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- おじさんの追憶 vol.1- 26年前、1997年9月



純ジャパという言葉って・・・

noteをはじめ、いろいろな文章を読んでいると、"純ジャパ"って言葉を、海外経験ゼロから、言語の勉強頑張りました!って文脈でよく目にします。その頑張り自体はとても素晴らしい、やった方をリスペクトできると素直に思います。一方、会話などする相手からすると、何ジャパだろうと、どうでもいい訳で。言葉の目線が内向きで好きじゃないんすよね。Greatな訳ですから、成果は外に向けたいっすね。

純ジャパ(じゅんジャパ)とは、純粋と「ジャパニーズ(日本人)」を合成した略語で、幼少期から長期に日本を離れて生活した経験がない、主に英語を流暢に操れない日本在住の人々を指す。

ウィキペディア

そう言えば、外国もいろいろ行ってた

で、私もちょっと前まで、"純ジャパ" の定義に当てはまってます、と思ってました。が、よ~くよく記憶をたどってみたら・・・いろいろ外国は行ったよな!と。けど、言葉を話せたわけじゃないから、やっぱり純ジャパになるのか。どうでもいいな。
閑話休題、今回のメインに行きますが、実家の断捨離で、ポロポロ昔の写真が出てきて、あ~ノスタルジー!と思ったこともあり、ちょいちょい振り返ってみたくなりました。デジタル化も始まっておりまして。noterさんの昔の旅行記みたいなのを拝読すると、すごくいいなぁと思って(その方々はホントよく覚えていらっしゃる。)、ノスタルジーに浸ってみます。

バックパッカーをザっと振り返る

初めて海外に行ったのは高校2年の韓国修学旅行なはず。その後大学1年の夏は白樺湖にリゾートバイトに行ったくらいなはずで、海外は行ってない。で、バックパッカーに目覚めたのは、大学2年の夏休み。(もう、バックパッカーなんて言わないのかしら?) ここから、怒涛だったはず。バイト→旅行、バイト→旅行で。学校に行かなくなったのも、この時期から。。。

〇1997年9月:タイ・マレーシア・シンガポール
〇1998年2‐3月:ドイツ
〇1998年8月:オーストリア・ドイツ・フランス・スペイン
〇1999年2‐3月:ドイツ・チェコ
〇1999年7月-2000年1月: ドイツ・オーストリア・スイス・オランダ・ベルギー・フランス・スペイン・ポルトガル。イタリア・スロベニア・クロアチア・ボスニア。ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・トルコ。デンマーク・ノルウェー。イギリス、帰りに韓国。通過のみもあるな、スウェーデンとか。あとルクセンブルク!電車で通っただけ。

行ったなぁ。いろいろ行った行った。青春です。あとは仕事で、ハワイと韓国か。あ、マレーシアはもう1回行ったな。

先日、「地球の歩き方」にフォーカスしたテレビ番組を観ましたが、私にとって、バイブルみたいなもんです。毎度ボロボロにしてました。会社自体にはいろいろあったみたいですが、うれし懐かしでした。あと、トーマス・クックっていうヨーロッパの鉄道時刻表も。時代の流れで廃刊になっちゃったらしいですが。今なら、Googleで一発ですからね。夜行列車のクシェットで眺めて、次の街に思いを馳せるのも、それこそ良い思い出です。

タイ・マレーシア・シンガポールも約四半世紀で様変わりみたいですね。

タイの記憶は"溺れたこと"

ということで、まずは、タイ・マレーシア・シンガポールのマレー半島縦断です。26年前。1997年9月の後半に、大学の友人2人と行ったことは写真からわかるのですが、詳細は極めて断片的です。成田→バンコクアユタヤプーケット。プーケットは覚えています。ひと気の少ない雨期の濁った海で泳いで、引き潮と一緒にちょっと沖まで流されて、戻れなくて結果、溺れるという。。。「死ぬかと思った」って言葉を使うことありますが、本当にそう思ったのは、今のところ、その時だけでした。監視員の人がジェットスキーで助けに来てくれた時、しがみついた感覚は思い出せます。タイは正直それしか覚えてないです。

タイ。どこの寺でしょうかね。まあ今となっては誰だかわからないと思いますが、一応顔を・・・右側が私。体重は今より少ないですが、多分6-7キロ。意外にもそんなもんです。激太りしてないな。髪の毛は減ってますけどね、相応に。

マレーシアとシンガポール

そのあとの旅程は、全く覚えていません。プーケットから電車が通っている街までバスで行って、そこからマレーシアに入ったんでしょうね。電車だったんだと思います。この時のクアラルンプールの記憶は何もないですが、写真は残ってました。その後15年くらい経って、再度クアラルンプールには行くのですが、すんごいビルがあったり、かなり近代化されて別の街になってた印象があります。最後のシンガポールもマーライオンの前で撮った写真がありますが、行ったんでしょうね。何も覚えてないですね。

マレーシア。これ見て思ったのは、1957年に独立したんすね。どこで撮ったのか不明です。
クアラルンプールの鉄道の駅です。
ただただ"ガスってる"街だった印象しかないです。空気が悪い印象。
フロッピーディスクのTシャツ・・・。
シンガポール。なんで腕を組んで偉そうなのかは不明です。
写真を見ても蘇るものがない。

写真がないと、ほとんど覚えてない!

こうやってみると、写真がないと、"溺れたこと" 以外覚えてなかったです。若いころは、写真を撮ることに終始せずに、目に焼き付ける、脳に焼き付ける・・・とか言ってた気もしますが、結局年をとると忘れちゃいますね。
1人旅の時は、日記も書いてた記憶があって、その後、実家で見かけたような気がしますが、絶対見返したくないですね。断捨離対象で結構。恥ずかしくて蕁麻疹が出てくると思います。何言ってんだよってことばかりだったはずから。今はこうやってnoteみたいのもあるし、vlogもあるし、見たこと、思ったことが記録できるし、残したい放題。

ということで、他にもヨーロッパ旅の写真もデジタル化が進んでまして。こうやって思い返してみると、ですが、実は、「ドイツ」によく行ってました。とある大学のサマーコースにも行ったりして。もう言葉はほぼ忘れてましたが。。。まあ、全部を思い出すのは難しいですが、いろいろな記憶が甦ってきそうです。勉強からの現実逃避も兼ねて。。。

いつだったかの羽田空港です。記録を取らないと、記憶に残らない。


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