養育の現場で子どもの人生に寄り添い続けるということ
No.1
松浦史明さん
社会福祉法人東京サレジオ学園 理事
児童養護施設東京サレジオ学園 副園長 心理療法担当職員
生い立ちをお聞きできれば。
大したことはないですけど(笑)。
生まれは岡山です。笠岡っていう、広島県寄りの境の場所です。大学受験で1年浪人したので、19歳まで実家にいました。
広島で大学に4年間通って、就職で埼玉の方に4年間、その後東京サレジオ学園に勤めて27年経ちました。
ご両親の職業お伺いしてもよろしいでしょうか。
父親は寺の住職をしながら教員をしていました。寺と家は30キロメートルくらい離れてるんですけれど。
私は長男なんですが、父親は家は継がなくていいから、好きなことやれっていう考え方で。
今、実家の寺は近くの同じ宗派の住職さんが見てくださってて、私は東京で生活させてもらってます。
ご兄弟姉妹は?
姉と妹がいます。
姉は大分、妹は東京です。ちょっと一家離散状態なんですけど(笑)。
今の時代、LINEが便利なので、ほぼ毎日交流はあります。
年に3回は実家に帰らないといかんって話はしてるんですけれど、この仕事をしているので、中々難しいです。直前で「無理」ってなることがあります。
人に携わる仕事だと、長期休暇というのは難しいのですね。
色々起きるので。
大学ではどういうことを学ばれたのでしょうか。
幼い頃からピアノ弾いていたのもあって、教育学部の音楽科です。
職業として音楽を教えられる?
そうですね。教員免許を取って卒業したんですけど。
あまりにも劣等生すぎて、卒業するとき先生に「大学出た」って言ってもいいけど、外で「音楽科を出た」って言わないでってすごく言われました(苦笑)。
実は、軟式テニス(現在のソフトテニス、日本発祥)をやっていたんです。それで大学でも軟式テニスが中心になって大会にも出て、実業団に就職しました。
実業団に就職とは!
音楽の道よりソフトテニスの方が道が太かったということですね。
そうですね。大学3年生のとき団体戦で全国2位になって、記事に大きく載せてもらったとき、もう音楽科の先生たちからは「松浦くんテニスで就職するよね」と言われて。でもこんなこと言っていいのかな(笑)。一回しか出てない授業とかも単位くれて「卒業はさすから、音楽の仕事に就くな」と(笑)。そんな感じでした。
でも、大学で自分に合った道が見つかったということですね。
実業団で続けたいっていう思いはありました。だから4年間は実業団でやらせてもらって。
ソフトテニスって、日本は層が厚いという印象があります。
日本では競技人口はすごく多いですね。その割にマイナーなんで。そこもいいとこなんです。
アジアでも人気ですよね。
いや、アジア全体で見ると競技人口は少ないです。
硬式テニスとはボールを打つ感覚が全然違うので、独特の良さがあるっていうのは思ってます。
私自身ほんとに運動神経はないですけど、方法論でそれなりにやれる競技なので、それも面白かったです。
技術や戦略などが充実しているのでしょうか?
賢い戦略をとる人もいるけれども、私はほんとにただただ強気で圧していくスタイルで。雑誌とかに「決して上手くない」とか「気が強い」とかそういうことしか書かれなかったですね。
試合に対する感性が突出していたということでしょうか。
勝ちたいという意志は強かったんじゃないでしょうか。なんか変な話しちゃったな(苦笑)。
いえ、そんなことはないです(笑)。
実業団では仕事とソフトテニス選手の両輪で活動されていたのですね。
日本リーグ1部の公務員チームでした。9時~17時仕事、18時~21時練習のようなスケジュールでした。
平日は全体練習はそれほど多くなくて、都心の大学で練習させてもらったりしてましたね。
競技の種類は?ダブルス、シングルスがありますよね?
ソフトテニスは基本的にダブルスなんですよね。最近はシングルスも増えてきましたけど。私は前衛で「ワーワー」言ってるタイプなんです。
私の弟も学生の頃軟式テニスをやってました。
でも大学出たらスッパリ辞めてしまいましたね。やりきったからなのか。
そうですね。私たちの仲間内でもそういうパターンは結構多かったです。
私も実業団チーム抜けてからは全然打ってはいないです。膝とかも痛いので。
現役の頃はすごく走り込んだり、トレーニングも厳しかったんで。終わってからは身体が使い物にならないので全然できません。
でも、東京サレジオ学園に来てから20年くらいですかね、隣の学芸大学のソフトテニス部のコーチをしてて。学生さんにアドバイスしながら、大会に行ったりしています。
確かに東京サレジオ学園のすぐ近くに学芸大学が見えます。
ソフトテニスには縁があるようですね。
この仕事をしながら、ソフトテニスもそういう形で続けつつって感じですね。
実業団で4年活動された後、どうしてここに?
たまたまですね。
ソフトテニス選手を終えたら、その職場に残るというのが基本なんですが、私は学校の先生か、教育系の仕事をしたいと思っていましたので。
父親も学校の教員やっていましたし、母親も元教員ですし。そういう家系だったので、自分もそういう仕事するのかなと。
職場を辞めるとき、たまたま求人票で見て、2年くらいこういう仕事もいいのかなって、あまり深く考えずに。
変わった仕事があるんだなあって入ってきたのがきっかけですね。あんまり児童養護施設がなんたるかもよく分からずに入ってきた感じでした。
そんなに「こうしたい」「ああしたい」っていうのがなかったんです。
2年という期限を決めて入ったということですね。
ほんとにそのつもりでした、正直なところ。
入ってから、必要な事を現場で学ばれた?
とりあえず目の前に起きていることをとにかくやっていかなきゃいけない。
子どもが困ってたら、大人がどうにかしなきゃいけないし。そんなことをずーっとやっているうちに、ここまで来たって感じですね。
振り回される性格なのか。人を振り回すところもあると思うんですけど。
ご結婚はされている?
してないです。
ここで見てきた子どもたちが自身の子どものような感覚ですか?
そうですね。一番最初に見た子が今40歳位。ほんとに付き合いの濃かった子たちで。最近その一人にちょっと用事で会ったら「離婚考えてるんだ」って言われて「どうしよう」って思いました(苦笑)。でもそんな後ろ向きな感じではなかったんで安心しましたけど。上手くいってるからって少し放っといてしまったかなって気持ちはあります。細かい相談をしっかりできてなかったなあって思うところがあって。もう少ししっかり一人ひとり見てあげられたらよかったなって思いますね。
入られたときにサレジオ会員がいたと思うのですが、覚えてることはありますか?
入った時は村上理事長、野口園長、濱口副園長。で、谷さん、西本神父さん、鳥巣修道士さん、阿部ちゃん、岩田さんっていて。すごくサレジオ会員の人数が多かったです。私は福祉の勉強もせずここに入りましたが、ここでは児童養護を学んだというより、サレジオの神父さんのお手伝いから入っていった感じです。そして徐々にサレジオ会員が減っていって、今はもう田村神父様お一人だけなんです。
だから、私たち協働者の重要なお仕事は、サレジオ会員の方々がやってこられたことをどう上手に今の形に変えて伝えていくかということです。
今、東京サレジオ学園には15年以上勤務していて、野口神父様や濱口神父様の事をよく知っているサレジオ会フレンドリーな職員たちが20人超います。
その職員たちはカトリック信者でなくてもサレジオ学園の養育に賛同し、日本におけるドン・ボスコ研究の一人者である浦田神父様が言われる「より良く生きる」というドン・ボスコの理念に共感して、子どもたちを伸び伸び育てたいと思いながらやっているので、その職員たちの影響は大きいです。
松浦さんはカトリックの信者ではない?
信者ではないですね。住職の息子なんで(笑)。
修道会が母体なので、キリスト教の宗教観やサレジオ会の青少年教育の理念がありますが、それを自分の中に受け入れるのに難しいことはなかったでしょうか。
それは私たちは人を通して学んでいるのかなと思います。サレジオ会員の方々を通して伝えられてきた。勉強していないための言い訳ではなくて、本当に。
野口神父様はなんでもご自身で動かれるんですよね。
一番大変な時にもすぐに動いてくださる方で、園長先生になってもそれは変わりませんでした。
私たちが管理運営をする立場になっても、難しい事や子どもが一番大変な時には管理職が入ろうというのはいつも皆で言っています。
それは野口神父様の姿勢を私たちも引き継いでいるところでもあります。
濱口神父様もとにかく時間をかけられるんですよ。そういう姿勢も私たちは無意識のうちに受け継いでいるところがあります。
夜遅くまで残っている人は経験年数長い人が多いんです。
しっかり時間をかけて側にいることは濱口神父様の姿勢から学んできてるのかなって。
後になって何かの機会にドン・ボスコの教育理念などを勉強するとき、腑に落ちる。そういうイメージですね。
実践ありきということですね。日本の師弟関係のような。
座学よりも現場で体験する。
それは誰の影響なのか、野口神父様や濱口神父様がそう思いながらやってらっしゃったかどうかは分からないんですが。
私たちは養育に関わる職員であることを大事にしていこうと考えています。
人と関わる仕事というのは、知識では到底学べないというか、その場その時に起こることが初めての事の連続っていうことですよね。
人の人生ですから。
子どもって一人ひとり全員、経験も特性も考え方も違うので。
私も長い間すごい数の子どもたちと関わってきて、特に高齢児、高校生の園舎に長く携わりましたが、今でも毎日発見があります。
「ふ~ん、そう思うか」って。一人ひとり違うし、何かが分かってるってことがないですね。
経験と勉強を何回も行ったり来たりして「これはこういうことだったんだ」と気が付いてまた行動して。聞いたり読んだりする中で理解する。実践と学問を行来することが必要なんだと僕は感じます。
いまだに日々発見がありますね。子どもと関われば関わるほど、色んなことを発見する。「発見がある」というと、綺麗な感じに聞こえるんだけど、「へ~え」って唸りながら毎日帰ってますね。いっつも唸っちゃう。面白いですね。
これまでに見てきた子どもたちの中でも印象深い子はいますか?
それは全員です。
やっぱり言えるのは、子どもはなんて言っても良い方向、よりよく自分が生きる力を持っているなって本当に思いますね。
子どもたちは、私たちが想像できないような経験をしてきてるんですよね。
よく研修とかでいうんですけど、たとえば「3歳の子が粗相してしまった。その時に血のつながっていない親から包丁を突きつけられた」という虐待の状況があるとします。その時に私たちが思い浮かべるシーンって大人が包丁を持って子どもに突きつけているシーンじゃないですか。で、「そういうことがあったんだ。大変だったね。よく頑張ってきたね」っていうふうに理解をして、分かった気にもなるじゃないですか。でも、子どもの目線で見えているシーンって包丁が目の前に迫ってくるシーンなんですよね。大人はそれをイメージできてないじゃないですか。
子どもが何を経験してきたかとか、子どもの目から何が見えてきたかっていうことは実は分かってないんですよね。
周りから見た子どもの姿は分かっても、実は子どもの目から見えているものは分かっていない。それに最近ようやく気が付いたんです。それも卒園生の子に「このDVD見てみ」って言って渡されたアニメの内容が「自分の目から見えていることが他の人からは分からない」っていうテーマだったんですけど、それを見た時に「ああ、そうか」と。「分かってるようで実は分かってないよ」っていうメッセージだったんだと思うんですよね。そこから「子どもの目に映っていることを私たちは分かったつもりになってはいけない」と、しっかり伝えようとしているんですが、実感として中々伝わらない。それに日々の生活の事に振り回されてしまって。それに子どもの傷をずっと自分の傷のように体験してると、それはそれで大人も持たない。
辛すぎるということですね。
だから、私たちは「分かっていない」ということを理解する。
子どものことを理解しきれないって分かった上でやっと、子どもたちの体験や経験、今やってる事をちゃんと尊重できるじゃないですか。
例えば、子どもがちょっと悪いことしてたとする。それは"良い"か"悪い"かで言うと"悪い"となる。でも、その子の様々な経験があった上での今のこの行動なんだと思うと、それも大事にできる。子どもがやる"よくない"行動も大切にできるようになると思っているんですけど、中々そこまでいかない(苦笑)。
ずっと子どもと関わってきて、やっぱり大人は分かってるようで分かってない。
そのことを大事にしていくのが必要なのかなって思います。
深いですね。私も現在子育て中なので「大人は分かっているようで、分かっていない」という言葉には、反省させられます。
でも、いわゆる核家族と違い、東京サレジオ学園では子どもたちを「チーム」で見ていますよね。
ここでは縦割りで、幼稚園児から高校生まで一つの園舎で見ています。
園舎の事を「家」と呼んでいます。今は大体子ども8人が基本で生活していますね。
そういえば、夫婦が喧嘩する時って子育てのことが多いっていうじゃないですか。やっぱり子育てって本当に難しいんだなって。
そうですね。夫婦もそれぞれ育った環境や育てた人の考えが違うので、どうしても意見食い違いが出てきますね。
子どもに関わるあらゆることで。
思っているより小さな事が気になると聞きますね。
教育方針の違いで離婚をするという話もよく聞きます。
そういうところが一人ひとりの価値観が出やすいところかと思いますが、東京サレジオ学園の職員たちは大体、常勤職員5~6人と非常勤職員2名程の6~8人がチームで養育をしていて、必要に応じて事務の方から専門職員がお手伝いに入るという体制で携わっているのですが、職員たちはあまり喧嘩しないし、あまり揉めない。
この業界ではチームで携わるのは結構難しいと聞くんですが、職員たちが揉めない理由は明確には分からないんです。
ただ、入職時に当施設の雰囲気を明確に伝えてるんですね。東京サレジオ学園の養育方針をしっかり伝えて、それでも来たいという人に来てもらう。
養育方針の一つに、ルールを守らせることを第一義にしないというのがあります。
施設というとどうしてもルールがあるじゃないですか。ルールがあるとルールを守らせるために職員が働かなくてはいけなくて、子どもがルールを守るか破るかという軸で考えてしまう。もちろん、「何時くらいになったら寝よう」とかそれくらいの決まりはあるんですが、それを「ルールだから」としてしまうと急に"人"がいなくなるというか"人"でなくなる。
「もう遅いかなら寝るよ」「明日起きれないでしょ」とか「学校の授業中に眠くなっちゃうよ」というようにその子どもを軸に話しをするのと、「もう8時半だから、就寝時間でしょ」っていうのと全然違うじゃないですか。
ここでは「ルール」という言葉を使うと、子どもが中心にならないし、子どももそう受け取ってしまうので、なるべくルールを少なくして、職員と子どもそれぞれが必要な事を考えて、やり取りするっていうことを大事にしている。
あとは、優等生で礼儀正しい人を育てたいと思っているわけではないので、優等生の職員さんに来て欲しいわけではないと伝えています。
2024年4月から職員が100人を超えるんです。103人の常勤職員と17人の非常勤職員の体制で、とにかくバラエティに富んでます。
多種多様な個性の人が集まっていますが、様々な得意分野の人が同じ「サレジオの養育」という目標に向かうことが、一番子どもを受け入れる器が大きくなると思っています。同じ考え、個性の人の集まりだと、一つの器でしか受け入れられなくなる。
一つの器だとはみ出してしまう子が出てきてしまうという事ですね。
ルールがあるとそのルールに入る子どもしか育てられないけれども、そうではなくて、その子どもにとって何が必要か、今やってる事にどういう意味があるのかっていうことを一つひとつ考えて、子どもを見ていきたいというふうに思ってはいます。できているかどうかは別ですが。だけど、職員は皆そう思っている。特に長く勤める職員たちはそう思ってやってくれていると私は感じています。
お話を聞いていると、松浦さんご自身の正直さがそのまま言葉や話の中に表れていると感じます。
子どもに関わる上で「正直」というのは大事な要素だと思われますか?
皆が皆、私と同じタイプだと、子どもももうウンザリしてしまうと思います。多種多様なのがいいと思います。私は正直というか、せっかちなだけで(笑)。
綺麗事というか上っ面の仕事で時間が過ぎていくのが本当に嫌なので(笑)。
結構ズバッと言うようにしています。「時間がもったいないから、正直にいこう」っていうのはありますね。
子どもも大人が何を考えているかが分かる方がいいと思います。特に虐待を受けてきた子は、大人に対する恐怖や不安が強いので、大人が自分を開くっていう事がとても大事なことだと私は思っています。子どもの信用を得るには、考えていることをちゃんと正直に伝えることは大事です。
大人は自分は何も言わないのに、子どもに「本当に思っていることを言ってごらん」とか、子どもにだけ開示とか言語化を求めることが結構ありますよね。その前に大人が「私はこう思っている」と自分を開けるっていうのが大事だと思っていますね。
といっても、何でも言うわけではないですよ(笑)。
それはコミュニケーション上の範囲でという事ですね(笑)。
そんなこともないか(笑)。皆、職員にも「丸分かり」ってよく言われます(苦笑)。
生活のほとんどをこの場(東京サレジオ学園)で過ごしてらっしゃると思いますが、好きな時間や行事、日常の場面などありますか?
大体朝から事務所にいて、17~19時くらいまで色々用事があって、その後、遅く帰ってくる子たちと園舎で一緒にご飯食べて、高校生とか部活の準備とか必要な子達がいるので、その手伝いをしてますね。部活終わりで足が痛いって言う子がいたら、ストレッチを手伝ったり。
毎日子どもとたくさん喋る訳でもないし、勝手に一緒にご飯食べてるだけなんですが。
ある子どもから「そんなに話とかしなくていいじゃん」って言われたことがあって。それはすごく「深いなあ」って思って。
その子は重い虐待を受けてきた子ですけれど「無理に喋んなくても、お互いに勝手にやってればいいじゃん」って言ってたんですよね。それが印象に残ってて。無理して喋ったりしなくても。あっ、これはドン・ボスコの言う「共にいる」じゃないですか(笑)!
まさにアッシステンツァ!* サレジオ教育の基本ですね!
高校生が部活から帰ってきて、一人でご飯食べる場面もあるので、そうならないようにって訳でもないですけど、私もその時間にいつも合うので。
園舎でご飯食べながら、二言三言話しながら。子どもは携帯見てますし。
一日事務所にいると、色々な事に対応しなければいけないので、実は私自身が落ち着く時間になってるのかなって思います。
子どもたちが落ち着いてると私も安心しますし。
子どもたちも松浦さんが息抜きできる時間だと分かって、受け入れているのかもしれませんね。
「ジジイ、サボってんな~」くらいに思ってるのかもしれないです(笑)。
普通の生活を普通に送るってことに価値があって、実は意味があったりすると思います。双方にとって。
若い頃ソフトテニスに打ち込んでいたというお話を聞きましたが、現在打ち込んでいる趣味などはありますでしょうか。
学園の子どもたちとウダウダしてる時間もいいのですが、最近卒園生の子どもを見ることが多くなって。
少し前まで卒園生の結婚というと、相手の家が婿養子に迎えてくださることが多かったんですよ。そういう場合、後々あまり手助けが要らないケースが多くて。最近ですがあまり親の手助けのない卒園生の家庭が近くにあって、共働きで子育てが大変で。時々子どもを預かるんですよ。もう3歳くらいになりましたけど。ほんっとに可愛いです(笑)。
おじいちゃんの感覚でしょうか。
はい、本当に。
まあまあ、リアルにおじいちゃんです(笑)。保育園に迎えに行ったりしてるので。
可愛いですね。
他の卒園生たちも子ども連れてきますが、私たちが言ったり、やったりしたことが卒園生の子どもたちにそのまま繋がっていくことを最近現場で見ることが多くて。先につながる素晴らしさと恐ろしさ、両方とも感じますね。ほんと言った通りに言ってしまうから。
真面目な話になってしまうなあ。楽しいのは、やっぱり卒園生の子どもと遊んでる時。それが一番面白いですね。
小さい子と遊ぶのが楽しいというのは、なかなか言える言葉じゃないですね。
そうですか(笑)、皆よく子ども連れてくるんですよ。
世のおじいちゃんたちは孫と遊ぶのは体力的に辛いという話しをよく聞きます。
それは間違いないです!私ももう本当にギリギリですね。
子どもと遊ぶのって体力要りますよね。
要ります。ついていけませんよ、本当に!
でも、可愛いんですよ。それが一番の楽しみ。
卒園生の子どもも可愛いんですけど、ちゃんとお父さんをしている卒園生も可愛いです。子どもばかり可愛がってもあれだから。卒園生の事も大事にしつつ。
人の人生に関わるって言うのは、客観的に見るとすごい重責ですよね。
でも、松浦さんからはそう言う悲壮な感じを全く受けないのは何故でしょうか?
まだまだ自分自身、責任が分かってないんでしょうね。結局目の前にあることをやるしかないっていう。それでやってるので。
私はただただ流されている感覚なんですよね。本当は。したい事や成りたいというのは全くなくて。
入ってからこれまで、ただただ流されている。目の前で必要と言われることをとにかく対応するっていうのでここまで来ている。
今年のストレンナ「ドン・ボスコの夢、わたしたちの夢」じゃないですか。でも私自身本当に夢がなくて、とにかく目の前の目標。
ソフトテニスやっていた時も、何かふわっとした夢とか全然なくて。とにかく、目の前の目標をこなして、気がついたら、全国大会の決勝に立ってた。そんな感じだったんです。一つ一つやっていたら分からないうちに。
ここに来ても、「長い間勤めてこういう風な養育をしよう」って言うのは全然なくて、ただただ目の前の子どもに起きていることに振り回されながら、対応して。で今ここにいる。だから今後こういう養育をしたいっていうような偉そうなことは言えないんです。ただただ、子どもたち一人ひとりが考えていること、困っていることにどうにか対応できるようにしたいと思って、ずっとできずに来ている。あまり達成感もないし、不全感がずっとある感じですね。うまくいっている子どももいれば、必要に応じてあげられなかった子もたくさんいたと思うんですよね。そういう経験あるので。
自分のできなかったことは残るんですけど、5年、10年経ってその子たちが社会で他の人や自分自身で私たちのしてあげられなかったことを埋めて、大きくなったよって帰ってきてくれる時に「ありがたい」って思う。
私がどうにかしなければと昔は思ってたんですけど、社会に委ねるとか神様に委ねるとかっていうのは、こういうことなんだろうなって。だからこそ自分のできることを精一杯やろうっていうことに繋がってるのかなと。今話しながら思いました。
私が本で読んで知っているドン・ボスコがやっていた事は、単純にその時代の困っている子どもたちのニーズに応えただけだった。
さらにもっと困っている子どもが世界中にいるからサレジオ会を作って、世界中に派遣していった。
目の前にあるニーズに応える。それがドン・ボスコの理念の基本だと思います。
そして、松浦さんはそれをそのまま体現している。
それは、私だけじゃなくて、職員も皆そうだし、私たちがそんなにサレジオ会について学ばずにこういう理念を持って働いているのは、野口神父様や濱口神父様がやってらっしゃったことがそうだったから。私たちは無意識のうちにそれを学んで、養育をやってきたっていう流れはあるんじゃないですかね。
子どもたちもそうやって育つから、親になって、自分の子どもを同じ理念で育てていく。
それができるかどうかは、まだ分からないですね~(苦笑)。ちょっと目が離せないっていうのを最近感じました。
子どもって育てた人たちの影響を大きく受けると言われています。いい影響を子どもたちに繋いでいけるかが大事なことだと感じます。
学校の先生は仕組みや組織があってその上で物事を伝えるっていう仕事があると思いますが、私たちは伝えようと思って何かをすることはなくて、職員一人ひとりの在り方がそのまま影響を与える。そこから子どもが何を受け取るかは子どもに委ねられていると思っていて。
それに人間一人ひとりの生まれ持ったパーソナリティっていうのも強いと思っていて。少し前にいた子で、幼い頃からずっと虐待環境にあったのですが、スポーツにしても勉強にしてもすごく頑張るんですよね、悪態つきながらも。
あとでだいぶ踏み込んじゃったなあって思いましたが、その子が中学生の時に「あなた大人の事は誰も信用してないのに、なんでそこまで頑張れるの?」って聞いたら、車の後ろでゲームしてたのをやめて、急に前覗き込んで、「そう思うでしょ」って。私も「思う」って。「俺も分かんない」って言って、またゲーム始めたんですよ。何かすごく新鮮だったんです。自分でも分からないし、大人の事も信用してない。でも頑張りたいんだっていうのはすごく伝わってきて。子ども一人ひとりが考えてることとか、持ってる意思とかは大人ではどうにもできないくらいのものがあるんだなっていうことは思いました。
大人としては子どものことを支えるしかない。やりたいように、納得いくまでやりなさいっていう気持ちで、大人ができることは全部やるっていう姿勢でずっと関わってます。今とにかくあなたのやりたいことを尊重します、全力で支えますよって感覚なんですよね。大人が何か影響を与えることっていうよりも、子どもたちが考えてる事やなりたい自分、将来の姿みたいなものをどうにか実現できるようにという考え方で関わってる事が多いかな。職員たちは。
私自身、一人の親として考えさせられる言葉ですね。
そして、子どもたちへの想いが溢れ出ているのが伝わります。
最後にお聞かせください。あなたの宝物はなんでしょう?
この仕事なんでしょうね。子どもっていうと所有物のような感じがして。
子どもは皆自分の人生を歩んでいくので。
養育をする。子どもがなりたい姿になるべく近づけて。まあ、そんな綺麗事には行かないけどなあ。
そういう思いを持って関わって、彼らが生きていく中で大事な部分を支えていく。それが仕事で本当に良かったなって思います。
私も自分自身、本当に難しいところもあったし、自分の「家族の葛藤」もあったんですけど。この業種に携わる人は「家族の葛藤」を大なり小なり抱えてると思います。人と関わる仕事の中で、自分と向き合ったり理解したりする機会をもらっている。さらに子どもたちの将来に繋がるお仕事ですから、いいですよね。
そういえば最近、通常業務ですら大変なのに、少し前に始まった園舎の建替や分園に向けての業務が重なって収拾つかないと思っていたのですが、仲間の職員たちが頼もしいなあと思っています。以前までは最後まで自分でやらないと気が済まなかったし、進まない事が多かった。でも最近は私が気がつく頃には済んでいる。そういう時に「ありがたい」って思います。一緒にいる人たち大事だなあって思ったんですよね。大人も子どもも関係なく。私がここで仕事をするのを支えてもらっているのはありがたいなあって思います。
サレジオ会の協働者として、東京サレジオ学園を支える人として相応しい言葉ですね。
協働者の在り方については私自身思うことがあります。
東京サレジオ学園だけでも私が入った時のサレジオ会員8人から今は1人になってしまった。しかも職員30、40人のうちの8人だったのが、今は103人のうちの1人になっている。子どもの数は変わっていないんです。それでもこの東京サレジオ学園をサレジオ修道会の養護施設として残していきたいっていう気持ちは強くて。でも自分が携われるのがあと数年。今後どう繋げていくのかを真剣に考えています。
話していて思ったのは、サレジオ会員の方々には姿で示していただくっていうのが大事なんだと。私たちはそこから学んでいく。今ここでやっていることはフランシスコ・サレジオやドン・ボスコが考えてることから遠くはないと思うんですよね。でも私自身元々そういう人間だった訳じゃなくて、一緒にいたサレジオ会員のやっていることを見ながら、そういう関わり方いいなと思った人たちが受け取って、実践して、今残っている。
サレジオ会員の方々には行動で見せていただいて、共鳴する人たちをしっかりキャッチしていって欲しいです。そうすれば東京サレジオ学園らしく続いていけるのではないかと思っています。どうしても今後はサレジオ会員は皆、管理者の立場になっていってしまうと思うので。
私たちも好き放題やらせてもらいつつも責任は修道会に持ってもらうというこの自分勝手なスタンスは百も承知の上です。
「管区長様*すみません」って思いつつ、サレジオ会員たちの姿や行動を若い人たちに見せてあげられる場所をちょっとでも残しておいていただけたら、そこに共感する協働者はいるんじゃないかなって思っています。そういう人をしっかり掴んで続けていけたらと思っています。
協働者についての答えがそれ以上ないくらい的を射ていますね。
修道会も大変だと思うんです。でも責任をとっていただくのは修道会にお願いしないと、私たちもこんな大きい資産と100人の職員と100人の子どもを預かるのは一般の人間には到底難しい。ただ、私たち職員はやれることはやりますので、っていう姿勢でいると思います。そういう中で私たちも田村神父様に頼る部分もあるし、田村神父様も私たちに頼る部分もあるでしょうから。田村さんもざっくりいうと私たちと同じ「大らかな人」なので。だいぶ言葉選んだけど(笑)。
園長先生で神父様だから別っていう感覚はないですね。皆と一緒にああだこうだ言いいながらやってる感じですね。
協働者に関するヒントをいただきました。
昨年末に「日本カトリック児童施設協会全国会議」っていうのがあって、全国のカトリックの施設が集まったんですけど、地方では本当に状況が厳しくて。職員の数が少なかったり、子どもへの支援も東京ほど恵まれていなかったり。
なかには信徒が始めた施設もあって、修道会などの支えが無い中、カトリック施設として一生懸命やっている話を聞いた時に、ここは恵まれているんだなあと思って。でも、その時に初めて修道会の名前を冠している児童養護施設ってここだけだと気付いた。それって責任重いなあと。その責任を分からないからやってこれたんでしょうね。サレジオ学園で何か起こったってなると、サレジオ会とダイレクトに結びつくじゃないですか。
もちろんです。サレジオ会の根幹の事業ですから。
それは私も気づかずに本当に目の前の事をやっていた。10年前には経営危機もあったのですが、それもとにかく対応して、どうにかする。
起きてるトラブルを解決するだけでやってきて。あまり責任に気付かないからやってこれたんだと思います。
神父様が理事長と園長をやってくださるっていうことのありがたみっていうのはしっかり感じないといけないと改めて思いました。
松浦さんが協働者でなかったら、立ち行かなかったところもあったかもと思います。
そういうタイミングもあったんじゃないかと想像します。
もちろん私以外の長く関わっている職員たくさんいますし、同じ気持ちで仕事にあたっている職員はたくさんいるので、それが大きいですね。
サレジオ会員が感謝しないとですね。
いやいや、私も時々言いたい放題になってしまうので(笑)。
現在理事長である村松神父様も一緒に園舎で働いていた時期があります。
やってほしい事もあるんですが、距離*もありますので、それは言うのをグッと堪えて、こちらで対応しますと言います。そんな話をした後に、ご自身のFacebookでマジックショーが上がってた時は「ムムっ(怒)、」となります(苦笑)。
そういう事も含めても、村松神父様は上手く纏めてくださる。
村松理事長と私と田村神父様、それぞれ54歳、53歳、52歳なんです。私が真ん中で、歳が近いっていうのもあって。
年齢が近いと話しやすいでしょうか?
学園で一緒に養育をやったというのが大きいですね。
学校の先生と違って、ここで一緒に働くということは"家"を構成するので一つ関係が深くなりますよね。
それは職員皆にも言える事かな。事務所で働いていても、勤務時間だけの付き合いではなく、「一緒に子どもたちを育てる」というところが関係も深まるのではないでしょうか。
経験したことのない人間には分からない感覚かもしれないですね。
そうですね。こういうのを大きく「ファミリー」っていうんでしょうね。
職員の家族構成も把握していないと、仕事をどこまで頼めるかも判断できないので。全部考慮しながらやってますね。ここが「家庭的」なのはそういう影響もあるかも。
ここにいる人たちの心温まるエピソードはいっぱいありますよ(笑)。おばちゃん泣かすくらいの。それくらい職員が子どもにちゃんと向き合っているっていうところはあるのかなと。できなかったことももちろんたくさんありますし、綺麗事ばっかりではないんだけれども。
それでも皆日々追われながらやってるっていうのがここなんですかね。
(終)