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順風満帆だった会社員がシリコンバレーで起業した話

はじめまして。小林大河と申します。

2020年3月に新卒で入社し5年間勤めた日本M&Aセンターを辞めて、シリコンバレーで起業をしました。

M&Aセンターでは年間MVP、社長賞などを頂き、5年目に最年少で課長になりました。入社して3年目に結婚し、ある意味、人生は順調だったと思います。仕事についても、朝4時まで打ち合わせをした後、家に帰ってソファで仮眠か、新幹線や飛行機で寝るというのが日常でした。それくらい熱中しており、人生の中で一番充実した時期を過ごしました。

しかし2019年12月に、それらを手放し無職になってでもシリコンバレーに行く決断をしました。そして2020年8月、パンデミックの真っ只中、シリコンバレーにきて起業をしました。

今後、数ある試練で追い込まれた時に、初心に戻り、何度でも立ち上がれるよう、改めてこの決断に至った経緯と葛藤を残しておきたいと思います。
同時に、同じ境遇の方や、一歩踏み出すことにためらいを感じている方の、わずかでも参考になれば嬉しいです。

金曜日が悲しい仕事との出会い

大学ではボート部に所属し、朝4時半から練習、昼に授業、夜はまた練習、10時半に消灯という合宿生活を年間350日過ごしていました。大学=ボートだったと言っても過言ではなく、ビジネスや社会のことはほとんど知りませんでした。

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高校時代に憧れた早慶戦

その上で、新卒=社会人0歳として、最初はスキルではなく、社会人の師匠のような尊敬できる人を見つけ、生き方を学びたいと思いました。どんな人から学びたいか考えた時に、「仕事で目に見える結果を出していること」、かつ「仕事を楽しんでいる人」がいいと思いました。さらに、そんな人がどこにいるのか考え、「給料が高い会社」という仮説を立てました。
そして、四季報の給与ランキングTOP40社にOB訪問をしました。色々な方とお会いすることができましたが、多くの方は、「仕事は仕事だよ」と、割り切っているように感じました。

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当時(2014年)の給与ランキング

そんなOB訪問の中で衝撃を受けたのが、M&Aセンターの中川さんの言葉でした。

大河、俺は金曜日が悲しいんだ。土日は仕事がないだろう。

こんなことが、曇りなくまっすぐ言える人がいる会社で働きたいと思いました。さらに、

①社員の方々が、「俺が会社を成長させている」とオーナーシップを持っていること
②自由と責任を最大限求める風土があること
③創業会長・社長がいること

に他にはない魅力を感じ入社を決めました。(親や周りからは、名だたる総合商社の内定をもらいながら、中途入社が8割を占め、平均勤続年数3年しかないM&Aセンターに行くことが理解できないと言われました。)

人生を変えてくれた恩人

M&A仲介という仕事は3つの理由で人生をかけたいと思える仕事でした。(※入社当時のM&Aセンターの依頼の多くは事業承継型と、業界再編型の2つでした。)

ダイナミック:規模、金額の大きさ、唯一無二のものを扱っていることが魅力的でした。オーナーの人生はもちろん、株主、家族、従業員、従業員の家族、仕入れ元、取引先、地域コミュニティなど、全てへの影響が、M&Aの成否にかかっていました。また、オーナーの人生そのものである「会社」というものに、それまでの人生で経験したことがないエネルギーを感じました。

自分の存在意義:最大の成功者であるオーナーの最後の花道が、仲介のマッチングや進め方で全て変わることに、自分がやるべき理由を感じました。

業界再編の面白さ:1社ではできないことを集まることによって実現し、業界とビジネスモデルが革新される過程を作るのは、ビジネスマンとしての視野を大きく広げてくれました。

新卒から勝手に会社に寝袋を持ち込み仕事をしました(管理部に注意を受け辞めました)。(手取り)給与22万円の時に毎月10万円分の自社株を購入し、生活費がなくなりカードローンを借り、時間とお金を最大限M&Aセンターに投資しました。24時間365日仕事に熱中し、時間を忘れました。結婚後は、妻を起こさないよう毎日ソファで寝ました。M&Aだけではなく、部署で執筆した本、部署で主催したパーティチケット、格安電気、ドーナツ、顧客の商品なども売り、外部企業の顧問になりました。さらに部署の旅行を企画し、Tシャツを作るなど、あらゆる取り組みをしました。

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年末のチーム食事会

その中で最も人生を変えたのは、新卒唯一かつ最年少で役員に就任した渡部さん(当時副部長)との出会いでした。渡部さんの存在無くして、今の僕はないと断言できます。

僕が新卒で配属された業界再編部は、「業界のあるべき姿を考えリードする」というビジョンの下、渡部さんが2015年に立ち上げた部署でした。その立ち上げの5人の部署に、新卒4名が配属され、9名でスタートしました。M&Aセンターの平均年齢も34歳と若いですが、業界再編部はトップが32歳で平均27歳、しかも半分は新卒という異色の部署でした。だからこそ、最初から甘えている余裕はなく、オーナーシップを求められる環境でした。(実際には、足を引っ張りつつ、掃除、コピー、議事録作成など、体力でカバーできることで貢献しようと何でもやりました。)

そんな中で、渡部さんに、営業、交渉、目標達成、マネジメント、トップクラスとの付き合い方など、仕事からプライベートまで、社会人の生き方を全て教えて頂きました。ゼロから鍛えられた中で、徐々に色々な仕事を任せて頂けるようになり、前職の経歴が「社長賞」か「MVP」の人しかいない、TOP営業マンが集う日本M&Aセンターで、過去最高の成績で年間ナンバーワンにして頂きました。加えて、ここでは書き切れないほどの恩を受けました。

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夏休みのハワイにて。左から渡部さん、山田くん(同期)、小林。

決断

新卒入社から5年が経ち、入社時に立ち上がった9人の部署は、40人を超え、社内で最小の売上の部署から、最大の部署に、そして事業部になりました。社内で最速の成長です。売上が落ちた部署は無くなっていたので、その意味でも部署がどうなるかわからないというガムシャラの創業期から、会社の中核として全体を引っ張っていく成長期に入ったところでした。
また、M&Aセンターも入社当時の時価総額1500億円から7000億円(2020年11月現在は1兆円)に、社員は200名から600名になっていました。M&A仲介業は、様々なメディアで取り上げられ、就活生にとって最も人気のある業界になりました。今だったら僕は落ちているだろうと思うほど、超一流の新卒しかいません。入社当時、「なんでそんなとこにいくの?」と言った周りの声は、「これ以上ない選択だったね!」に変わりました。トップクラスの年収に加え、数年分の給与と同等になるストックオプションも頂きました。

一方、僕自身は、仕事に熱狂しながらも、GAFAと呼ばれるアメリカの企業や、BATXと呼ばれる中国の企業が50兆円、100兆円の時価総額に成長した一方で、世界の時価総額ランキングTOP30に日本が1社もない状況(30年前は日本企業が7割を占めた)をみて、「今はまだ7000億円のM&Aセンターだけど、いずれは世界を代表する会社になり、自分はその中核になる」と密かに思っていました。M&Aセンターも、社内外に、世界一のM&Aファームを目指すと宣言していました(今も)。


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世界の時価総額ランキング(30年前との比較)

しかし、会社の研修でシリコンバレー、ニューヨーク、ドイツに行き、世界のビジネス事情や空気に触れる中で、「1人だったとしても今すぐに行きたい」という気持ちが心の片隅で強くなっていました。

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シリコンバレーのSalesforce本社。カフェ/キッチン/ゲームセンター/ペット持ち込み可のオフィス等、様々な場所で社員が交流していました。

そして去年末に、渡部さんから「業界再編部の創業期は終わった。これから成長期に入る。次はどうしたい?」と聞かれ、考え抜いた末に、会社を辞めて、時価総額100兆を超える会社が集うシリコンバレーで、無職から世界に挑戦し直すことを決めました

全て教えてもらった人生最大の恩人に対し、恩を返せず去るというのは、どれだけ恩知らずなことなのか、想像に難しくないと思います。

決めた日の夜は、まだ辞めなくていいのではないかという葛藤、歩んできたものを捨て去る不安、人生の恩人の期待を裏切る罪悪感が入り乱れながら、5年間の記憶がフラッシュバックで現れ、人生で唯一、嗚咽がとまりませんでした。

2019年12月20日(決断の翌日)、渡部さんに決断を伝えました。

さらにその翌日は、部署の年末食事会でした。これまでの大きな仕事や部署旅行をまとめたビデオを、全員で観賞しました。見始めた瞬間、一つ一つの場面が思い返され、改めて自分の中の部署の存在の大きさを感じました。涙が止まらず、周りから気づかれないようにしゃがみ、終わった瞬間にトイレに逃げました。

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*上に載せた写真が、その年末食事会の写真です。(全く笑えていない顔で、よくバレなかったなと思います。)

大きなものを失ったことで、この日を境に、もう戻ることはできない、成功するしかないという覚悟が生まれました。

そして、27歳で会社を辞め、妻を日本に残し、シリコンバレーにきました

なぜパンデミックの中、サンフランシスコに来たのか

シリコンバレーにいくことを決めた当時は、まだ武漢で新しいウィルスが出たという程度の話でした。ですので、

①1日でも早く来るために
②「東京オリンピックの年にシリコンバレーにきた」と言えるように

2020年に行きたいと思っていました。しかし、年が明けて急速にパンデミックが拡大し、海外渡航も制限されました。また、世の中がリモートに変わる中で、「この大変な時期に、なぜ行くのか」と言われました。正直、行かない理由はいくらでもあります。

シリコンバレー行きを決めていた大事な時期にパンデミックが流行って、予定が変わってしまった

というストーリーは、一生話せます。ただ、これまでの人生で、自分がコントロールできないマクロの情勢不安や、個人に起因する危機もありました。僕が高校を卒業したのは、2011年でした。震災により、卒業式も、大学の入学式もなく、日本が大混乱に陥っていました。今回も、医療従事者の方々、飲食店等のリアルビジネスの経営者、このタイミングで就活をしなくてはいけない学生など、日本中の人が本当に大変な経験をしていると思います。

一方で、バブル崩壊、ITバブル、リーマンショック、東日本大震災、パンデミックなど、未曾有の混乱は数年に1回のペースで起きているように思えます。たしかに僕も運が悪いかもしれません。しかし、もっと厳しい人はいくらでもいますし、数年に1回起きるのであれば、その中でも進める限り進まないと、何度も止まって、目標を達成することなく人生が終わってしまうと思いました。

僕は世界に向けたプロダクトを作ることに一生を費やすという前提で、ここにいます。それを踏まえると、やはりサンフランシスコに居るべきだと思いました。例えば、リモートワーク になってなお、多くの企業のトップがサンフランシスコに留まっています。(日本でもトップは東京にいるのではないかと思います。)この部分については、内藤さんも最近メディアでお話しされてました

さらに、世界の中心であるサンフランシスコが、パンデミックによって、どのような状況になるのか見ながら生活することで、次の時代へのヒントが見つかるのではないかと思いました。実際に、1年前に研修できた時とは全く様相が変わっていました。(そして、僕が事業を見つけるきっかけになりました。)

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Salesforce本社とStanford。研修で訪れた際は、ダイバーシティとイノベーションの中心のような熱量でした。

すでに覚悟は決まっていました。とにかく行けるように全力を尽くす。その結果、行けなければ致し方ない、という気持ちでした。

英語やプログラミングを学んでから行こうと思っていた

どうやったらシリコンバレーにいけるのか。当時は、英語とスキルが足りないと考えていました。ですので、

日本のプログラミングスクール → フィリピンの英会話学校 → アメリカのプログラミングスクール → コネで就職(あるいは起業)

と、2年ほどかけてシリコンバレーで就職する計画を考えました。その一歩目として、日本のG's ACADEMY(起業家を輩出しているプログラミングスクール)に通いました。そこでは、東京・福岡の拠点を超えた生徒間のPear-to-Pear スキルシェアサービスをPHP言語で作り、2ヶ月で約50組のマッチングをしました。

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作成したPear-to-Pearスキルシェアサービス "The Tutors"

渡米のため中断した後も、多くの方から感謝の言葉を頂きました。(チームメンバーや教える側の生徒の方々を始め、多くの方のご協力を頂きました。G’sから、運営予算として、教える側へのお礼に数万円分のギフト券を頂きました。)

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終了後に届いた感謝のコメント抜粋

きっかけはたまたま知り合った中屋敷さんのシェア

G's ACADEMYにいる中で、知人の紹介でシリコンバレー起業家の中屋敷さんと出会いました。そして中屋敷さんがシェアされたAnyplace CEOの内藤さんのSFフェローシップ募集の投稿を見て、「これだ!」と思い、すぐに連絡を取りました。

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実際の内藤さんの投稿

最初は、日本在住のため期待されていなかった印象を受けましたが、

①1ヶ月以内にシリコンバレーにきて、シリコンバレー拠点で生活できますか?
②シリコンバレーで面接をします。来週来れますか?

という問いに即答し、その4日後にシリコンバレーにきました。面接に行く前に、内藤さんのメンターであるChomp CEO小林キヨさんが、シニフィアン CEO朝倉さんのVoicyに出演している回を聞きました。そこで2人が、

英語 → ビザ → ネットワーキング → 事業、の順に難しくなっていくから、英語やビザで来れないと言っているようなレベルなら起業家としてやる気がないということだ

とおっしゃっているのを聞きました。その言葉が刺さり、

フェローシップに選ばれなくても、今すぐシリコンバレーにきて、できる限り長くいよう

と決めました。とは言え、選ばれるために、4日間(飛行機の間も含めて)ほぼ寝ずに準備をしました。他の候補者もこの時期にシリコンバレーで起業しようという人なので、強者揃いだろうと思いました。さらに話すのが得意というわけではないため、面談するまでに勝負を決めたいと思いました。(ここで1つラッキーがありました。上述のキヨさんと、内藤さんの面談前に少しお話しする時間を頂けることになりました。)

当初、米国スタートアップについてはほとんど知りませんでした。しかし、限られた時間で全て調べる余裕はありません。まずは、お会いする2人(キヨさん、内藤さん)について徹底的に調べ、そこから米国スタートアップについて最低限の情報を得ることにしました。M&Aセンターにいたので、ある程度ビジネスについては理解しているつもりでしたが、米国スタートアップ関連で出てくる言葉や会社名は知らないものが多く、かなりの量を調べました。20回分(400分)くらいのVoicy、数十を超える関連記事、プロダクトのWebsite、ブログ、Twitter、Facebookを読み込み、共通の知人を調べました。(M&Aセンターの同期が、内藤さんと大学時代シリコンバレーで一緒にいたことを知り、当時のことについて教えてもらうことで面談のイメージができました。)また実際に、Anyplaceでサンフランシスコのホテルを予約し(内藤さんと同じホテル)、Chompを使って日本のレストラン巡りをしました。とにかく時間がありませんでした。

サンフランシスコに到着した後、3時間後にキヨさんと面談、夜に内藤さんと面談でした。到着後も、思いつく限りの質問と起業アイデアを追加しました。事前にパワーポイントで作成した自己紹介資料・質問リスト・120個の起業アイデアを送り、そこから数時間、話す内容を考えました。キヨさんとの面談後は、教わったことを踏まえて、内藤さんと話す内容をブラッシュアップしました。

時差ボケも重なり、めちゃめちゃ眠そうだねと内藤さんに気を遣わせてしまいましたが、幸運にも選んで頂くことができました。(中屋敷さん、M&Aセンター同期の大野くん、キヨさんなど、選ばれる過程で多くのラッキーが重なったと思います。)

今となっては、時間がなかったことが、逆に集中することができて良かったと思っています。また、その過程でサンフランシスコの情報を得て、自分なりにサンフランシスコでやっていく意味を腹落ちさせることができました。

(僕らが旅立てたら、第2期のフェローシップも考えるそうなので、ご興味のある方は、是非、僕らが旅立てるように応援して頂けますと幸いです🙇‍♂️)

なんでシリコンバレーなのか

よく「なんでシリコンバレーなんですか?」と聞かれます。僕の答えは、

世界中に向けたサービスを出すのに最適な場所だから

です。アメリカが好きということではありません。世界の中心がバンガロールであれば、バンガロールに行きます。

日本に入ってくる留学生の数はこの20年で4倍になり、2000年に立命館アジア太平洋大学が、2004年に国際教養大学と(僕が卒業した)早稲田の国際教養学部が設立されました。一方で、この30年で海外駐在員数が2.3倍に増えています。また、スポーツでは、イチロー選手、本田圭佑選手など、ビジネスでは、ソフトバンクの孫さん、ユニクロの柳生さんなどが、世界で活躍されています。伝統的な企業では、キッコーマンの海外売上が全体の6割を超え、この40年で海外に対する出荷量は20倍になりました。(M&Aセンターのファウンダーが大学生で渡米した時は、飛行機代が高く、知り合いの船の地下室に乗せてもらったと聞きましたので、隔世の感があるのかと思います。)

その時代の中で育った僕らの世代が本当に成功したかったら、世界を目指すのは自然なことだと思います。その上で、簡単な挑戦ではないからこそ、最も適した場所にいる必要があります。日本中に広げるビジネスを作りたいなら秋田ではなく東京でやるべきです。世界中に広げるビジネスを作りたいなら東京ではなくサンフランシスコでやるべきだと思ったのです。例えそれが、言語も通じて、仲間もいる、生まれ故郷の東京を離れることだとしてもです。それは秋田の人が覚悟を決めて、東京に就職に来る気持ちと同じだろうと思います。

また、日本人として向き合わなければいけない現実があります。世界の時価総額TOP30には、日本が1社も入っていません。しかも、日本でトップのトヨタは創立83年、2位のソフトバンクは創立39年です。一方で、世界のTOP30にはGoogle以降(1998年)に設立された企業が7社あります。

もちろん人類の発展に貢献したいという気持ちもあります。ただ、それと同じくらいに日本人として、この状況を変えたい。僕らの世代がこの現実に向き合い、100兆円企業を作るべく挑戦しなければいけない

難易度の高い挑戦を成功させるためには、1%でも確率の高い方法を選ぶべきです。世界の時価総額TOP30を都市別に見ると、

1位 カリフォルニア(9社)
2位 ニューヨーク(3社)
3位 北京(2社)

と断トツでカリフォルニアが多くなっています。(トヨタが41位で愛知、60位のソフトバンクが東京です。)

最高の人、情報、お金が集まる場所で、世界に向けてプロダクトをつくる。そのためにシリコンバレーに行くことを決めました。

なぜ起業だったのか

最初は漠然と世界で勝負しようと考え、就職という形でシリコンバレーに行こうと思っていました。しかし、M&Aセンターを辞めてから、自分が生きたい人生を考えるため、過去を振り返りました。

まず、幼い頃伝記を読んだエジソン、本田宗一郎、ヘレンケラーを思い出しました。今でも私の理想となっていますが、いずれもエリート会社員ではありません。数え切れない失敗を重ねながら、世界を変えるためにフルコミットで努力し続けた人達でした。

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シリコンバレーに持ってきました

中学から大学までは、早稲田という在野精神の文化の中で、革命精神を身につけました。僕にとって革命とは、偉大な先人が作ったものを超えることです。本当に就職をすることで先人を超えられるのか、起業の準備という言い訳で安易な選択を選ぼうとしていないか、考えさせられました。

新卒から5年間を過ごしたM&Aセンターは、平均勤続年数3年の外資金融のような環境で、毎月実績を残せない人が辞めていました。しかし、新陳代謝が活発なため、誰もがオーナーシップを持って仕事に取り組んでいました。明日沖縄にいようが仕事してなかろうが誰も知りません。結果が重要でした。そのため、会社員でありながら経営者のようなマインドで仕事をする環境が求められていました。また、成功したオーナー経営者の方達と出会い、この方達のような生き方がしたいと思いました。サラリーマン社長は、僕よりできる人も、なりたい人もいくらでもいるだろう。他の誰かで良いことではなく、自分しかできないことをやっていきたい。今ある椅子を埋めるのではなく、作り出す側になりたいと思いました。

そうして、(自分が)世界に届けるサービスをフルコミットでゼロから作りたいのだ、と気がつきました

渡米から3ヶ月、何をしていたのか

渡米をしてから3ヶ月間、フェローシップのAnyplace内藤さん、Zypsyかずささん、Ramen Heroヒロさん、Troupeゆうすけさん、Waffleさっそさんから週1のメンタリングを受けながら、チャイナタウンのシングルベットだけ置かれた、バストイレ共有のホステルに住み、朝4時30分起床12時就寝という、ボート部を思い出す生活をしながら、事業を考えていました。(家に帰って、ハエが3日連続で交尾しているのを見たときは、さすがに転居を決めました。すると、月100ドルの値引きオファーがあり留まりました。ハエ対策もしてもらい、翌日から快適に過ごしています。)具体的には、120個考えたアイデアを絞り込んでテストマーケティングをしました。しかしそれらのアイデアは、

・仮想通貨の店舗導入支援
・日本のスタートアップのサービスのシリコンバレー代理店
・クレカで支払い、同額のキャッシュを近くの店舗でもらえるアプリ
・普段使わないもの(キャンプ用品など)を近所の人に貸し出すマイクロレンタル
・シリコンバレーの企業とリモートで働きたい日本人をつなぐ人材紹介
・入浴(風呂)をメンタルヘルスの文脈で展開

など、ニーズはあるかもしれないが、どれも「自分が一生をかけてやりたいか」とまでは思い込めませんでした。フェローシップの方々の薦めで、"週刊トップティアVC"というトップティアVC(Sequoia Capital、Founders Fund、a16z)が出資したスタートアップを日本語でまとめたメルマガを毎週配信しながら、良いプロダクトのインプットをしました。しかしそれでも自分自身は、なかなか踏み出せない日々を過ごしました。

一方で、せっかくサンフランシスコにきたにも関わらず、コロナの影響でリモートになり、ネットワーキング ができていないことに焦りを感じていました。去年、研修で訪れた時は、

サンフランシスコにいれば、カフェで隣に座った人が投資家でピッチが始まったり、Googleのエンジニアと出会ってコファウンダーになったりということが当たり前のようにある。だからサンフランシスコにいることはとても大事なんだ

と聞いていました。また、米国の市場や消費者や文化を知るためにも、ネットワーキングをしたいと思っていました。

またトレンドとして、オンラインネットワーキングの流れも感じていました。シリコンバレーでは、オンラインでビジネスマンのネットワーキング ができるLunchClub100億円のバリュエーション、トップティアVCのa16zが出資)や、類似のShaprというサービスが流行っています。僕も何回も使いました。しかし、もともと何の繋がりのない人と1回話しただけでは、会話が盛り上がったとしても、継続する関係が築けません。また、リリース当初は招待制で、良い人とマッチングされたのですが、途中から誰でも参加できるようになりました。そして、明らかにマッチングの質が下がっていくのを感じました。とはいえ、自分でネットワーキングサービスを開発しようとは思ってはいませんでした。

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プロフェッショナルネットワーキング サービスのLunchClub

そのため、コミュニティを売りにしているコワーキングスペースのSPACESに入居し、ネットワーキングをすることにしました。しかし、SPACESでも、

・他のテナントの社員とコミュニケーションが取れない。
・そもそも他のテナントの情報がわからない。

状況でした。一方で、SPACESの管理者は、Slackを使い、オンラインでコミュニティの活性化を図っていたのですが、コミュニケーションを生み出す仕組みがなく、機能していませんでした。「それなら、僕が他のテナントと繋がれる方法を作ろう。」と思い、以下の仮説でテストを行いました。

・テナント(主にスタートアップ)は、コミュニケーションを求めてSPACESに入居している。
・しかし、SPACESは、真に価値のある場所を提供できていない。

それを検証するため、以下のテスト内容としました。

①SPACESに入居している会社一覧を作成。
②「どの会社」の「どの役職」の人と「何を話したいか」アンケートに回答してもらう。
③僕がマニュアルでマッチングし、スケジュールを調整。
④ミーティングを実施。

SPACESのマネージャーにこのアイデアを伝えると、是非やってほしいと前向きな意見をもらいました。そして、いくつかのマッチングが終わったところで、ユーザーにも非常に喜んでもらえ、これを事業化しようと思いました。

しかしその後、登録者がほとんど伸びなくなりました。伸び悩んだ当初は、みんな興味はあるけど、怪しがって近付かないのだろうと思いました。そこで、広告の看板を作ったり、ロゴを入れたTシャツを作って自分で着たり、QRコード付のアルコール消毒液を配ったり、ランチ会を開催して登録を呼びかけたり、カップケーキを配ったり(Lyft(Uberの競合)が創業当初やっていたそうです)、SPACES内の企業マップを作成して配ったりしました。

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(上)カップケーキの看板、アンケート(下)オフィスマップ、全社員の名前を書き込んだ(自分用の)マップ、QRコード付アルコール消毒液

しかし、3週間したところで、マッチングが思ったように生まれません。ユーザーヒアリングをしてわかったのは、
・SPACESには、CEOから一般の従業員までおり、ネットワーキング に対する熱量がバラバラである。
・コロナの影響で、テナントが出て行っている。
ということでした。本当の需要をきっちり見極める必要があると痛感しました。

その後、( G's Academyで運営していた)スキルシェアサービスに戻し、米国のプログラミングスクールに入学し、生徒間で使ってもらおうと試みたり、大学等に導入の話をするも、良い返事はありませんでした。

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プログラミングスクールの領収書($3,700ドル)

閉塞感が漂う中で、内藤さんに「Slackを使っているコミュニティに絞ってみたら?」とアドバイスを頂きました。もともと僕自身が、Slackを使っているコミュニティに入っていました。しかし、

自己紹介の投稿をしても全く反応がない。かつ、その状況を皆に見られる(恥ずかしい)

DMを送ったらスパムとして追い出される(コミュニケーションを求めてコミュニティに入っているのに。)

ような苦い思いをしていました。その経験から、「僕のように、コミュニティの中にネットワーキングを求めているのに、何もできてない人は多い」という課題に気がつきました。

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ランダムでDMを送ると、スパムとしてアカウント削除される

それらを踏まえ、LunchClubのようなマッチングを、Slackのコミュニティ内で行ったら喜ぶ人は多いだろうと思い、テストを行いました。今度こそはと、覚悟を決め、SPACESに2週間泊まり込みました。結果として、SPACESのテナント同士でマッチングをしていた時の6倍の登録者と10倍以上のマッチングを行うことができました。さらに、ユーザーが自発的にサービスの紹介投稿をしてくれることも出てきました。

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ユーザーが自発的にサービス(Potlatch)の紹介をしてくれた

また、オンラインコミュニティだけではなく、ユーザーからの紹介で世界最大のプロダクトマネージャーのカンファレンスであるProductized2020(11月26・27日)でも利用していただけることになり、リモートへの変化によるマーケットの拡大を感じています。

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マッチングしているコミュニティ抜粋
(上:世界最大のプロダクトマネージャーのカンファレンス 
下:米国で有名なオンラインコミュニティの内、参加メンバーの多い3つ。
プロダクト系のコミュニティ、スタートアップ系のコミュニティ、Airbnbの元growth責任者 Lenny Rachitskyのコミュニティ)

以上が、この2ヶ月僕が行ってきたことと、僕のサービス=Potlatchを作った経緯です。

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WebサイトのTOP画面 trypotlatch.com

Potlatchを一言でまとめると、Slackグループ内マッチングサービスです。Slackグループに(LunchClubのような)マッチング機能を付けることで、グループ内のネットワーキング を実現します。僕自身の経験では、LunchClubのオープンなマッチングは、ユーザーが増えるに従い、マッチングの質が低下します。対してPotlatchは、クローズドで共通の興味がある人が集まっている場所でマッチングを促すので、質の高いマッチングを継続的に行えます。

そして、僕にとって、コミュニティは大きな存在です。
学校、部活、会社、G’s ACADEMYなどで出会った人たちと、長期的に協力できる関係を築くことができました。これらは全てコミュニティに所属しているからこそできた関係です。逆に、コミュニティ以外で出会って長期的な信頼関係を構築できたことはありませんでした。その一方で、

コミュニティの中で普段話さない人と話す機会があったら、もっと面白いことができたのではないか?

と、コミュニティ内のコミュニケーション機会の偏りについて、考えさせられることがありました。そのため、熱量が高く、ネットワーキングを求める人同士が出会えるサービスを作りたいと思いました。だからこそ、僕らのミッションを、

コミュニティ内で、価値ある繋がりを構築する

としました。

挑戦

僕は英語ネイティブではありません(渡米前はTOEFL50点台)が、幸運にも、シリコンバレーに来てチャレンジをすることができています。この環境に心から感謝し、残りの人生全てをシリコンバレーでの挑戦に捧げたいと思います。

最後になりましたが、いつもアドバイスをいただいている、フェローシップのAnyplace内藤さん、Zypsyかずささん、Ramenheroヒロさん、Troupeゆうすけさん、Waffleさっそさん、プロダクトの改善を親身に手伝ってくださっているRemotehourの山田さん、フェローシップ同期のだっつくん(元Youtuber 15,000+)、ゆきさん、と朝4時起床を一緒にしてくれているhere永田くんに、心から感謝申し上げたいと思います。引き続き、よろしくお願いいたします。

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(左上から:ゆうすけさん、さっそさん。
中央左から:山田さん、内藤さん、小林、かずささん、ヒロさん。)

これまでの道のりと、これからのチャレンジが、どなたかの参考になれば幸いです。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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