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映画鑑賞雑文「ジョーカー」2019年

もう公開時、全世界的に話題になっていたジョーカー。これが話題になっている時代は不幸か幸福か。というマルクス的な英雄を云々というので捻くれても仕方ない。
これ、劇場でわざわざ当時観に行ったのですが、その時は「なんやねん。思いっきりスコセッシやんけ。というかタクシードライバー舐めんなよ!こんな病気の無思想な人間なんかよりトラヴィスの方がよ!」と悪態を吐き、「まあデニーロを射殺したのは世代交代的な演出としては悪くねえ!」
などと宣っておりました。
今回、Netflixでまだ未鑑賞だった「たぶん、君はこれ好きやで」と思えた奴と鑑賞していたのですが、前言撤回である!
観てる間、「やべえー!ジョーカー!最高かよ!!!」と何度も鳥肌が立ち、劇場で観た時もWASPな証券マン達を射殺した件では、ガッツポーズしてましたが、そういうガッツポーズの連続過ぎて、あの時劇場で観た俺はなんか心が死んでたのか?と思えるくらいに興奮の連続。
ジョーカーについてはもう百万語、そこらの評論家や社会学的に考察している奴らもいるでしょうし、今アメリカで問題のインセルだとか、日本においても秋葉原事件の加藤なんかと絡めて語りたがる奴らが視界の端に雲霞の如く想像できますし、果てはニックランドだのオルタライトだの加速主義だのと絡めて語りたがる奴らも想像に易く、たぶんそういう奴らは全員ジョーカーに乱射されんじゃねえの?
と斜に構えて見るしかないよね。
劇中の行動が妄想か、どうかなどの考察はあえてどうでも良いのですが、孤独と最終的に追い詰められた先の爆発、スペクタクルとしましては、僕は高倉健的仁侠物が過ったし、それ以上に、警察車両内における暴動とその光景を眺めながらの、「I Know」と「beatiful」に全てが詰まっていると思う次第です。
そう、虚無的な破壊者、野蛮なテロリストだけが感じる事の出来る、美と、達観。
無為、無力なテロリズムや暴力を批判、嘲笑する者共には決して見られない(見たくもないだろうが)な光景はベタに車両の上でラストダンスを踊らせるという蛇足無しにも完結出来ます。
そして、その蛇足すら完璧と思わせる跳躍、爆発までの瞬間にこそローラーコースター的な快楽があるのだと思いました。
嗚呼、君達はその美に恍惚たる微笑を以て応えられるか?

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