
18歳で渡米、シリコンバレーで事業を失敗して再挑戦する話
こんにちは、だっつ(dattsu_)です。
「世界でデカイ事業を創る」と18歳で渡米し、気づけば1年半ほど経ちました。
知り合い0の段階から、アイデアを模索し、起業し、ファーストプロダクトを立ち上げ、そして失敗しました。
今は次の事業に向けて頑張っているので、節目として以下の3点を中心に振り返りたいと思います。
- アメリカでプロダクトをつくるということ
- 起業家として失敗経験を積むこと
- シリコンバレーで日本人が戦うということ
アメリカで挑戦するとはどういうことなのか、そこで得た学びと反省を他のどなたかのお役に立てるよう、できる限り詳細に書き記したいと思います。
これから米国・シリコンバレーで何かやりたいという方のお役に立てれば幸いです。
スタートアップを始めるまで
最初に、少し僕についての背景を説明したいと思います。
「シリコンバレーで大きなことやります」と宣言して、高校卒業直後の18歳の時にサンフランシスコに来たのですが、インターンはおろか、ビジネスの知識も0、根拠のない自信1つで渡米しました。
高校卒業までは、国内Top10のファッションYouTuberとして動画投稿をしていました。
中学3年生の頃、ファッション系の動画が他より1.5倍くらい伸びているのに、専門チャンネルが存在しないことに気づき日本最初のファッションYouTuberとして動画投稿をスタートしたのがきっかけです。最初は業界からも父親からもバカにされましたが、愚直に続けたら16,000人登録者まで到達しました。
しかし、僕のYouTuberとしての道の先に見えたのは名誉と地位で、自分の求めていた大きなものはないと気づき、やめる決断をしました。
YouTubeでの経験から、人に喜んでもらい、驚いてもらえ、そして人の行動が大きく変わる瞬間こそが自分にとって価値のあることだと気づきました。
であれば、もっと大きな規模で人の感情を動かし、世界を変える方法はないのか。昔から漠然と憧れていた、起業家という存在が頭に浮かびました。クリエイターとして使っていたYouTubeも一つの事業であり、事業を創りあげることこそが大きく世を変えることになるのではないか。そう考えると全てに筋が通った感覚があり、起業を決めました。
そして、やるのであれば
- 一番大きな事業を作れる可能性がある場所
- 新しいプロダクトが一番生まれ続けている場所
であるべきだと思い、調べた結果、シリコンバレーでの挑戦を決めました。
仕事経験、英語、もちろん色々な不安は抱えていましたが、
「世界でやりたいのであれば一刻も早くきて、ここで起業家として経験を積むことが大事」
という先人である小林清剛(通称:Kiyoさん)さんの言葉を見て、「僕より経験を積んでいる人がいうならそうだろう」と、なんの武器もない状態で「シリコンバレーで世界を変えるプロダクトを生み出す」というビジョンに向かって走り始めることにしました。
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*米国で起業家として挑戦するのでYouTubeやめますという投稿をしたら、沢山の嬉しいコメントをいただきました。YouTube視聴者の皆さんには3年間大変お世話になりました。感謝してもしきれません。
*渡米直後にこの壮大な景色をみて、興奮と期待がこみ上げてきました。
プロダクトを模索する
勢いで渡米したはいいものの、1にも2にもプロダクトが必要でした。
プロダクトのない起業家は端からみれば口だけのニートと同じで、野心に燃えてはいたものの、自己紹介すら億劫だったことを覚えています。
とはいえ、アイデアというのは作ろうとして作ってもダメだという話を色々な記事で見ていたので、渡米してからはできるだけ普通の生活をして日常のささいな違和感全てにアンテナを張るようにしていました。
そんな中で毎日鏡で自分の顔を見ていると、ある1つの欲求に気がつきました。
「ヒゲが欲しい。」
シリコンバレーのヒゲモジャ仙人のような起業家(Twitterのジャックドーシーみたいな)に憧れていたので、形だけでもあのような雰囲気になりたいと思いました。しかし、あそこまでたくましいヒゲはなかなか生えません。
そこで、ヒゲは着けて外したりできないのかと考えました。
そう、「つけヒゲ」です。
調べてみると、どうもイギリスにつけ髭職人がいるらしい。早速コンタクトを取り、制作をお願いしてみました。
実物の写真
糊で貼り付けるので扱いが難しすぎるのと、何より肌がムズムズするので一般使用としては確信を持てませんでした。
しかし、ここでつけヒゲ職人がこんなことを言っていました。
「ウィッグも実はヒゲと作り方同じなんですよね。」
ウィッグを用いれば”髪型を気軽に着替えることができる”のでは、そう想像するとこみ上げるものがありました。
「髪型の在り方をリプレイスすること」をゴールに、これでいこうと決めました。
モノづくりスタートアップとして
とは言ったものの、僕はファッションを楽しむことに関してはプロですが、創り出すことは素人でした。
そもそもウィッグは初めて触った程度なので被り方すらよくわかりません。モノづくりといえば、アメリカでラーメンを0から作り上げた先人、Ramen Hero 長谷川浩之さんのブログに、「ラーメン作れないので専門学校に行った」と書いてあったことを思い出し、僕もそれにならうことにしました。
ということで、以下二つやるべきことを決めました。
- ウィッグを作れるようになる
- ウィッグのデザインができる人間と繋がる
ウィッグ職人はニューヨークに集まっているとのことだったのでとりあえず行ってみることにしました。
同じアメリカ内ですが、SF→NYは結構な距離です。飛行機代もかさみます。お金がなかったので、NY滞在中は心優しい姉貴的存在であるYukaさんの家に転がり込み、無料の寝床と食事を確保しました。
このご厚意には頭が上がりません。
*リビングに思いっきりエアベッドを置いて居候させていただきました。
SF Fellowship
シリコンバレーで先陣を切ってやっている小林清剛さん(Kiyoさん)や、内藤聡さん、長谷川浩之(ヒロさん)さん等のブログを読んで渡米したので、彼らは憧れの対象でもありました。
以来彼らをネットストーキングしているのですが、ウィッグをやるんだとニューヨークに飛んでから2日ほど立ったある日、こんなポストを見つけました。
「これは掴まないといけない」
そう直感で思いました。
これは優秀さではなく、米国で大きなことを成し遂げるまで諦めない覚悟の人間を集めているのだと一目見て理解しました。
であれば、これに認めてもらえないと自分は何の背中をみて来たのか分からない。
それじゃあダメだろう。
絶対受かる。そう決めました。
これは6人の先輩起業家(Anyplace 聡さん、Zypsy カズサさん、Ramen Hero ヒロさん、Ofuro ゆうすけさん、Waffle さっそさん、Remotehour 山田さん)が協力してサポートして下さるというものだったのですが、幸運にも内お二人(さっそさん、カズサさん)は一度お会いしたことがあり、連絡の術を持っていました。
誰かに強く推してもらえれば確率は上がるだろうと思い、「なんとかお願いします」というメッセージを沢山送りました。
すると、聡さんからこんな返信が来ました。
「想像以上に沢山の人から連絡があり、SF拠点の人だけに絞ることにしました。リモートは厳しいので、今NYCなのであれば今回は縁がなかったということで申し訳ないです。」
前述しましたが、NYCには来たばかりでやることはまだまだ山積みでした。
しかしその数ヶ月前から自分は大きなことをやるんだと渡米して、ずっとSFにいたし、こんなニアミスで断られてはたまったものではない。
ということで、
「では、月の2週間はSF、2週間はNYCにいきます。半分しかSFにはいれませんが、1ヶ月フルでいるのと同じくらい熱量を伝えるようにします。何かあればすぐに戻ります。やってみて、少し関係が遠いなと感じることがあれば切ってください。なんとかします。まずはチャンスをください。」
と、今思うとわけのわからない提案で食い下がりました。(飛行機代だけでもいくらかかるのか想像すると冷や汗が出ます)
「では10分話しましょう。」
話せばなんとかなるという自信だけはあったので、あとは気持ちに任せて本心だけ語ってMTGを終えました。
結果、無事入れていただくことができました。
それから、週次でメンタリングを受け、何か困ったことがあればすぐに相談に乗っていただける、本当にありがたい環境の中で挑戦を続けられるようになりました。
後日聡さんに入れて頂けた理由を伺ってみると、
「言葉は拙くとも言ってることが本心だと感じたから。大きな事業を作りたいという気持ちが素直に伝わってきた。」
ということでした。
腹の底から本音を言う。今後もこの姿勢を貫いて、チャンスを掴んでいくと心に決めました。
また、モノづくりの先人であるヒロさんが開口一番でおっしゃったこんな言葉が印象的でした。
「ラーメンをやると決めた時、もちろん否定的な意見はたくさんあった。でも今では全米に美味しいラーメンを届けるところまで来た。ラーメンでユーザーがいたんだから、自分が欲しいと思っている限り、ユーザーは絶対にいるよ。」
これに更に鼓舞されて、「自分も絶対にやりきるぞ」と強く自分と彼らに誓いました。
ウィッグって?とイメージが湧きづらいと思うので、先に完成した製品の一部を貼っておきます
プロダクトの専門家になる
アプリを作るならプログラミング、ラーメンを作るなら麺とスープということで、何をやるにしても創業者はその領域に圧倒的に強くないといけないと思います。(適切な人材を集めてくることも含めて。)
ということで、まずは職人の元でウィッグ制作の勉強をすることにしました。
ウィッグは、このような薄いレースに髪の毛を一本一本結びつけていくことでできるのですが、そもそも手先が器用でもない自分はこの気の遠くなるような作業に何度か発狂しました。目が疲れて1本のはずの毛が3本に見えたりと、人生で一番髪の毛だけを見続けた瞬間だったと思います。
そもそも英語を完全に聞き取ることも難しいので、講義は全てこっそり録音して、あとで書き起こしました。
毛を縫っています。
デザイナーを探す
「ウィッグに詳しくて、ハイセンスな美容師」を探そうと、色々電話してみましたが、「切ったことないけど切れる」という不安な返答が沢山返ってきました。
ラチがあかないと、他業種の人にも視野を広げてとっかかりを探し続けたところ、
「ファッション雑誌や、ファッションショーの仕事をするヘアスタイリストさんは、ウィッグを使って撮影する」
というあまり知られていないであろう深い情報を得ました。
そこで、業界の人と一緒に住めばいいのでは?と思い立ち、YouTubeを最近始めたという業界のスゴイ方、Kentoさんを偶然発見しました。知人を辿ってつないで頂き、YouTube手伝わせてくださいとお願いし、そのまま家に住み込ませて頂くことになりました。
Kentoさん含めその周りの方々はとても優しく、たくさんの業界の方を紹介してくださったり、撮影仕事にも連れていってくださったり、業界のイロハを叩き込んでくださりました。
育ち盛りの僕には嬉しい特製カレーを沢山ご馳走になりました。
一番左がKentoさん
ローンチ。 焦り。 苛立ち。
「ウィッグやります!」と言ってからかれこれ数ヶ月が経ちました。
「俺は世界が変わるような、革命的でクールなブランドを作っているんだ。だから、こんな髪型ではダメだ。こんなウェブサイトではダメだ。こんな写真ではダメだ。」
スタート当初に立てた二つの準備は完了させましたが、現状ではダメな理由が沢山思いつき、ローンチのとっかかりが未だ掴めずにいました。
ああでもないこうでもないと悩んでいた時、さっそさんがこんな話をしてくれました。
「プロダクトは生き物だからまずユーザーに何かを届けて、そこからより納得のいくプロダクトに進化させるべき。完璧なものを作るために雑になろう。」
頭で考えても分からない問題に直面した場合、常に別のアプローチを試すべきです。完璧なブランドをローンチしたければ、まずは未完全なブランドをローンチすべきだと教わりました。
ということで、ブランディング云々は一旦無視して、まずは作ったウィッグを売り切ろうと試行錯誤してみることにしました。
*撮影用のマネキンを紙粘土で頑張って仕上げました。当時の家にはたまたま画家の方がいたので、プロの監修を受けた我ながらいい出来です。
*アメリカの原宿のような場所で街ゆくオシャレさんに被って頂いたり、モデルの方に被って頂き宣伝して頂いたりしました。
しかし思うように成果は上がりませんでした。
そもそも、結局「誰がその製品を欲しているのか」を全く理解していませんでした。
ユーザーの理解が皆無。
もちろん、起業家としては致命的でした。
欲しいプロダクトXがない
↓
だから自分が作る
↓
でも欲しいプロダクトXがどういう形かわからない
↓
誰が欲しているのかもわからない
↓
でも欲しいプロダクトXはない…
この堂々巡りで何も進まない、答えを出せない自分にイライラしていました。
同時期に、フェローシップ唯一の同期である小林大河さん(通称:寅さん)は、プロダクトを磨き、トラクションを出し、Y Combinator の元パートナーが手がけるPioneer acceleratorに採択され、資金調達に動いていました。
負の感情が湧きました。
勝ち負けではありませんが、当然意識はします。
悔しかった。こんなはずじゃなかった。
聡さんやさっそさんが「調子どう?」と気にかけてくださるたびに、「XXがYYなんですけど、ZZなので、VVがHHでだからOOだとは思うんですけど…」と、もごもごした不明瞭な現状説明をして、彼らもアドバイスしようにもしようがないような状態が長く続きました。そんな中でも、一緒に前を向いて、打開策はないかと親身に考えてくださったことが強く記憶に残っています。
ある日、聡さんがこんなことをおっしゃっていました。
「新しいものを作っているんだから結果がすぐ出ないのは当たり前だよ。大きな事業を作るのは時間のかかること。どれだけうまくいかなくても、全力を尽くしている限り、俺たちはだっつを信じている。情けないとは思わないよ。」
「信じる」
とても短い言葉ですが、これはどんな時でも上を向くには十分すぎる言葉でした。
聡さんをはじめフェローシップの先人6人は投資家ではないですが、僕にとってはFirst Believerのような存在であり、やはり絶対に結果で応えたいと思いました。どれだけ成果がなくても、諦めることだけはしないと強くハチマキを締め直した瞬間でした。
そして、色々試し続けていく中で、「髪型の変数を自分で扱えないのであればユーザーに投げた方がいいのでは」と思いつきました。
そこで、「写真を元にどんなウィッグでもプロが制作するオーダーメイドサービス」をローンチすることにしました。
コロナでICU入院中の妻のために
ランディングページ
(プロのモデルはお金がかかるので、街ゆくお洒落さんをナンパしてモデルをやって頂きました。撮影のイロハはプロであるKentoさんに師事しました。)
オーダーメイド方式にピボット後、ほどなくして一つの注文が入りました。
半年ほど立ち上げ準備をしてきて初めての注文だったので「よっしゃ!」と思わず叫んでしまったのを覚えています。同居人は突然の奇声に不安そうでした。
しかし詳しくお話を伺うと、どうも普通の事情ではないようでした。
「アメリカ中部に住む年金暮らしの老夫婦です。実は妻がコロナで重症化してしまい、ICUに緊急入院しています。妻は元美容師で、Bouffantという髪型がトレードマークの有名な村娘でした。しかし、今コロナでそんな髪型をセットすることもできなくなってしまいました。元気になってもらうため、それをウィッグでプレゼントしたいです。」
送られてきたイメージ図(Classic Bouffant Style)
これは絶対になんとかしたいと強く思いました。
ファッションで人の命を救う手助けができると思うととても意義を感じましたし、人が画面の向こうで死の淵をさまよっていることを想像するといてもたってもいられませんでした。
しかし、一つ問題として、彼の予算がスタイリストさんの提示するコストの半分にも満たないことがわかりました。
(予算2万円 vs コスト4万円強)
年金暮らし、妻はコロナということでお金に限界があるのは一目瞭然でした。
僕もお金に余裕があるわけではありませんでしたが、幸いにも健康な体を持って生まれていて、最悪自分は生活を切り詰めても死にはしないだろうと思い、僕が半分を負担することにしました。
結果、スタイリストさんが美しいウィッグを作ってくださり、無事届けることができました。
とても喜んでくださり、まだ奥さんは入院中とのことですが、一刻も早く回復して、トレードマークである髪型で、かっこよく元気なお姿に戻られることをお祈りします。
「今回は本当にありがとう。妻がまた他のウィッグを欲することがあったら、迷わずあなたのところに行きます。あなた方のサービスは本当に素晴らしかった。」
成功の陰に潜む違和感
ということで、初めてウィッグで人に価値を届けることができました。
しかし、以降反応がどうしても悪い。
ユーザーは写真は送ってくれるものの、その後のやりとりのどこかで必ず離脱してしまっていました。
売り込みを続けていると、「なんだお前? 消えろよ。」というようなことも言われました。これは流石にこたえました。
「何かがおかしい。」
ウィッグ業界は詐欺会社がとても多いので、会社であることにむしろ不信感を抱かれているのではないかと仮説を立てました。
それを聡さんとさっそさんに相談したら、こんなことを言われました。
「ウェブサイトで綺麗に注文を得ることにこだわっているようだけど、まずは他のプラットフォームでもなんでも使って検証した方がいいよ。気持ち悪くても、ゴリっと進めることが大事。」
そこで、個人の方がむしろ安心感があるのではないかと思い、架空のジョンというスタイリストをでっち上げて(全世界のジョンさんごめんなさい)、個人としてTwitter等で活動、営業をかけることにしました。
すると、それが功を奏し、計3件の注文、売上にして約10万円の結果が出ました。
同時に、初めて多数のユーザーと触れ合い、話し、売れて、この良いはずの結果と反比例して、自分が心の奥底で抱えていた、しかし見えないふりをしていた違和感が大きくなっていくことに気がつきました。
葛藤
自分は髪型を気軽に変えたいからウィッグが欲しくて、なので髪型というものを根本からリプレイスできると思い込んでいました。
しかしウィッグへの欲求は、ユーザーを丁寧に観察していくと、どれだけ自然であっても、変身願望によるものだと分かりました。(顕著なものでは、パーティーやライブパフォーマンス等)
僕が思い込んでいた”気軽さ”はそこにはなく、異日常のための”特別なツール”がウィッグの本質、つまり少し髪型を拡張するにすぎないと分かりました。
描いていた世界観と事実の乖離。
遥か先に見えていたはずの天井が、気がついたらとても低くなっていました。
「これなら、他の誰か、もっとウィッグ自体に熱量のある人がやったほうがいいのではないか。」
そう思いはじめました。
渡米した理由
ある時、初対面の人にプロダクトの話をする機会がありました。
今まではとても興奮しながら語れていた一つ一つの言葉が全て嘘に聞こえてきました。相手はもちろん僕のプロダクトのことなんて微塵も信じていません。それを信じさせるのが自分の仕事であったにも関わらず、自分自身が信じられていない。
見え隠れしていた終わりが突如、はっきりと目の前に現れました。想像よりもあっけなく、静かに燃え尽きました。
これが僕のファーストプロダクトを閉じる決断をした瞬間でした。
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ある日、Kiyoさんがこんなことをおっしゃっていました。
「だっつは何をしにアメリカにきたの?ウィッグじゃなくてもやりたいことはできるんじゃない?私情を捨てて、事業の可能性を信じられるかどうかだけで判断したほうがいいよ。」
「俺も今まで沢山事業は作って来たけど、何回やっても失敗はつきもの。事業はある程度は確率論だから、10年、20年とやり続ければいつか絶対当たるよ。」
原点に立ち返ると、僕は大きな事業をどうにかして作ると決めて渡米しました。手元のプロダクトを信じられないのなら即刻切って、次に素早く動くべきで、このサイクルを素早く回す。
それ以上でも以下でもないと思いました。
やっと糸口が見えてきた。
ここまで半年もかけた。
同期的な存在は次に駒を進めている。
ここにきて、プロダクト無しの状態に戻るのか?
葛藤はもちろんありました。しかし、大きなことをやるといってきた以上、事業に妥協はできない。
そんな僕の心情を察するような力強い言葉を沢山の方から頂き、すぐに次やろうと上を向けました。
また、聡さんのこんな言葉が印象的でした。
「今が一番なんでもやれる、可能性に満ちた状態だからむしろ楽しいと思うよ。」
プロダクトがないというのは、今からなんでもできるということです。より大きな可能性を、未来を想像して、模索する。
今では清々しく、渡米直後と同じ興奮と期待がこみ上げています。
起業家が失敗する理由
今回は、ユーザーに価値を届けるまでが長すぎました。(半年くらい)
よく、「ウィッグにそんなに時間かけられるのはすごい熱量だ。そのままやればいいじゃん。」と言われるのですが、開発/準備をしている間は「これでxxxxという世界に変わる、革命的なマジカルツールなんだ。」と実際のユーザーをガン無視しながらただ妄想の世界に浸って何かに着手しているだけなので、夢の国にいる気分です。
それがズレていたとき、今まで頑張っていたら頑張っていた分だけ上がった期待値と事実の差分、そのダメージがきます。当人しか感じない、とても穏やかで急速なダメージです。何より、ズレているものにかけた時間ほど無駄なものはないし、その分成長は遅れて、成功が遠のきます。
事業の失敗は起業家の心が折れた時と言いますが、それは期待値とのギャップによって引き起こされるのだと実感しました。
そんなことは色々な記事やアドバイスで見聞きしていましたし、知っていたつもりでした。でも自分のこの事業においては違うだろう。みんなはそうでもこれは絶対に成功するんだ。そうやって我が道を進んだ結果がこれでした。深く反省しています。
反省
今回は失敗に終わってしまいましたが、「早く製品を出すことの重要性」を身を以て学びました。
まとめると、ローンチまでに時間をかけてはいけない理由は以下、
- 期待値が膨らんでしまい、適切に前進することができなくなるから
- 予想ではなく事実を集めることがゴールに一番早く到達する手段だから
そして、それを引き起こす要因はこれらだと思います。
- Premature optimazation(早まった最適化)による不要な打ち手
- 思い込みによる誤った方向への前進
この思い込みというのはとても厄介なモノです。
Kiyoさんが以前こんなことをおっしゃっていました。
「思い込みは起業家の最大の武器であると同時に弱点でもある。」
自分が欲しいものをつくる。この場合、自分自身が一番のユーザーです。
しかし、自分自身を客観的に観察するというのはとても難しいことで、故にズレが生じ、誤った思い込みが発生するのだと思います。
自分がプロダクトXをなぜ、本当に、欲しいと思っているのかどうかをユーザーの行動というレンズ通して客観的に見つめることが大事だと思いました。客観的に正しく思い込んで大きな事業を創るためにも、この学びは次の事業に活かしていきます。
挑戦し、失敗し、経験すること
「世界でやりたいのであれば一刻も早くきて、ここで起業家として挑戦と失敗を重ねることが大事」
この言葉を見てすぐにシリコンバレーで起業することを決めましたが、これは本当にその通りだと実感した一年半でした。
今回の挑戦と失敗から、渡米直後の何も持たない18歳の頃よりは強くなれたと感じます。僕は早い段階で、起業家として失敗し、学ぶことができて幸運でした。
「毎日自分は成長しているという実感を得続けることだけが起業家の精神を健全に保つ方法」だと聞きましたが、今では「学びを毎日書き留め、毎朝見返す」ということを習慣にしています。
これを続けることで、周りの人間がプロダクトを作り、伸ばし、調達している中、僕だけピボットをしている今でもなお健全に上を向いて妥協せず挑戦し続けられています。
Kiyoさんに初めてお会いした際、こんなことをおっしゃっていたのが印象的でした。
「10年死ぬ気でやれば絶対結果は出るし、殆どの人が10年もやれずに諦める」
幸い、僕には根拠のない自信が常にあり、それが今回で少しは輪郭の伴ったものとなったのでたかだか10年程度でシリコンバレーでの大きな挑戦を諦めることはありません。
シリコンバレーで日本人が戦うということ
日本人が米国でやることを「先行事例もないし、そんなん無理だよ」と否定的に捉える人々がいます。
しかし、先行事例がないことをやるのが起業家なのではないでしょうか。
僕はまだ起業家0年生の若輩者ですが、そういう生き物だと思い、それがかっこいいと思ったのでこの道に決めました。
僕が語るのはとても恐縮ですが、先陣を切った日本人起業家たちは着実に実績を出してきているし、それに鼓舞されて僕も渡米しました。
Anyplace 内藤聡さんは、Uberの初期投資家としても著名なジェイソン・カラカニス氏から出資を受け、駒を進めています。
Ramen Hero 長谷川浩之さんは、東のY Combinatorと呼ばれるAngelPad に採択され、駒を進めています。
Waffle 哘崎悟さんは米Snap社が手がけるYellow Acceleratorに採択され、駒を進めています。
Remotehour 山田俊輔さんは、Y combinatorの元パートナーが手がけるPioneerで世界一位になり、聡さんと同じくカラカニス氏からの出資を受けています。
Omneky 千住光さんは、既に米国で1社Exit、現在2社目でビル・ゲイツ等が出資するビレッジ・グローバルから出資を受け、さらに大きな挑戦をされています。
Zypsy 玉井和佐さんは、Y combinatorやセコイアの出資先のスタートアップをデザイン面で支援をしています。
日本で輝かしいExit実績を上げたのにもかかわらず、リスクをとって米国でより大きな挑戦をされているChomp 小林清剛(Kiyoさん)さんや丹羽健二さんのようなシリアルの方もいます。
キリがないのでここには書ききれませんが、他にも沢山の実績を出してきている日本人起業家が多数、大きく、大きく戦い続けています。
そして、僕もそれに続くのだと、そんな彼らの背中を追ってやってきました。かっこいいなと思い、海を渡りました。そんな彼らに沢山助けていただきました。
先陣を切った彼らが作り上げたコミュニティ、その支えのおかげで、僕も縮こまらず、リスクを取り、大きく大きく振ることができています。
私の米国でのファーストトライは失敗に終わりましたが、この挑戦は全く不可能なことではないと思います。
先をゆく誰かが特大ホームランを打つことは時間の問題で、自分もその一員になる、それこそが彼らへの恩返しだと思います。そして、その後にまた違う人間が来て….この繰り返しこそが再現性で、そのループは回り始めていると思います。
彼らとずっと挑戦し続けると心に決めました。
1段目:僕、ゆうすけさん、Kiyoさん、かずきさん
2段目:カズサさん、聡さん、山田さん、ヒロさん
3段目:さっそさん、寅さん、真田さん
挑戦
世界で一番人が驚きまくるような事業を起こし続け、起業家として特大ホームランを打ちます。
バントは絶対しません。ヒットで妥協もしません。
人は見たことないものに驚くので、絶対にコピーキャットはやりません。
そのために少ないながらも持っていたもの、あったであろう可能性は全て捨ててきました。
僕は英語ネイティブでも天才エンジニアでもありませんが、幸運にも、シリコンバレーに来てチャレンジをすることができています。この環境に心から感謝し、またそれには結果で応えます。
最後になりましたが、僕のFirst Believerである、フェローシップのAnyplace 聡さん、Zypsy カズサさん、Ramen Hero ヒロさん、Ofuro ゆうすけさん、Waffle さっそさん、Remotehour 山田さん、フェローシップ同期のPotlatch 寅さん、渡米してから一年来の仲であるHere 永田くん、Sentrei カキ、WeAdmit 真田さん、渡米して一番最初から気にかけてくださっているGlasp かずきさん、Chomp Kiyoさん、業界のイロハを叩き込んでくださった アーティストの Kentoさん、そして今に至るまで私を支えてくださった全ての方へ心から感謝を申し上げたいと思います。
長々と書き連ねてしまいましたが、先人が僕にしてくれたように、僕の経験と学びがどなたかのお役に立てれば幸いです。
引き続き、よろしくお願いいたします。