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ロング・ロング・ロング・ロード Ⅲ 道北の蒼 道央の碧 編  3

 取り敢えず今夜の宿に荷物を預けた。値段の割にはちゃんとしたホテルマンがいるホテルだった。この二泊は気持ち良く過ごせそうだった。稚内の印象もいいものになるだろうか。
 軽くなった相棒で稚内の市街を流して走る。
 初めて生で見た稚内港北防波堤ドームは格好が良かった。ギリシャ建築のような柱がずらりと並び圧巻だった。とてもテンションが上がる建築物、いや建造物だった。
 ドームの中は走れなかったが、500メートルほどある前面の道を、俺は嬉しがって何度も何度も往復した。馬鹿である。
 ひと通り満足したところで、隣にある日本最北端の駅、稚内駅へ行き「最北端の線路」を見て、あとは駅構内を見て回った。昔、立ち食い蕎麦屋があるという記事を読んだことがあったが、今風な駅舎に立て替わっていて、蕎麦屋はすでになくなっていた。俺はこれっぽっちも趣を感じられなかった。しかし、これが二十年もすれば趣ある建物として変わるのだろう。そんなことを考えている時に併設されている道の駅の看板を見つけ、慌ててスタンプをゲット。危うく忘れるところだった。
 駅を出ると、霧のオロロンラインが嘘のように、空には青空が戻っていた。
 しばらく稚内の街を走り回った。飲み屋街はホテルから少し離れていた。
 このまま一気に、最北端の宗谷岬へ行こうと相棒を走らせた。だがその前に、明日乗るフェリーの下見に行こうとハンドルをまた港へ向けた。
 稚内フェリーターミナルは簡素で綺麗な新しい建物だった。やはり他のフェリー乗り場と同じような、淋し気な気配が漂っているように俺は感じる。
 発券カウンターに行って、明日の時間やルートや料金のことを尋ねた。勿論、何度もネットでは調べてある。車は予約が出来て、バイクは予約出来ないことも。
 「まだハイシーズンの手前なので満員で乗れなくなることはないと思う」
 大きな目をした可愛げのある女性職員はそう言った。バイクは予約出来ないのだから、念には念をだ。
 その女性職員から色々な情報を貰いながら、明日の利尻・礼文の二島巡りの行程を決めていった。
 06:20発の礼文島・香深行きにするか、07:15発の利尻島・鴛泊行きにするか。ここは、向こうでの時間が少しでもあった方が良いと考えて朝一番の06:20発の礼文島から回ることに決めた。職員もそちらの方が良いと勧めてくれた。ちょうど良い時間の香深から利尻の鴛泊へは13:25発しかなかった。昼飯は礼文で食うことになりそうだ。利尻・鴛泊に14:10着、そこから稚内への最終便17:45発までの三時間で、礼文より広い利尻を堪能することになる。女性職員が言うには、一時間もあれば島を一周出来るそうだ。それならば大丈夫か。
 すべての情報を、しっかりとメモに取った。ガラ携にだ。
 女性職員に礼を言ってカウンターを離れた。すると背中に、「30分前には手続きが済むようにして下さいね」と言葉が当たった。振り向くと、笑顔を浮かべた女性職員が俺を見送りながら、同じ文言をもう一度言った。
 話で聞いた乗船の流れを予習したあと、気分良く晴れた空の下、相棒を走らせていると、国道40号線沿いには色々なチェーン店の日本最北端が並んでいた。
 信号待ちでガラ携を取り出して時間をチェックしたら、もう昼前だった。
 ちょうど腹も減っていたので、目に入った右斜め前のハンバーガー屋の日本最北端店へ入ることにする。
 ベンチの真ん中に座った赤鼻のドナルドも、最北端店舗の標識の横で自慢げだった。
 新作のハンバーガーのセットを注文し、テーブル席で地図を広げながらこれからのルートを模索した。
 明後日稚内を出る時に、宗谷岬から先をぐるりと回ろうと考えた。だから今日は宗谷岬を堪能したあと、内側にある道を色々と走ってみようと決めた。
 注文したハンバーガーが運ばれてきた。明日行く礼文島の地図を見ながら、新作のハンバーガーにかぶりついた。安定の美味しさなのだが、思っていたものに何か足らない気がした。齧ったあとを見てみても、何が足らないのか判断出来なかった。新作なのだから当然か。こんなものかと思いながらもう一口齧り、熱々のポテトを摘まんでいると、「申し訳ありません」と、お盆を手にした店員がやって来た。
 聞いてみると、トマトを挟み忘れたらしく、新しい商品を持って来たと言う。俺はこれでいいよと言ったのだが、是非と言うので引き取った。
 トマトなしとトマト入りの二つと、ポテトとホットコーヒーで満腹になった。やはり、トマト入りの方が美味しかった。当然か。
 店を出て相棒に火を入れた。少し風が吹いていた。
 国道40号線から海沿いに走る国道238号線へ左折した。あの先に見えるのが宗谷岬か。
 海風が強くなった。
 いつも通りにのんびりと走らせていく。
 ドンドン車に抜かれながらも、左車線をのんびりと行く。
 さっきのフェリー乗り場の大きな目をした可愛げのある女性職員が、話の途中でサラッと口にしていた「明日も霧が出るかもしれませんけど……」の言葉が俺の頭に不意に擡げた。嫌な言葉だ“霧”っていうのは。
 稚内空港の横でネズミ捕りをしていた。俺を抜いて行った白いレンタカーが捕まっていた。そして空港の終わりと共に片側二車線だった道が一車線に狭くなった。
 海風は幾分強さを増していた。
 まだ遠くに見える岬は台地のようになっていて、天使の階段が台地の蒼を輝かせていた。あそこも楽しめそうだと思い、俺は頭の中で地図を広げルートを検索した。確か道道889号線だ。
 ドンドン、ドンドンと近づいていくと、台地の上には何本も白い風車が立っているのが見えた。台地ではなく丘なのだと気づいた。
 そして宗谷丘陵・道道889号線の標識が現れた。
 『丘陵』、美瑛で丘馬鹿になった俺には魅力的で、字を見るだけで心が躍りそうな言葉だった。
 さっき在った雲はスッキリと消えてなくなっていた。
 先ずは宗谷岬だと思い直して右手に上ってゆく道を断ち切った。あとで走るのが楽しみになった。
 しばらく進むと、先にある右カーブの向こうに港らしきものが見えた。漁港だった。何となく気になったので俺は漁港へ進路を向けた。
 幾隻も並んで停泊している中に、小樽のシノチャンの瑛篠丸は流石になかったし、何台か車も停まっていたが、その中に高峰と丘崎が借りているレンタカーや、横浜の大学生が運転していた五十川隆俊名義の、オンボロの白いワンボックスの姿もなかった。
 それよりもこの港の周りには人家らしきものが一つもなかった。差し詰めここは、ヨットハーバーならぬ『漁船ハーバー』といったところだろうか。
 港へ入った道はコの字を描いて再び国道に戻っていった。誰もいないのに何かが突き刺さる気がしていた。
 国道に出る直前、二人の男が乗る乗用車が港向きで道に停まっていた。何か、とても嫌な感じがした。
 俺はそ知らぬ振りでその横を通過した。
 警察だろうか?いや、警察にしては殺気の消し方が半端ない。俺がボケてきた証拠なのかもわからないが、得体の知れないものというのが本当のところか。気色が悪かった。
 気にしていなかったので気がつかなかったが、多分、港の入口にもいたのだろう。もし警察なら、高峰達やあの横浜の大学生が関係しているものなのだろうか?それともまったく別の何かだろうか?嫌な感じだけは間違いなかった。
 国道に出て宗谷岬を目指す。オロロンラインと同じように海と丘陵に挟まれた道が気持ち良さ過ぎて、気色の悪いことはどうでも良くなった。俺にはまったく関係がないのだ。けれども、宗谷岬まではあっという間だった。
 宗谷岬の駐車場は、観光バスやレンタカー、そして他府県ナンバーをつけたバイクがゴロゴロといた。道理で近頃、走行中に左手を挙げる回数が多いはずだ。
 俺は、三角モニュメントに一番近い場所に相棒を停めた。他のバイカーに声をかけられるのではないかと思うと、少しぞっとした。話しかけるなオーラを全開に放った。
 風がとても強かった。
 俺は記念に写真を撮りまくり、北の最果てに来たのだと、しばらくの間、車止めに座った状態で満足感に包まれていた。
 その間、次から次へと観光バスが来ては出てを繰り返す。その都度、鉄の箱から吐き出された人の群れは、どれも同じように三角形のモニュメントと自撮りして少しの間、海を眺める。そして強い海風にさらされて、土産物屋かトイレの方へと移動してゆく。その動く様が何かのリプレイを見ているようで、とても馬鹿げているなぁと思った。それはバイク乗りも同じだった。ほとんどがグループで、チラホラと俺のような奴がいるのだが、俺みたいにボーッと最北端から海を眺めることもなく、あっという間に去っていく。
 ありがたいことに誰も俺に話し掛けては来なかった。少し身体は冷えたが、疲れは取れた。
 来た道を戻って、やっと道道889号線へ左折した。
 谷合の上り坂は何も楽しくなかった。遠くに牧場らしきものが見えて俺の中の期待値が高まっていった。
 右側が少し開けた場所に出ると遠く向こうに風車の群れが見えた。けど、俺の待ち焦がれていた丘の世界には程遠かった。左手はまだ斜面があって風が弱かった。
 そのうちまた両サイドの視界が塞がれて、風が段々と強くなっていった。
 そして右側だけ完全に視界が開けた。蒼の波の向こうで無数の風車が乱立しているのが見えた。この景色が見たかったんだ。
 右手に気を取られながらゆっくりと進んで行く。すると左側に青くて四角い看板にPの字とカメラのマークがかかれているのに気がついた。すると一気に左の視界が広がって、それまで丘で遮られていた海風が俺をこれでもかとばかりに打ちつけた。
 地面の白いものはホタテの貝殻を粉砕したものだろうか?その白い小径に進もうかと考えたが、この強風の中、舗装されていない砂利道に入っていく気にはどうしてもなれなかった。
 少し走ると左手に駐車帯が設けられていた。風を気にしながら相棒を停めて、跨ったままで俺は感動を独り占めした。真っ青な空と白波立つ海をバックに、蒼の波はとても綺麗な波形を見せつけていた。
 見渡しても俺以外には黒い牛の群れしかいなかった。十勝とは違う牧歌的な風景だった。
 風が弱まったので相棒から離れ、俺は夢中でこの世界を切り取っていった。何枚も撮ってから小さな画面で確認する。しかし、余りにも小さ過ぎて、本当に思ったこの世界を切り取れているのか判別出来なかった。
 しばらく悦に浸っていると、随分うしろを走っていたはずの一台の乗用車がこちらに向かって来るのが見えた。
 そろそろ先に進むか。そう思って俺は相棒に跨ってアクセルを開けた。
 気持ち良い蒼の波間の道を走っているのに、時折吹きつける強い横風だけがとっても邪魔だった。バランスをとるのに苦労した。
 それでも俺は、所々で道の端に相棒を停めて、どうせ今夜PCでチェックして駄目なら消去すればいいのだと開き直って、相棒に跨ったままこの宗谷丘陵を撮りまくった。
 うしろからやって来た車も雄大な景色に感動したのだろう、俺がさっきまでいた駐車帯に入って停めていた。流石にこの風だ、車から出るのを躊躇っているのだろうか。まぁ充分ガラス越しでも堪能出来る景色だ。そう考えて、また相棒を進めた。 
 蒼の波の上に立っている幾つもの白く大きい風車は、すべてが綺麗に回っていた。壮観だった。
 どれもこれも、ここにしかない景色達だ。
 遠くに標識が見えた時、風が強く強く俺を吹き曝した。危うくこけそうになるぐらいに強かった。負けないように相棒を操った。標識には←宗谷岬と出ていた。
 弱気になった俺は風上に向けて左折した。
 向かい風の宗谷周氷河ロードを走っていく。流れてくる匂いで牛舎が先にあることがわかった。前から来る風はいつものことだった。
 下り坂になった。グラデーションになった海と空がこの世のものとは思えないほど美しかった。
 宗谷岬平和公園の看板に釣られたが、先ずはそのまま真っ直ぐ先に進んだ。
 けれど心沸き立つ風景は直ぐに消え、急な下り坂のあと住宅街になり国道238号線に出てしまった。
 俺はどうしてもあの看板の先の景色が見たくなった。
 狭い道で何度か切り返しUターンして、さっき下りてきたばかりの急な上り坂を今度は上っていった。
 看板の道を右折した。曲がってもまだ上り坂で視界は開けていなかった。
 もうすぐ坂の頂上に来るところで、目の前の視界が一気に開け水平線が広がっていた。良かった。素直にそれだけを思った。
 道は草原の中を通っていた。まだ風は時折強く吹いたが、草原の向こうに丸く海が広がっている。最高の道を見つけた、流石は俺だと自惚れた。
 左手に建つ洋風の風車のある建物は、それっぽ過ぎる感があって、少しだけどうなのかと感じた。
 でも走っているうちに、それがあるからこそ、180度以上ある丸い水平線が引き立っていることに気がついた。
 ふと、何処までが日本海で、何処からがオホーツク海になるのだろうと思った。
 下り坂がきつくなって、海が広くなっていく。
 赤と白の縞模様の灯台が目に入った。そしてその横が公園だとわかった。
 公園でも風は時折強く吹きつけた。青い空、白波立つ海、二つのモニュメントと小さな展望台、それに草の蒼。それらをバックに俺は相棒の記念写真を撮った。
 公園の横にあるラーメン屋から良いスープの匂いが、二つもハンバーガーを食べてしまい、まったく腹の減っていない俺の鼻の中へと流れ込んできた。拷問のようだ。
 何台か車とバイクが駐車場に停まっている。さぞかし美味いのだろうと地団駄を踏みそうになった。俺のようなフリースタイルの旅では、よくあることだとすでに認識出来ていたので、グッと我慢して、公園と灯台の間の急な九十九折を下りていった。
 さっきいた宗谷岬の駐車場の前に出た。俺は右折して、最北端のガソリンスタンドで給油することにした。
 料金を払うと、最北端ガソリンスタンド給油の証明書と小さなホタテ貝の貝殻で手作りした安全祈願のお守りを貰った。
 強風の吹く今日は丘の道を諦めて、海沿いの国道をぐるりと回り、猿払の道の駅まで行こうと決めた。
 宗谷岬にある街を抜けると、海と蒼しかない道を進んだ。
 遠くに見える稜線に一つだけ三角山が突き出していて、その下にオホーツクの海からも三角の岩が突き出していた。この二つのコラボが、何故だかこの道の売りの一つのように思えた。風が弱くなっていた。
 前方だけでなくバックミラーに映る後方にも、素晴らしい景色が広がっていたりした。本当にいい天気だ。そう思っていたら、右手に見える丘の上の空には、いつの間にか灰色が覆い始めていた。
 猿払村のカントリーサインは、今日走ろうと思っていた道道1077号線を過ぎて直ぐに現れた。描かれているモニュメントのようなものが何なのか、疑問も浮かばなかった。右手の空以外は晴天で、お天道様の下、ずっと信号のない道だから俺は呆け過ぎていたんだ。
 猿払を進むと雲行きが悪くなってきた。青い空は海上に行ってしまい、俺の頭上は雲が居座るようになっていた。そして、体感温度が一気に低くなってしまっていた。
 知来別の街で信号に出くわしたが赤信号にはならなかった。けれど、鬼志別へ向かう道がある丁字路の信号で、俺は久し振りに足を地に着けた。車は曲がっては来なかったが、お婆さんが二人、手をチョコンと挙げて国道を横断した。その長閑で可愛らしい姿が、余計に俺の頭を呆けさせた。
 知らぬ間にうしろにトラックがついていた。
 俺は青信号で発車させてから、直ぐに左ウインカーを焚いて、うしろの車列をやり過ごした。
 またのんびりと一人旅だ。
 浜鬼志別の街を過ぎて、何もないだだっ広い中に道の駅さるふつ公園はあった。
 スタンプを押して、タンクバッグに常備してあるペットボトルのお茶で喉を潤して、稚内までの道程を地図とにらめっこして決めた。
 道の駅を左に出て、さっき赤信号で停車した浜鬼志別の信号のある交差点を左折して道道138号線に入った。
 街を抜けると直ぐに牧草地帯に入ったのだが、右手に並ぶ防風フェンスが邪魔して、開放感をあまり感じることが出来なかった。
 道は真っ直ぐだ。道東とは違う壮大な風景を俺に見せてくれる。けれど、防風フェンスは頂けない。
 牧草地帯が終わると鬼志別の街が現れて、その先は、両サイドが低木で覆われた見通しが悪い山道が続いた。
 灰色の雲が空には在って、別に北海道ではなくても見れそうな景色の中を走り続けた。舗装が所々悪過ぎるところもあってボーッとは走れない。
 道道121号線を右折して、少し走って道道121号線が左折するところを真っ直ぐに、地図には広大な牧草地帯を抜ける道と書かれてある道道1119号線に進んだ。
 確かに牧草地帯の中に道は引かれてあった。けれど、灰色の重ったるい雲が空いっぱいに広がっていたのと、目隠しのように並んでいる防風フェンスのお陰で、今の俺には何も響いてこなかった。憧れの北の大地に降り立ったあの頃なら感動を覚えたかもしれない。残念だ。そして、偶に雨粒が二つ三つシールドに貼り付いた。もし今降り出したら?何もない雄大な景色が逆に辛く感じた。疲れもあるのだろう。
 道道121号線に合流して、国道238号線へ向かう。
 ドライビングスクールの横から国道に出る。するとそこには国道から身を隠すようにしている警察官の姿があった。シートベルトか、ながら運転の取り締まりだろう。この国道238号線は交通課のドル箱路線の一つらしかった。
 相棒の音で振り返った警官に俺は白い歯を見せながら、ちゃんと一旦停止してから国道を左折した。
 何処に寄ることもなくホテルへ向かった。途中、明日は島巡りだから、島のガソリンスタンドにハイオクがなければ困る。そう思ってガソリンスタンドへ立ち寄った。
 ホテルでチェックインを済ませ、部屋に入り荷物を開けていると、洗濯物が溜まっていることに気がついた。いや、「あるなぁ」とは思ってはいたし、本当なら昨日の晩、洗濯するつもりでいたんだ。
 何とか明日までは着替えがあったが、明日島巡りのあと稚内の最後の夜を洗濯と乾燥に費やしたくはない。俺は急いでランドリーへ向かった。
 四つあるうちの二つがもう稼働していた。動いていない一つを開けると中には洗い立ての洗濯物が洗濯槽に貼りついていた。
 「何やねん」と口に出しながら残りの一つを開けた。こちらは使用中ではなかった。洗濯物を放り込んでコインを入れた。
 ガラ携のタイマーをセットしながらエレベーターに乗り込んだ。
 地下一階からロビーのある一階で扉が開いた。カウンターフロアの向こうにあるソファーに座っている男と、何故だかしっかりと目が合ってしまった。
 俺はこうやって生きていくんだよといった、自信ありげな三十代初めぐらいの何処にでもいる風のサラリーマンぽかった。直ぐに視線を手に持っていた雑誌に向けて、何事もなかったかのように振る舞っていたのだが、扉が開いた一瞬、目が合った時の眼光の鋭さが、扉が完全に閉まりきったあとも俺の脳裏に残像として残っていた。向こうから見ると、しわくちゃになったコンビニのビニール袋を片手に立っている金髪モヒカンの姿は、どう映ったのだろうか?
 自分の階に着いた。エレベーターの扉が開いても直ぐに出ることが躊躇われていた。さっきの視線がどうしても気になっていた。
 三秒、頭の中でカウントしてから箱を出た。結果、考え過ぎだということはわかっていた。ロックを解除してドアを開ける。勿論、誰かがいる訳でも、何かを詮索したあとなどがある訳ではなかった。段々、理解していった。これがそうなのかと。そして、何故俺がこんな気持ちで行動しているのだろうか?そう疑問が湧いた。
 途轍もない嫌な感じが俺の身体をまるごと、ラップ二枚を重ねたぐらいの薄さで包み込んでいた。皮膚呼吸出来ない息苦しささえ覚えたんだ。
 部屋に戻っても、男の眼光の鋭さが頭の中から抜けなかった。これは、今日の港で感じたものと同質のものではないのだろうか?と思った。得体の知れない何かがヒタヒタと、俺の周りをシレッと固めていっているような気がしていた。
 あ、ああっ。
 俺の中で合点がいった。これが犯罪者の心理なのだろうか?
 顔馴染みの府警の時任が話していたことを思い出した。
 『お前みたいなのがイッチャン、タチが悪い。普通、悪人ちゅうもんはなぁ、みぃんな、どっかに自分の犯した罪を持ち続けるもんや。そやのにお前は……』
 確かにそうだ。昔の俺は、どんな時も目的達成以外のことはどうでも良かった。理路整然にことを進めて、すべて想定の中で納まっていた。それが今の俺ときたら、高峰や丘崎、あの横浜の大学生達が、何か良からぬことのために動いているのを知っているだけなのに、自分自身は何も悪事を働いていないのに、俺を見る他者に対して過敏になる体たらくだ。ただ、悪人の秘密の一端を保持しているだけなのにだ。
 気を紛らわすためにもPCでメールソフトの保存ボックスを開いた。徳永からの返信があった。
 先ず、五十川彰俊のことが書かれてあった。
 横浜外国語大学二年の彰俊は、学内のサークルには入っていないようだったが、学外の『道愛会』という大規模学生サークルに名前を連ねていた。道愛会の設立は昭和の終わり、バブルといわれている最中で、北海道好きの大学生が情報交換のために集まったのが始まりだという。彰俊は、その会の下部組織になる『J-Rowan』というサバイバルゲーム中心のサークルに入っていると書かれていた。
 と、すると、あのオンボロの白いワンボックスの中には、『J-Rowan』の奴らがいた可能性が高そうだった。
 サバイバルゲームということからすると拳銃か?いや、そんなもののために態々関西のヤクザ二人が、北海道までやって来るなんてナンセンスだ。
 瑛篠丸のシノチャンの方は、篠原三郎・六十二歳、小樽市在住。瑛篠丸は、小樽水族館近くの漁協に登録されている船らしい。篠原に逮捕歴はなく、代わりに五年前、紋別の蟹漁船・紅海丸に乗っている時に隣国に拿捕されて、三か月後に帰国していた。その半年後、小樽に戻った篠原は瑛篠丸を購入していた。書かれているものは以上だった。高峰と丘崎の情報は書かれていなかった。流石の徳永&高岡チームでも、西のいちヤクザの情報は仕入れ難いのだろう。
 俺はすべてをコピペして薄緑色のUSBに放り込んだ。
 そして、篠原が拿捕された紅海丸のニュースを検索した。概要は理解出来たが、帰国後の船長と乗組員に関するものはなく、紅海丸が今も現存しているのかすらわからなかった。
 その保存メールを消去して新しいメールを作った。今度は、花押会と恒星会の関連企業が北海道にないか?篠原が拿捕された船・紅海丸と船長の三宅雅和、それに篠原以外の五人の船員の名前を書いて保存ボックスへ入れた。
 アラームが鳴った。
 ランドリーまでの行きの動線では誰にも会わなかった。エレベーターだって地下一階まで直通だった。帰りも部屋までスムーズで、エレベーターもロビーのある一階で止まらなかったし、廊下でも誰とも出くわさなかった。
 90分後に乾いた洗濯物を取りに行く。あるのかないのかわからないものに脅かされるなんて面白くない。馬鹿げている。
 俺はガラ携を開けて、さっき思い出した大阪府警の時任に電話をかけた。コイツなら何か知っていそうだし、交渉しやすかった。
 なかなか出なかったが、俺はしつこくコールし続けた。
 ――ハァ、ハァ、何や、死にぞこない。ハァ、ハァーー
 かなりの怒りようで、尚且つ息が切れていた。
 「ごっめ~ん。女とやってる最中か?」
 俺はからかった。
 ――どアホ。こっちは、無職で遊び惚けてるお前とは違うて、真面目に仕事してますんや。オイ、ゴラァ。動くな。腕折れるど――
 誰かを取り押さえている最中のようだった。「小池、手錠打てや」と続けて声が聞こえた。小池は今の時任の相棒だ。何でも前は二課にいて、俺がこんな状況になっていなければ、目の前の障害物になっていたであろう人物らしかった。
 しばらく遠くで何やら会話があったあと、息切れ状態のままの時任の声が聞こえてきた。
 ――ほんで、何やねん――
 「すまんかったなぁ、取込み中」
 ――かまへん。どうせワシも、お前に電話しようと思とったんやーー
 「何の用で?」
 ――そんなん決まったぁるやんけ。花押会の高峰が消えたんや――
 「えっ」
 ――お前、この前、北海道で高峰と会うてたんとちゃうんかいな――
 もうそんな情報が……。あっ、津田が言っていた。俺が朝井に撃たれた事件が少し気になっているのだと。
 「道警の津田から聞いたんか。早いのう」
 ――おうよ。こないだ、こっちで取り調べ講習があってな、その時に色々とな、情報交換ってやっちゃ。お前が帯広で、殺しのホシ挙げたちゅうんも聞いたで。えらい、ご活躍やったらしいなぁ。あのお前が、警察に協力するなんてなぁ。変われば、変わるもんや――
 「あれは、俺が疑われたから仕方なくや。別に津田に喜んで協力した訳やない」
 ――そういえば、津田さん、お前が舎弟に撃たれた事件のことが気になるみたいやったわ――
 なるほどそういうことか。津田は大阪へ出張行った時に、誰か動いてくれる人間を見つけたのだろう。そして、ひと回り以上年下の後輩刑事の名前を言うにも、時任は津田さんと、さん付けで話している。時任巡査部長と津田警部補。階級というものがあるから当然か。
 ――そんなことはどうでもええねん。お前、高峰に会うてるんやないんか?――
 「俺は、高峰とは会ってはない。見ただけや」
 ――ホンマかいな――
 「ホンマや。今の俺が会うても面倒事を抱えるだけやろ。あんたも知ってるやろ、アイツの性格」
 ――そやなぁ。まぁ、俺やったら会わへんわ――
 「そやから、殺された松村の手下の多喜川と高峰が会うてるところを、俺は遠くから見てただけや」
 ――その話は聞いとる。最近はどうやねん?――
 「それが、昨日も見たんや」
 ――どこでや、ええ。お前は今、何処におんねん――
 俺は急いでガラ携を耳から離した。
 「そないに、がなりなや。耳、キーンいうわ」
 ――すまん。ホンマ、教えてくれや――
 「教えるも何も、情報交換といこうや」
 少し無言が続いた。
 ――で、お前は、何が知りたいんや?――
 「それは俺の話を聞いてもうてから言うわ」
 俺は昨日見た高峰と丘崎の話をした。勿論、五十川彰俊達の話はしなかった。時任が欲しているのは、高峰の行方とその周りで関係のある人間だ。
 俺はPCの画面に撮った高峰達の写真を次々に送りながら見た。二人共、何とも間抜けな容姿になっている。しみじみ見ると二人が出来損ない過ぎて、俺は笑いそうになった。
 時任は丘崎のことを直接は知らないようだった。丘崎のいる恒星会の事務所は京都洛南にあって、情報交換はされているだろうが、管轄外の京都府警の管理物件だ。一般人を装っていたこともそうだったが、丘崎と二人きりで行動しているということに、時任は一番驚いていた。そうだろう、そうだろう。俺だって謎でしかないのだから。
 漁船の瑛篠丸の名前と小樽漁師のシノチャンのことを話して聞かせた。シノチャンが篠原三郎という名前だというのは伏せておく。
 ――お前のことやから隠し撮りもあるんとちゃうんか?――
 「さぁ、どやろ」
 ――あるんやったら、写真こっちに送ってくれへんかなぁ、頼むわ――
 「勿論、あんたの話次第や。高峰と丘崎の二人が、いったい何をしようとしているんか?それを俺は知りたいだけですわ」
 しばらく時任のシンキングタイムがあった。
 ――わかった。何かわかったら連絡するわ。お前、まだガラ携か?――
 「うん」
 ――ショートメールで俺のアドレス送っとくわ――
 「明日の朝でええかな。これから稚内の街に繰り出すところやねん」
 ――あっかぁい。さっさと送れ、今すぐや――
 そう言うと思っていた。揶揄いがいのある男だ。
 「わかった、わかった。直ぐ送る。メール来たら三秒で送ったるわ」
 ――ほな、頼むで――
 そう言って切ろうとする時任だが、俺の中に不安が過った。
 「おい、メアド間違えるなよ」
 ――メアド。大丈夫や、相棒にテンプレート作ってもろたから大丈夫。間違いないわ――
 テンプレートを作ったのが時任の相棒・小池と聞いて安心した。
 俺は電話が切れると早速、津田に送ったのと同じフリーメールのアドレスを使って作成した。写真は、高峰、丘崎、篠原それぞれ単体のもの三枚と、瑛篠丸の名前の見える漁船が一枚。そして船上で会話している三人が写ったもの一枚。合計五枚。そして最後にサービスで、高峰が変顔で写っているものを一枚添付した。
 宛先が記載されたショートメールはなかなか来なかった。その間に明日の二島をネットで予習する。
 時計を見た、あと少しで乾燥機が動きを止める。そろそろ腹も空いてきた。
 やっとショートメールが届いた。
 時任の電話番号からのものではなかった。

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