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SNS時代は言葉が軽い(10/23)

最近、切に気になること。

日本語が、言葉が、めちゃくちゃ軽い。

SNSの普及のせいかな?

世界のローカルシティを代表するような日本一の農村型地方イノベーションとITとNFTを組み合わせた雇用創出型次世代コミュニティ構築のマネージャー人材教育普及事業のプログラムオーガナイザー兼ディレクターです みたいなやつ。舌噛みそう

言葉から軽さを奪っているのは、間違いなく2010年代頃から爆発的に増えたSNSマーケティング( )の仕業だ。人目を引くような印象的な言葉は増える一方で、言葉の意味は軽視され、熟考されることはない

中には言葉の装飾とかというレベルじゃなく、それはもはや嘘だろ?みたいなレベルの酷いものもそこそこ目にする。明らかな誤用もあったりするんだけど、ああいうのは優良誤認に当たらないのか?誰も注意しないのだろうか?

きつい言葉とか、刺激的な言葉で人の注意を引く昨今の風潮は、あまり好きじゃない

自分が、そういう事を間に入って調整する役割だからというのもある。「え?そんな事、本気で言ってんの!?」みたいな。それを日本語に再翻訳しながら、諸々の落とし所を探るのは、本当にめんどくさい。

中には無意識の人もいて、闇が深いと感じる

イベントとかも大抵、かっこいいネーミングのものは予想を下回るから、行く気も失せてる(じゃあ自分のところはどうなの?っていうのは置いておいて……

普段の生活でも「言葉が軽い」人が増えた気がする

何か思い通りにいかないときに「じゃあわたし辞めますよ?」とか

仕事がうまくいかないとき、他人に聞こえるように「こんな仕事どうなってもいい」と言ったりとか

関わりたく無いなぁと思う

軽い言葉には自意識が透けてて、見ていて恥ずかしい。自意識を満たすためのお遊戯会に、他人を巻き込まないでほしい。本当に恥ずかしくて、たまらなくなる

実務的な問題も起こる。被災地事業は、金と人の奪い合いになっている。軽い言葉で人を騙すような事をしていたら、だんだんと化けの皮が剥がれて、ジリ貧になるのは目に見えている

そんな自分の自意識を満たすために利用されるんじゃなく、世のために、ちゃんとした仕事をしたい

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