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いい年こいても、好きという感情で動いて良いんじゃない?

書店員は儲からない。
この厳然たる事実を、30代・既婚・(今は)子なし・男性の現役書店員はどう思うか。今さらながら自己紹介を兼ねて、つらつらと仕事に関する思想などを書いてみむとてするなり。

書店員が儲からないというのは、もはや一般常識レベルで周知の事実であり、実際に我が家の家計は火の車だ。奥さまには扶養のもとパートに入ってもらっており、子どもがいない状態で毎月まあまあギリギリ、というラインで暮らしている。家は賃貸で、家賃6万円台。
そもそも、なぜ儲からないのか? 利率が圧倒的に少ないからだ。書店業は典型的な薄利多売モデルで、流通システムや利益構造が黎明期〜最盛期にかけて構築・完成され、それが今もなお継承されている。本がバンバン売れていた時代はそれで良かったのだけれど、テレビやインターネット・電子書籍、SNSなどの出現により、雑誌をはじめとして本がだんだん売れなくなってきた。にもかかわらず、業界の構造改革が遅々として進まないまま、時代に乗り遅れた結果、(取次と呼ばれる)卸業者・出版社・書店、業界全体が儲からないという状態に陥ってしまった。更に詳しい事情はここでは省くが、出版業界全体を一言で言い表すならば、ズバリ「自転車操業」。いつどこがズッコケてもおかしくないし、もはや仕組みを大胆に変えていくような体力も無いように見える。現に、出版社や書店の廃業・事業撤退ニュースは、毎月のように耳に入ってくる。

数年前、某ホ○○モン氏がとある編集代行業者のツイートに対して、「手取り14万円のお前が終わってんだよ」「これだけお金を稼ぐ手段やそのための情報がインターネット上に溢れている時代に、わざわざそんな仕事をしているのがおかしい」と言い放った騒動があった。
これに関して個人的な意見を述べるならば、語気が強すぎる事は非難されるべきものの、内容に関しては間違った事は言っていないように思う。
日本においては、職業選択の自由が保障されている。おそらく上記の編集代行業者は、「なんであれ望む職業に就くことで、満足のいく生活が保障されるべきだ」という主旨のことを言いたかったのだと思う。しかし、自由には必ず義務が附帯するのだ。資本主義社会においては弱肉強食、自然界と同じく、時代に適応できない産業は淘汰される。時代に適応できない職業に就くことを選ぶのであれば、淘汰される可能性を受け入れる義務が生ずる、と僕は思う。
noteのコアユーザーである「20〜40代のビジネスパーソン」である皆さんの中では、どちらかというとこの意見には、賛同するタイプの方が多いのではないかと思う。

そんなオワコン・崩壊寸前・斜陽産業、なんと呼ばれても文句が言えない、Google検索で「おわってる」とサジェストされる、出版業界の片隅に身を置く僕は、なぜ書店員という職業を選んだのか? 理由はいくつかある。

まずは、「本が好きだから」だ。書店員がみな本が好きという訳ではないけど、僕はゆっくりと本を読む時間が好きだし、モノとしての本も好きだ。好きなものを商材として扱えるのだから、これ以上幸せな事はない。
次に、「接客が好きだから」。接客業は辛い事もあるし理不尽な事もあるけれど、誰かの役に立てている、と感じられる瞬間がけっこう多い業種だと思う。僕はこれまでに、期間が短いものも含めれば事務・アプリ開発・引っ越し・農業・洗い場などを経験してきたけれど、書店での接客に一番魅力とやりがいを感じた。なので僕の体力が続く限りは、接客というものに携わっていきたいと思う。
そして、「知識・文化の保護者」としての書店の役割。もちろん書店は商売だからそれだけではいけないし、この役割を更に強めたのが司書、つまり図書館員さんなんだとは思う。けれど、自分の仕掛けや工夫、失敗が数字に表れていく側面は、書店という商売の場にしかない。書店は、これらの相反する二つの側面を併せ持っている。僕はこの点に関して、いいとこ取りができてお得だなあと思っている。

もちろん、「好き」だけで仕事ができるなら、食べていけるなら誰も苦労しないだろう。ここからは、書店員である事でつきまとう大きなリスクについて、個人的な思いを述べたい。

業界の先行きが暗い件について。これに関して、僕は意外と楽天的に考えていて、出版業界の縮小傾向はしばらく続くと思うが、どこかで下げ止まりが来ると予想している。リアル書店の需要がある以上、仮に一度全ての書店・出版社が倒産してゼロになったとしても、また誰かが始めるだろうからだ。それは、他でもない僕かもしれないし、違う誰かかもしれないし、これまでの書店とは全く違う形になるかもしれない。
現に、リトルプレスや独立系書店に多くの中堅・若手がチャレンジしており、新たな書店と流通の形を模索している。僕は大規模チェーン店に所属しているけれど、今後書店のすがたかたちが変わっても、ここでの経験は"来るべき書店"でも活きるに違いないと思う。

手取りが少ない、というのも事実で、具体的な金額は避けるけれど、仮に今子どもを授かったとしたら、お互いの両親からいくばくかの援助を受けるか、僕が兼業もしくは転職するしか無いくらいには厳しい。
けれど、僕は幸か不幸か、大学の時のいろいろな出来事から、「なんとかなる精神」と「なんとかなる所作」を身に付けた。これによって今の僕は、手取りが少ないという圧倒的な事実を帳消しにしている。
「なんとかなる精神」はけっこう色々な人が言っているけど、実はこの精神状態に移行するには、何回かの成功体験が必要不可欠だ。つまり、窮地に陥っても「なんとかなる所作」によって乗り切る事で、「なんとかなる精神」が懐に落ちていく、という事だ。
何回か、というのがミソ。窮地といっても様々なパターンがある。僕が経験したのはお金、留年、恋愛、職場の人間関係、自死念慮だけど、これ以外にも人生における窮地というのは、人によっていろいろあると思う。これらを僕が乗り越えられたのは、「なんとかなる所作」を手探りで身に付けていったからだ。

「なんとかなる所作」を言語化するのは難しく、かなり感覚的な話になってしまうのだけれど、感情をいったん保留にし、時間を引き伸ばし、人と対話する、というような事になると思う。
窮地に陥ると人は焦る。不安から苛立ち、悲しみに暮れる事もある。感情を表出するのは人間にとって大事な事だけど、それだけでは自分も世界も何も変わらない。現実の問題を解決するために、感情に左右される自分を、いったん保留しておく。
次に、時間を引き伸ばす。これはとてつもなく感覚的な話なんだけれど、窮地に陥っている時、人は"今"と"近い未来"と"近い過去"にしか焦点が合わなくなる。つまり、時間の観念における視野がとてつもなく狭くなるのだ。本来、人は健康に生きられれば70年とか80年、それ以上に生きる事もあるのに、この時ばかりはわずか1〜2年、場合によってはたった1日の出来事にあれこれ苛まれてしまう。この視野狭窄から脱するために、僕の場合は「20年後に同じ状況に陥った自分」をイメージする。20年後の僕は、いくら僕でも今より少しは精神的に成熟して対応力が上がっているだろう。そんな僕に、この状況をどうするか問いかけてみるのだ。20年という歳月の重みと、"頼りになる自分"をイメージする事で、凝り固まった"今"のイメージをほぐしていく。なんだかスピリチュアルな響きを帯びてきたけど、意外とこういう思い込みも大事なものなのだ。
ただ、ここからはしっかり現実の問題と向き合っていく必要がある。自分を窮地に追いやっている問題は、自分一人の力で解決できるだろうか? それができるのならば、それは窮地とは呼ばないだろう。となると、他人を頼ることがこうした問題に立ち向かうための唯一の道になる。ここでいう"頼る"という事は、例えばお金を出してもらうとか、解決をその人に丸投げする事では決してない。そうではなくて、人と対話を重ねる事で、可能性を広げるという事だ。例えば、自分だけでは思い付かなかった解決方法を、その人は教えてくれるかもしれない。例えば、その人は傷付いた心に寄り添ってくれるかもしれない。あなたの身近にいる人たちは、思いもよらない力を持っている。その力を借りたり、分け与えてもらうために、対話するという事だ。
結局は他人まかせか、とお思いになるかもしれないが、よく考えてみてほしい。あなたを苦しめているその問題はほとんどの場合、ヒトとヒトが群れを成すことによってできた集合体、「社会」が存在することによって問題となっているはずだ。であるならば、その問題はあなた自身に責任があるのではないのだから、自分だけの力で解決する必要はない。時間と、人によって解決を図るという事は、何も悪い事ではない。社会によって苦しめられたなら、社会に助けてもらえば良いのだ。

手取りの話に戻ろう。お金というのは、某○リエ○ン氏が言っていたように、いざとなれば稼ぐ手段はいくらでもあり、そのための情報もいくらでも集められる。だから、手取りが例え14万しかなくとも、この仕事が好きであり、得られるものがあり、やりがいを見出している以上、続けていく価値があると僕は思う。僕は持ち前の「なんとかなる精神」によってそう判断し、現になんとかなっちゃっている。
結局のところ、働くという事は人生の一部をそれに捧げることだから、仕事に価値を見出せないならそれは続かないと思う。価値が多様化した時代だからこそ、自分が好きになれる、やりがいを感じられる、それが働く上で一番重要な事なんじゃないだろうか。自分がその場で人間らしく働けるのであれば、手取りの低さなんて「なんとかなる」。

それにしても、こんなテキトーな僕を常日頃支えてくれる奥さまには、本当に感謝しかない。なんでこんな僕を選んでくれたんだろう? ありがとうございます。
というノロケで、今日は終わり。

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