西部戦線異状なし(2022):西部戦線めっちゃ異状あり
2022年10月28日、動画配信サイトNetflixにて西部戦線異状なしが全世界独占配信された。
既に皆さんは視聴済みだろうか。原作がレジェンド級というのもあるが世間的には高評価よりの意見が多い。
何より、この2022年の技術で、しかも全編ドイツ語で制作された第一次世界大戦の映画というだけで特筆すべき作品だろう。
だが、私の評価は違う。懐古主義だと揶揄されて構わないが、やはり原作小説、そして1930年版の映画と比較すると、ただの反戦映画と成り下がっているように感じた。
私はあなたの解釈が間違っていると言われようと、こう言いたい。
果たして「西部戦線異状なし」とは反戦文学で反戦映画なのだろうか?
※全編無料で読めます
そこにコンテクストはあるのか
Twitterでも何度かつぶやいていたが、本作は戦闘カット+1億65点、物語構成-1億点でぶっちゃけ65点と言ったところだ。
決してつまらないわけではない、だが西部戦線異状なしとしてはどうだろう。と言ったところだ。これがただの大地次世界大戦を舞台にした反戦映画であれば、私は100点近くは差し出していただろう。
本当に残念だったのは、この作品に西部戦線異状なしのコンテクストが無かったということだ。
構成で大幅に減点したのは、色々とあれど主人公パウルが負傷により一時ドイツ本国へ帰還したシーンがまるまるとカットされていることが一番大きい。
確かに1930年版西部戦線異状なしも原典から後半を改変した作品となっている。
だが、銃後の描写、前線での凄惨さと本国での剣呑さのギャップがあるからこそ、戦争そのものの無常さ、やるせなさが西部戦線異状なしのコンテクストと言えるのではないだろうか。
戦争映画としては素晴らしい
前述したように本作の戦争描写は非常に素晴らしい。ただ物語の舞台が戦争全体から後半に変わったため、ピッケルハウベではなくシュタールヘルムだけになっているのはちょっと残念。
ただサン・シャモン突撃戦車をCGとはいえ映画で見れるのは感慨深い。
また食糧不足の描写は30年の映画版でもあったが、それを敵塹壕内に置き去りにされた食料をがっつくというシーンに変更した点は評価できる。劇中内人物に語らせるのではなく、映像で見せることで、より切迫して深刻に感じることが出来ている。
ただし戦闘描写が増えたせいで、その分主人公のパウルが活躍しすぎな感もある。ちょっと前までただの学生だった彼がいきなりベテランのような活躍を見せるのは違和感があり、実際の戦争を前にした恐れや怯え、理想と現実を比べた時の失望感が薄く、戦争に無感情で従事するまでの助走が少ないように感じてしまうのが残念だ。
戦争という非人間性と人間
タイトルにも書いた通り、本作には異状がありまくりだ。カチンの死因は食料調達した際に空爆を受けたのではなく、農家に盗みに行ってそこの息子に猟銃で撃ち殺されるという自罰的な内容になっている。
また本作のエンディングは大規模な戦闘シーンに集約していくのだが、終戦が決まっているのにもかかわらず将軍の独断で突撃命令を下され、無駄な命の奪い合いが始まる。
西部戦線異状なしのキモは主人公パウルの周りに存在する環境としての戦争、そしてパウル内面の思索があり、そのうえで戦争という理想と現実の中で壊れていく一個人の物語は、所詮戦争という大局的なものではただの兵卒の死として記録されるだけ、といった無常さ、侘しさにあるのではないだろうか。
これら人と戦争(または国)を対比し、戦争というものの非人間性を風刺する作品であるにもかかわらず、Netflix版西部戦線異状なしはあまりにも戦争が人間的すぎるのだ。
さらにあまりに政治的なカットが多すぎるというものもあった。Netflix版では30年映画版と違って、パウルが一度帰還した描写がすべてカットされている代わりに、政治家たちの話、将軍の話が新規カットとして追加されている。
が、正直言ってこの新規カットはすべて無駄なものであり、作品の良さをすべて台無しにしている。
これら政治家同士の停戦交渉、将軍が持つ軍人としての意地、こんなものはすべていらない。これらすべてを飛ばして、前線に急に終戦の詔が出され、にもかかわらず意味も分からず突撃命令が下る。これが戦争の非人間性であり理不尽さというものではないだろうか?
このご時世、戦争が起きている今だからこそ、この作品に強い反戦のメッセージを感じるのは分かる。だが、反戦という文脈をとっても、このNetflix版西部戦線異状なしには畏怖や恐怖といった薄っぺらな感情に打ち付けられた反戦メッセージしか込められていないのは残念だ。
本作が持つコンテクストは、戦争への恐怖や畏怖、悲惨さだけではない。
戦争という非人間性が、人の持つ人間性をどこまで変質させるのか。
その過程と終着点、後方で熱弁をふるう大人と前線で泥水に塗れる若者。
この差と気持ち悪さが西部戦線異状なしであり、この時代を生き、そして戦争を経験した著者エーリヒ・マリア・レマルクが書き上げたものではないだろうか。
そういったもの欠いた時点で、Netflix版西部戦線異状なしは惜しいものだったと感じてしょうがないのだ。
※本稿はWordpress(てりやきディナー未来へ行く)に投稿したものと同じ内容です。
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