。
 そのまま湯船に直に座ると、ちょうど肩の辺りまで浸かることができる。
 俺は湯船の隅のあたりに身体を沈め、両手を伸ばすと湯船の縁にその手を乗せた。
 そのままゆっくりと天井を見上げる。
 湯煙の向こうに天井が見えた。その天井の窓から風が入ってくるのか、ときおり湯煙が大きく揺れて流れたあとに、また湯煙が立ちこめる。
「ふぅ」
 俺は思わず声を漏らした。身体全体から力がゆっくりと抜けていき、リラックスできる。この瞬間が堪らなく心地いい。
 身体の向きを変えて、両手で湯を掬うと、顔を洗った。
 ──りん──
 その瞬間、俺は凍り付いたように動けなくなった。
 両手から掬ったはずの湯が音を立ててこぼれ落ちていく。
 ──りん──
 鐘の音。
 あのときと同じ音が聞こえてきた。
 俺は湯船に身体を沈めたまま身動きができなくなっていた。
 ──シャン、シャン──。
 そして錫杖の音。
 ──シャン、シャン──。
 浴室の入り口あたりの湯煙が大きく揺れる。
 やがてその揺れは、人の姿になりはじめた。あのときと同じ老人の姿だ。白髪の老人はまっすぐ前を見たまま、湯船に身体を沈めていく。
 と、ふいに顔の向きを変え、俺の方を見た。まるで睨みつけるようにその視線を俺に合わせる。
 その途端、俺の手足は自由が利かなくなっていた。
 老人は俺を見つめたまま立ち上がった。
 俺の身体も同じように立ち上がる。自分ではなにもしていないのに、老人と同じように身体が動いてしまう。
 老人は窓の方へと歩き出した。俺の身体も同じように窓へと向かって歩き出した。
 老人が湯船に足をかけ、湯船から出るとそのまま窓の外へと歩き続けた。俺の身体も同じように窓の外へ、まるでガラスをすり抜けるように出た。
 俺は素っ裸のまま窓から外へと出てしまっていた。風が吹き付けているはずなのに、不思議と寒くない。
 そのまま老人は歩き出した。
 俺の身体も同じように進んでいく。
 ふと見てみると足下に地面はなかった。
 老人は宙を歩いている。俺も同じように宙を歩いていた。それも裸のまま。
 ときおり吹き付ける風と雪が視界を防ぐが、しかし目指しているのは向こうにある真っ白な山のようだった。
 老人はなにもいわずただ黙々と宙を歩いていく。俺も同じように歩いていく。
 なぜだか山が近づいてくるに従って懐かしい気持ちになりだしていた。
 どういうことだろう? まるで故郷へと帰っていくようなそんな懐かしさだ。俺が帰る場所がそこにあるようだった。
 ゆっくりと真っ白な山が近づいてくる。俺はただ老人と同じように宙を歩く。
 その山がさらに近づき、真っ白な山肌が見えだした頃、老人の姿は降り続ける雪に溶け込んでしまったように消えていった。それでも俺は進み続ける。
 ──リンリンリン。
 そのとき、耳慣れた鈴の音が聞こえた。
 ──稜子だ。
 稜子が待っている。
 そう、真っ白な山肌に稜子がいた。俺は稜子の元へと帰っていくんだ。
 不意に心が満たされたような気がした。
 そう、俺はあの寮の部屋で稜子を抱いていたんだ。ここで待っている稜子をこの手で掻き抱いていたんだ。
 真っ白な稜子の両腕に抱きかかえられるようにして、俺は山肌に積もった雪の中へと入っていった……。

 トーストが焼き上がると、ぼくはちょっと潰れてしまった目玉焼きと一緒に食べだした。
 念願の大学に入学が決まり、新しいアパートを借りて、独り暮らしをはじめて一週間になる。まだ、目玉焼きは上手く焼けないけれど、しかしぼくはこの新生活を楽しんでいた。
 テレビではニュースをやっていた。
「昨日、中部山岳地帯で見つかった遺体の身元が判明しました。所持品の中に免許証がはいっていたそうです。村田トシヤさん、二十四歳。東京在住」
 地元にいるときにはあまり意識しなかったけど、どうしてもテレビを点けてしまう。人の声が聞こえていると寂しさが紛れるんだろうか?
 たとえニュースを読むアナウンサの声でも、なぜか聞こえていると安心してしまう。
「どうしてこんな山奥に分け入ったのか、友人たちにも心当たりはないそうです──」
 食事を終えると、出早く洗い物を片付けて、ぼくは大学へ出かけることにした。
 学校はまだはじまったばかりで、授業というよりはガイダンスが続いている。昨日から学内にはテントが並び、いろいろなサークルが新入生の勧誘していた。
 そんな中でひとつ気になるサークルがあった。「ワンダーフォーゲル」だ。
 山に関心があるわけではなく、正直にいうと、そのサークルにいる先輩に惹かれているからだ。
 こんな気持ちになったのは、実は生まれて初めて。もちろん恋をしたことはある。高校時代には付き合っていた娘もいた。初体験だって済ませている。
 でも、この気持ちは生まれて初めて抱いた感情だと思う。
 昨日なにげなくあちこちのテントを覗いていて、偶然、その彼女と眼が合った。その瞬間、ぼくの全身を電流のようなショックが流れた。まるで雷に打たれたようだった。
 彼女の眼を見た刹那、ぼくは恋に落ちていた。
 とても不思議な感覚だった。彼女の眼を見ていると、なぜかふたりが寄り添うようにして山を歩いている姿が頭に浮かんだのだ。
 こんなことは高校時代のガールフレンドと付き合っているときにもなかったことだ。
 ──そうなんだ、ぼくは彼女と結ばれるんだ。
 テントの外から彼女を見ているぼくを見つけると、彼女はじっと見つめて返してやさしく微笑んだ。
 彼女の名前は「稜子」。
はじめから

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気づかなかった身のまわりにある隙間のような闇に、もしかしたらなにかが潜んでいるかもしれない……。

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翌日、酷い二日酔いで目醒めた彼だったが、見たこともない靴が玄関にあった。
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夕焼けフォトグラファー / 物書き / デジタルコンテンツデザイナーの癌サバイバー、竹井義彦です。 逗子の海の写真や、オリジナルの小説をメインに公開しています。よろしくお願いします。