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平和活動家かと思ったら戦争屋だった

私は昨年4月にスーダン紛争に巻き込まれてから、YouTube番組を作ってみたり、イベントを開いてスーダンや平和について考える機会を作ってみたりと試行錯誤していた。

このような活動をする人のことを平和活動家と言うんじゃないだろうかと思って、その実態はよく分からないけれど、とりあえず肩書きを平和活動家とすることにした。

私のイメージでは、平和活動家とは、心穏やかな、平安という言葉を絵に描いたようなあり方を期待していた。

ところがその理想像に反して、私は意見を戦わせることに向かっていく。

平和に暮らしている人々の頭上から戦闘機で集中砲火を浴びせるように熱いメールをばら撒いてみたり、バズーカ砲をぶっ放すように大迷惑な長文メッセージを送ってみたり。求めてもいない人たちに押し付けがましく喧伝する自分に、なんだかとても攻撃的な側面があるような感じがするのだ。

皮肉なことだけれど、世界各地で戦争や社会問題が起こるたびにニュースで見るデモ活動が全く平和的に見えないのと似て、私もお騒がせな感じで声を上げて、どうも違うなという失敗をやらかして、もしかしたら平和活動家らしくなってきているのかもしれない。

日々の平和を支えているのは、むしろ、そんなこと微塵も考えずに淡々と日常を平穏に送っている人たちじゃないの?

でも、平穏な日常ってなんだろう?日々の生活も、きっと多くの人は平穏ではない。パートナーや子供、親、職場の上司や同僚との間に、学校の同級生との間に、戦争状態が頻発しているのではないかと思う。熱いドンパチに発展しなくても、無視やシカト、緊張関係。そこらへんに転がっている。
そして心は傷つき病んでいく。

穏やかな心は一体どこにあるのだろう?
まずは一人の時間をもって、穏やかさを取り戻すことから始めたら?
自分の心を大事にすることから始めたら?
そこには優しい世界がある。
他人も思いやれる世界がある。
それが平和ということなのでは?

そんなことを私はブライトチャネリングに教えてもらった。


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