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おじさんのアウトラインを少々・・・

大学院に行くとか「リスキリング」とかいうと、すごく優秀な人がやることなんじゃないかと思うことも少なくないですが、私に関しては、そうではないです。なので、俺、すごいでしょ的なノリには、したくてもならないのです。 一方で、私は、どこにでもいる、というか、日々懸命に働き、その中で壁を感じたり、悩んだりしている中年のおじさんですので、同じってことはないかもしれませんが(人それぞれなんで)、近いとか似てるとか、そうなりたくないとかっていう方はいらっしゃると思います。そういう方に、「こんなヤツもいるんだ」というのを知っていただき、「こんなヤツ程度でもこんなことできるんだ」と思ってもらえればと考えています。

いまいまは・・・

今はカナダのバンクーバーという街に住んでいます。ここにきて1年半以上経ちました。家族の都合があり、おまけでこちらに来たのが、ここに来た理由です。子供が1人、現地の学校に通っています。私自身は、日本の会社で、日本の時差に合わせてオンラインで働いています。アカウントエグゼクティブをやりつつ、経営の任務を負っています。吹いたら飛ぶような小さい会社ですが、裁量含めて割と自主性もってできるので、仕事自体は楽しいです。現地時間の夕方から深夜に働くというスタイルですが、これは慣れれば、なんの問題もありません。

ザっとやっていたこと・・・

日本にいた時もアカウントエグゼクティブで、マネージャー兼務です。お客さんはグローバルの会社で、魅力的に映ることがたくさんあって、仕事を一緒にできて、それはすごくよかったです。意識高い系の人が意図的に使う難しぶってる英語じゃない、フツーにいろんな英語が飛び交うシーンに初めて出くわした時は、カッコイイなぁと素直に思いました。今、私が将来やってみたいことも、この人たちに影響受けたことばかりです。しかしながら、俯瞰してみると、厳しい環境でひたすら卵を産み続けないといけない養鶏場の採卵鶏になっていたのは事実なので、そこから偶然、ポンっと脱出できたことっていうのは、ひとえにラッキーでした。あと、マネージャーの時は、いつもうまくいっていたわけではなく、トレンドや新しい手法に対応するとかチームマネジメント、ビジネスのスキルをさらに上げるといった、自分にとっての課題を意識せざるを得なかったのも事実です。

こんなこともやってたっけ・・・

私は転職を経験していて、その前には、テレビの番組制作の仕事をしていました。ADとかディレクターとかです。学校を出てすぐがこの業界で、これはこれで、極貧の中、本当に面白い時間を過ごしました。給料は安いのに、番組の取材で高級な料理をたくさん食べたり、当時はテレビが全盛期の最後でいわゆる「ギョーカイ人」ってノリの先輩がいて、「若いころは借金してでも遊べ」と、芸人みたいなこと言われて、その通りに、六本木だ渋谷だとお金もないのにうろついていたら、まあ結構な借金ができて返すのが大変だったり。とにかく派手な記憶が残っていて、それはそれでよかったなと。

そう言えば学生のときは・・・

大学院に入る時に、母校にはいろいろとお世話になりました。成績・卒業証明書や推薦状とか。なので、今になって一気に母校愛は高くなりました。私は明治大学出身なのですが、そもそも、特にここじゃないとダメってわけではなくて、当時多くの人がそうだったように、受験勉強をよーいドンでやって、結果、あなたはここね的な感じでした。早稲田に落ちた人が行く学校みたいな。けれど、学校のことは好きです。たまにスポーツで早稲田に勝ってくれると気分いいし、校歌はカッコイイし。当時は大学は遊ぶところ(そんなわけはないんですが)で、卒業したら企業戦士として働く、みたいな流れが基本で、何を勉強するとか、自分は将来こういう風になりたい、みたいなのを考えたことは全くなかったです。後々苦労するのですが、成績なんて一度も気にしたことがなかったです。今も覚えてますが高校の先生が大真面目に「大学なんて卒業すればそれでいいんだから」と言っていたくらいですから。

フツーのおっさんです

ということで、若干「ポンッとカナダ」のところが多分に偶然の要素が強くて全然フツーじゃないじゃんと、私も思いますが、まあまあ、日本にいた時は、フツーのおっさんでした。ただ、志ときっかけがあれば、おっさんでも誰でもリスキリングだったりっていうので、自ら動けるというのは間違いないことだと思います。(私には志がなく、きっかけだけだったので、そこはお恥ずかしい限りですが) 


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