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『天と地のクラウディア』第13話

六 迎えに来たよ

「あれ、どうしたんですか? もしかしてもう終わりですか? 帰っちゃうんですか?」

 アイナがあまりに悲しそうな顔をしていうものだから、条件反射のように否定が口をつく。

「いや、ちょっと外に出て気分転換するだけだから、また戻ってくるよ。アイナはしばらく本読んでていいから」

 空について知る、ということで、俺たちがまず足を運んだのは街の図書館だった。この間も来たよ、と言われたけれど、まるで思い当たりがなかった。

「お昼ぐらいには帰ってきますか?」
「ええ。ご飯は一緒に食べましょう」

 リザミアの言葉でほっとしたような顔をして、アイナは再び手元の書物へ目線を落とす。何がそこまで楽しいのだろう。何がそんなに興味を惹くのだろう。ほんの少し、すごいな、という思いが芽生える。尊敬、だろうか。
少なくとも、俺には簡単に真似できそうにない。

「行くよ」

 リザミアは早足に歩き出し、慌ててその後を追う。ちょっと休憩、と彼女は言った。

「どこへ?」
「まあ、ついて来たらわかるわ」

 その顔は、冷たい言葉の割にうっすら笑みを湛えていた。ちょっとした愉快な秘密があるような、思い出し笑いのような、リザミアにしてはなんだか複雑な表情。

 隣に並んで時たま盗み見ても、随分と機嫌が良さそうだった。横顔も、足取りも。俺の思い過ごしだろうか……。

 何度か訪れたことがあるからだろうか、リザミアの足は明確な目的地へと向かっているようだった。都度値踏みするように分かれ道を睨んでは、すっと迷いなく決断する。人の往来の多い道を、すり抜けるように、時折身をかわしながら進む。

 両脇に出店が並んでいて、昼前の通りは呼び声や話し声で賑やかだった。やがて進むたびに、みるみる道が広く、人も多くなってきているように感じた。

「すごい人だな」
「もう昼時だからね。この通りは中心だから、そりゃ多いよ」
「中心?」
「あ、ほら……見えてきた」

 リザミアはそう言って、前方少し上辺りを指差した。その先を追うと、道行く人々の頭の上に、何やら周囲より一際高く、大きな建物の上部が見えた。

「あれは、城、か」

 リザミアが少し驚いたような顔をしてこちらを向いた。

 実は俺自身もびっくりして少し困惑していた。記憶の断片が飛び交うように、脳裏に何かがちらつく。何かが……何だ?

「一度この街に来た時に連れて行ったこと、覚えてるの?」

 その問いかけには明確に答えることはできなかった。俺自身にもわからなかったからだ。

 リザミアの歩調が少し速まったからか、この違和感は何だろうと考えているうちに、城の門の前に到着していた。

「どう?」

 どう、と言われても、城の周りに囲うように石の壁が連なっていて、そんなに大きな人間はいないだろうと思われるほど巨大な木の門が目の前に立ちはだかっている。これを見て突然何か思い出したとか、そういうのは特になかった。

「なんか、城、低いな」

 独り言みたいに何気なく呟いたら、リザミアが思いの外ぎょっとした顔になって言い返してきた。

「低い? 何言ってるの? これより高い建物なんてこの国にないよ?」
「そ、そうなのか。じゃあとりあえず、入ってみようぜ」
「入る? ちょ、ちょっと、待ってよ!」

 門の両脇に立つ衛兵へと向かおうとすると、リザミアが慌てた様子で俺の腕を掴んで引き止める。

「なんだよ、近くに行けば何か思い出すかもしれないじゃないか」
「ここが一番近いよ。そんな簡単に城の中に入れるわけないじゃない」
「え?」

 え、って何よ……と額に手を当て、リザミアは呆れたように首を振る。

 どうやらこれ以上は行けないらしい。理由はわからないが、じゃあ何でこんな街のど真ん中に作ったのだろう、と変な疑問も浮かぶ。

「じゃあ特に思い出したりしたわけじゃないのね」
「そのために、ここへ?」
「そう。ちょっと前だけど、昔来た時と同じ場所へ行こうかなって」

 彼女も彼女で俺の記憶を取り戻そうと考えてくれているらしい。

 俺としては、記憶と感覚が食い違っている奇妙な状態に陥っている。図書館を知らなかったり、当たり前のように城へ入ろうとすることが、あんなにもリザミアに驚かれるとは思わなかった。まるで空を飛んだ時のように。空を飛べることをリザミアが知った時のように。

 何だろう。同じことばかり思う。何だろう。

 何かが、違う……。

「次、行くよ」

 気を取り直すように俺の背中を小突いて、リザミアは再び早足で歩き出した。

 これは本当に休憩なのだろうか。じわりと額に汗が滲む。

 これが記憶を取り戻すきっかけになり得るか、行ってみないことにはわからない。でも、根拠もないどこか直感めいた思いだけれど、無理じゃないかな、と感じる。

 何かを見て、何かを思い出せるとはなぜだか思えないでいた。リザミア、何というか、ごめんな……。

「ここは?」

 初めて見る建造物だった。

「こっちの角度から見てみようよ」

 初めて見る角度にしかならなかった。

「次は――」

 どの建物も、どの道も、店も、人も。聞こえる音も、目に入る色も。

 全部が全部、苦しいほどに新鮮だった。

 知らない、わからない。自分で口にする度、自分の首を絞めているように呼吸が浅くなる。悪いことをしているわけではないのに、罪悪感にも似た思いが纏わりつく。

 ごめんな――。

 二、三歩先を行くリザミアの背中に、念じるように何度も思う。何度も何度も、唱えるように思う。

 ごめん、と。

 そして、ありがとう、と。

          *

 俺たちは丸二日間、資料探しと街の散策に費やした。結局目新しい収穫や成果は生まれなかったが、何だかんだ言っていろいろ回れて、知れて、少しは楽しめたと思う。

 わざわざ連れて来てもらった意味があったかと言えば一概にはいと言えないが、アイナも満足していたし、リザミアとはほぼ一緒に行動を共にしていたのでたくさん話すことができた。それだけで十分だ。十分、良かった。

「ねえ、レグ」

 最終日の朝、帰りの支度をしていると、リザミアが唐突に部屋に入ってきた。ノックぐらいしてほしかった。

「私たち、突発的にシャーリーへ来ちゃったけど、何か発見があったわけじゃなかったし、その、何て言うか……良かったのかな」

 珍しく弱々しい声音だったので、少々俺は面食らいながらも、思わず吹き出しそうになる。なんだよ、と思う。俺と同じこと考えているじゃないか。

「ターネイド先生に空を知りなさいって言われたんでしょ? 空に関しても結局限定的な分野で探していただけだし、本当に何か役に立ったかなって、本当に意味があったのかなって、昨日寝る時ずっと考えていて」
「柄にもない。やめてくれよ」

 俺はリザミアに部屋の椅子へ座るよう促した。何か悪い物でも食べたのだろうか。つくづく心境の変化を読めない子だ。

「意味があったかどうかなんて、俺が決めることだ。リザミアはリザミアで良かったと思っているのなら、それで良かったんだよ」

 ちなみに俺は、とリザミアを真っ直ぐ見据える。窓から入り込む朝日の柔らかい光が、リザミアを輝かせるように照らし出していた。本当に柄にもなく憂いげなその表情を、なぜだかどこか、眩しいな、と思ってしまう。

 街を発つ前夜、彼女はたくさん考えたのだろう。だから急に、ここを離れる前にそんなことをわざわざ言いに来たのだ。

 リザミアはいつもたくさん考えて、いろいろ気遣ってくれる。それは俺にも痛いほど伝わっている。息が詰まるほど、感じている。

「ちなみに俺は、良かったよ。来て良かった。リザミアと来られて良かった」

 せめてもの感謝の気持ちとして、それぐらいは言葉に乗せて伝えなければ、と。

「嫌に素直ね、柄にもない」

 一拍置いて、途端に元に戻ったようにぷいと顔を背けるリザミアを見て、頬が綻ぶ。

 お前は素直じゃなさすぎるんだよ。

 あんまりじっと見ていると、また射抜くように睨まれかねないので、俺はさっきまで取り組んでいた荷物の整理を続ける。リザミアはもう済んだのだろうか。しばらく俺の動きを観察するみたいに無言で眺めていて、いつまでここに居座るつもりなんだろう、といい加減疑問に思い始めたぐらいで、凛と澄んだ、朝に相応しい落ち着いた声が響いた。

「あのね、ここからが本題」
「え、さっきの本題じゃなかったのか」

 空気をぶち壊すようについ突っ込んでしまった。

「ちゃんと聞いて。真面目な話」
「さっきも十分真面目だったよな、ふざけてなんかいなかったよな……」

 見慣れない態度はふざけていたとでもいうのだろうか。まあ、そんなわけないことぐらい、いくら俺にでもわかるけれど。

「帰る前に、これだけは言っておこうと思って」

 一応、居住まいは正して聞く姿勢に入る。割と適当に構えていた俺だったが、続くリザミアの言葉は絶句するほど衝撃的なものだった。

「実は私、空を飛ぶ人を、すでに見たことあったの」

 膨大な言葉が瞬時に脳内を駆け巡った。俺以外に? 俺と一緒に飛んだ日よりも前に? なぜ今まで言わなかったのか、どんなやつだったのか、それはもしかして、記憶を失う前の俺ではないのか――。

 聞きたいことが次から次へと押し寄せてきて、とうとう声にならなかった。リザミアは俺の反応をわかっていたみたいに、俺が必要としている情報を端的に話し出した。

「これを言うの自体が、実は二度目。あなたが浜辺に倒れていたあの朝のほんの少し前、夜中のあの場所で、私はあなたに同じことを告げたわ」

 リザミアの話はそれから淡々と続いた。遠く海の上で浮遊していた人、それを伝えた時の俺の反応、そして、彼女がずっと、記憶を失った俺を見てからずっと、思っていたこと。

 それは、俺の胸に突き刺さるように。どこまでも冷静で、周りを見ていて、聡い彼女だからこその言葉で。

 凛と、何にもぶれない強さを秘めて。

「あなたはあの夜、レグではなくなったんじゃないかって」

 その言葉の意味するところは、一体――。

「私は、そう感じている」

          *

 帰りの馬車の中では、お互い口数が少なかった。

 別に気まずくなったわけではないが、どうもリザミアはまた何かと思案に暮れている様子だったので、俺から話題を振ることはしなかった。自分では思いづらいけれど、きっと懲りもせず俺のことを考えてくれているのだろう。自意識が過剰とかそういうのではなく、わかる。それぐらいのことは、わかるのだ。

 リザミアの隣ではアイナが読書にふけっていた。リザミアの父親が再びシャーリーへ行く際に返却できるから、と彼女の許可を得て、ずっと読んでる。結局荷物が増えて、書物の半分ぐらいは俺が持っている。これがなかなかに重い。

 アイナは時折ぱっと顔を上げては、自分が今どこにいるかを思い出すように窓の外を見やって、隣に座るリザミアと目を合わせる。そうして再び紙面へ目を落とし、ページを捲る。三回に一回ぐらいの確率で俺もついでみたいに見てくる。面白いか、と訊くと大きく首を縦に振る。

 しばらくそんな感じで帰路を進むものだから、太陽は高く昇り、やがて下り始めてきても、言葉数は行きよりもずっと少なかった。

「ねぇ」

 しばらく会話のない状態が続いていたからか、思いの外小さな呼び声に反応できなかった。三回ぐらい聞こえただろうか、ようやくそれが自分に向けられた言葉であると認識し、ふと視線を向ける。

 リザミアが真剣な眼差しを俺の双眸に向けていた。

「例えば、例えばの話ね。アイナちゃんが聞いた噂みたいに、空を飛べるとしたら……ずっと空高くまで飛んでみたくならない?」

 唐突なリザミアの言葉に、アイナの読書の手が止まった。彼女はたまに突飛なことを言い出すが、これには俺も驚いた。仮定の話、と前置きしつつも、随分と大胆だと思った。何を考え込んで、今この場でこの話をしようと思い立ったのだろう。

「ずっと空高くって?」

 乾く唇を軽く舐めて、俺は失言してしまわないように注意して慎重に言葉を選んだ。アイナも書物から目を離し、俺を注視している。

 リザミアはそうね、と呟いて窓の外を気だるそうに見やった。過ぎていく景色。森の緑と、空の青。浮かぶ雲は、やはりどこか遠く感じる。

「雲よりも上。あの青色ぐらいまで」
「全然わかんねえよ」

 俺はそう鼻で笑って、でも、とすぐに付け加える。

「きっと、例え空を飛べたとしても、そんな高くまでは行かないだろうな」
「どうしてですか? レグさん、空大好きなのに」

 アイナが思わずといった感じで話に入ってきた。

 そうか、と思った。そういえば俺は、空が好きな人間だったそうだ。自己紹介の時アイナに言われてから今まですっかり忘れていた。苦笑が漏れる。こんな調子では、到底記憶が戻るとは思えない。

「怖くないか?」
「怖い、ですか?」
「ずっと高くまで飛ぶと、周りには何もなくなるだろ。地上もどんどん遠くなって……そうだな、海と似ているんじゃないかな」

 アイナが想像しやすいように、海を引き合いに出してみる。本当に空を飛べる俺はただ自分が限りなく高くまで飛んだ時を想像すればいいだけだろうが、アイナに関してはそうはいかないだろう。

「海のずっと向こうまで行った人って今までいるのか?」
「いないって聞いています。いたとしても、誰も戻って来られなかったとか……ですよね、リザミアさん」

 リザミアは窓の外から俺へと視線を移しながら答える。

「ええ。海の先に何があるのか、見てきて語った人はまだ誰一人としていないわ。少なくとも、私たちの町には」
「それはどうしてだろう?」
「どうして、ですか?」

 アイナは首をかしげて俺の言葉を繰り返す。リザミアはどうやら話がわかったようで、ああ、と得心がいった風な顔をした。

「どうして、かなぁ」
「アイナは海の向こうに何があると思う?」
「海の向こう、ですか? えっと、そうですね、何もないんじゃないでしょうか。それか、一周回って私たちと国の反対に位置する海沿いの町に着いたりして」

 それはさすがに冗談ですけれど、と笑いながら言うが、なかなか面白い発想だと思う。想像力の豊かさは、頭の良さに直結する大きな要素だ。

「じゃあアイナは海の向こうに行ってみたいと思うか?」
「実際にですか? それは、うーん、何もないにせよ、何かあるにせよ、何もわからないので……ちょっと、怖いですね」

 今ので自ら答えを全部言ってくれた。アイナも気が付いたようで、あっと声をあげる。

「そう、わからないから怖いんだ。まあ空は落ちればいつか地上に着くかもしれないけれど、ずっと高くなんて言われても、そこまで行こうとはなかなか思えない。そこに何かがあっても、なくても」
「もしそう思える人がいたなら、きっとその人は勇敢な探検家になるわ」

 リザミアがアイナに語りかけるように言った。

 アイナはなるほど、と目を輝かせて、リザミアさんはどう思いますか、と話が続く。

 俺の答えはともかく、結局、リザミアは何を訊きたかったのだろう。そもそも何かを訊きたかったのだろうか。アイナと話すその横顔からは、真意は読めない。

 飛んでみたくならない?

 質問の言葉を思い出す。そうして、もしかして、と突拍子もないことを思う。根拠も何もないし、可能性も低い。だが、もしかして、と思う。

 リザミアは、時折笑い声を漏らしながらアイナとの会話に興じている。

 もしかすると、リザミアは。意味も理由もわからないけれど、彼女を見ているだけでその思いは確信めいたものになってきた。

 もしかしてリザミアは、空を飛びたいのではないだろうか――。

 なんて。声に出すと、きっとまた鋭く睨まれるんだろうな。

 それが合っていても、間違っていても。

 ふざけたことを言わないで、と。何とでも受け取れるような意味合いで。

 悪くない、と思った。リザミアをからかうのも、その結果睨まれるのも、辛辣な言葉を受け止めるのもそうだけど、それよりも、何よりも。

 リザミアと一緒に空を飛べるのは悪くない、と。

 それならば、空の青を目指してもいいかなと。

「何変な顔してるの、やめてくれない」

 リザミアの冷たい声で、俺の意識は現実へ戻ってきた。思いが及んで不敵な笑みが顔に出てしまっていたのだろうか。

 一方で、やはり、と俺は自分でも呆れるような馬鹿な気持ちが芽生えていた。その声を聴いて、その顔を見て、改めて。

 やはり、悪くないな、と。

第14話
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