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ブルクハルト「世界史的考察」より。その 4。

いずれにしても、このうえなく並外れているものは芸術であり、これはもろもろの学術より謎めいたものである。三つの造形芸術(絵画、彫刻、建築)はこの場合、詩歌と音楽と同列にあって、なんら区別されない。

シラー(ドイツ詩人)は、美は真に到る通過点であり、また真に到るための教育の役目を持つものであると述べたが、それでは十分とはいえない。というのも、芸術は高度にそれ自身のために存在しているからである。

哲学は存在するもの一切の至高の法則の根源を究めようとするが、その法則は哲学がなくとも、また哲学以前にも、ということはつまり、永遠のものとして存続しているのである。

芸術はこれとはまったく異なっている。芸術は、芸術が無くても存在しているようなものとは関わることがなく(?)、(学術でないゆえに)法則を探求しなければならないということはない。むしろ芸術が無ければ存在しないであろうような高次の生を表現しなければならない。

芸術は魂を揺り動かす神秘な脈動に起因している。その場合、この脈動によって解き放たれるものは、もはや個人的な、また時間的な意味で意義深く、かつ不滅であるというのではなく、むしろ象徴的意味で意義深く、かつ不滅なのである。

芸術と詩歌は、世界、時代および自然からすべてに通用し、万人の理解しうる形象を集める。これらの形象は、ただこれのみが現世において永続するものであり、第二の理念的天地創造であり、ある種の細々とした俗世の事から解放されており、現世的にして、不死であり、あらゆる国民に通じる言葉である。

芸術と詩歌はこれによってその当の時代の最大の代表者であり、いわば哲学に等しいのである。

真の芸術はあらゆる現世的なものから創造すべき課題を受け取るよりも、むしろきっかけを受け取るのであり、ついで、そこから手に入れる脈動に、なにものにもとらわれず、ほしいままに身を委ねるのである。もし芸術に現実のものを正確に写すよう迫るとか、さらには思想的なものをさえ、作品にしっかりと打ちつけるよう迫るとしたら、それは悲しむべきことである。

この点、最も啓発的なのは詩歌であり、詩歌は身近に存在しているものを物語るというよりは、むしろ新たな実相を創造するのであり、詩歌が思想や感情について記す方法の点で哲学と極度に対立し、また哲学にたいする最高の補足となっている。

芸術に関する考察の抜き書きでした。

ちょっとでも創作者の刺激になりますかね?

皆様に楽しい日々がありますように!!

わ〜い!😄