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デジタルとリアルをつないで地域課題解決に貢献する!~Tableau×QGIS×オープンデータ~【後編】


「月島・晴海」小史

対象地域について

前編では、コンペ・PJチャレンジ部門の全体感についてお話ししました。
後編では、今回のコンペの対象地域である、東京都中央区月島・晴海エリアについて、簡単に紹介したいと思います。

対象地域。Mapboxを使用し松本が作成

このエリアは弊社のオフィス所在地であり、メンバー間で共通認識があるうえに、もっともなじみ深い地域であることから対象地域として選定しました。住吉神社を抱く昔ながらの佃島の住宅街と、その背後にそびえる大川端リバーシティのタワーマンション群。月島のもんじゃストリート(西仲通り商店街)と、そこに交差する植木鉢のある狭い路地。近年開発著しく街並みが一変した勝どき。バブル期の晴海アイランド計画から直近の選手村跡地の再開発に至るまでビックプロジェクトが目白押しな晴海。狭いエリア内に実に多彩な街が存在しています。

大川端の早朝。永代橋から。中央にそびえるタワーマンション群が大川端リバーシティ。松本撮影
大川端の夜。上の写真と同じ場所から。松本撮影

月島・晴海エリアは、東京湾の最奥部に浮かぶ、さして大きくない人工の島々から構成されています。一部を除けばここ100数十年の間に埋め立てられた、東京でも比較的歴史の浅い地域でありながら、実際は非常に多様性に富む、面白い場所です。一番成立が古い佃島は、江戸時代に成立した漁民集落にルーツを持ち、当時の風俗が形を変えつつも随所に残り続けています。現在大川端リバーシティが立っているあたりは石川島と呼ばれる島で、近世は獄門島、近代は石川島造船所(現株式会社IHI、旧石川島播磨重工業)の所在地として東京圏における重化学工業を牽引する存在でした。

佃島漁業協同組合奉納の玉垣。佃島住吉神社にて。松本撮影

月島地区

明治20年代に東京湾浚渫工事の土砂で埋め立てられた月島は、大中小の工場と、そこに勤める工場労働者の大量移住によって起立しましたが、労働者の食文化である「レバカツ」や「もんじゃ」がローカルフードとして定着し、今の観光資源につながっています。その名の由来を尋ねれば、佃島部分を含む島の形状が半月に似ていることから「お月さまみたいだ」と、いつの間にか人口に膾炙したとか。

同時にここは、わが国に社会統計学を輸入し定着させた高野岩三郎(東大経済学部教授、大原社会問題研究所所長)を中心とするチームが、内務省衛生局の依頼で、大都市工場地帯における熟練工場労働者家族(当時の社会階層の中~下層)の生活実態を把握し、各種課題に対し改善指導を行うことを目的とする大規模社会調査「東京市京橋区月島に於ける実地調査」、通称「月島調査」を実施したその舞台でもありました。時は大正時代、1918年から1921年にかけてのことでした。ちょうど100年前です。

路地裏の長屋と小径。現在の建築基準法、都市計画法では再現できない空間である。こんなところにももんじゃ焼き店がひそんでいる。松本撮影

「月島調査」の詳細については文字数の関係上割愛しますが、現代では「当たり前」とされる以下2点、

・各種公的統計を根拠として都市社会の課題を議論する
・フィールド調査によって得られた「データ」を「社会地図」として「可視化」する

を導入した我が国初の事例であるということだけ、おさえてほしいと思います。それはまさに我々が行おうとしていること、地域課題をデータによって把握し、それを「地図」という可視化手法で表現し議論することです。約100年後の現代に、新たな社会課題を地図に表現するために再び人々が月島に集ったのだと思うと、少々不思議な気持ちに包まれます。

晴海地区

一方、「いつも晴れた海に望みたい」という願いにより命名された晴海は、主に港湾施設を配置するべく計画され、昭和初期に完成した埋立地ですが、戦前は東京市庁舎移転先候補となったり、万国博覧会の会場計画が持ち上がるも戦争で中止になったり、戦後はGHQの接収、返還後の晴海埠頭完成、東京国際貿易センター開設、公団晴海住宅(15棟からなる公団住宅群)の建設、そしてこの度の東京オリンピック開催に伴う選手村の設置など、時代に翻弄されつつも様々な都市移設が展開されてきました。

月島川から晴海トリトンを臨む。晴海側にはオフィスビルや高層マンションが林立する。松本撮影

都市計画、まちづくりの観点で言えば、晴海の地権者(企業)により結成された「晴海をよくする会」が、当時行政が作るものであった地区まちづくりのマスタープランを自分たちで立案したことが有名です。「晴海アイランド計画」と名付けられたその計画は、後に晴海トリトンスクエアとして実現しました。民間主体のボトムアップ型のまちづくり、エリアマネジメントの代表例です。

こうして、狭い範囲に由来を異にする街が隣り合ったのです。このあたりの詳しい経緯を知りたい方は、中央区立京橋図書館刊行の『中央区沿革図集[月島篇]』(東京都中央区立京橋図書館、1994)や、四方田犬彦の『月島物語』(集英社、1992)、晴海をよくする会のHPなどをあたってみるとよいでしょう。

地域課題のデパート

前段でみたように、月島・晴海エリアは、全体から見て産業の地、近代工業地帯という側面が強かったわけですが、高度経済成長期の後半から、より安い労働力と広い敷地を求めて各種工場が地方や海外に移転すると、その跡地に高層マンションが群立するようになりました。マンションの住民は都心に努めるホワイトカラー(管理職、専門技術職、事務職)が圧倒的多数であり、これまで工場労働者層(ブルーカラー)や、商店街の構成員である小規模自営業主とは異なる存在です。生活習慣が異なる住民どうしの共存はまたしてどのように実現するのでしょうか?

また建設されたマンションの多くがファミリータイプであったがゆえに、そこには同じような世代構成の住民が入居するのであって、ある特定の時期に小中学生の数が著しく増えて地元小中学校に緊急対応を要するのです。生徒の収容問題に片がついてひと安心といっておられまい。20年後30年後、その親世代が老いて、今度は大量の介護問題が持ち上がることでしょう。年齢構成がいびつな地域社会は、多くをもたらす半面、そのどこかに何かしらの弱点を抱えているものです。

2018年に完成した築地大橋。勝どき駅周辺にはタワーマンションが多く、築地魚河岸の街並みとの落差が大きい。松本撮影

さらに地下鉄の敷設は交通手段の一新をもたらしました。朝夕に駅に殺到する人混みも、通勤通学ラッシュという社会現象も、地域社会の変容を物語っています。これは前提として住む場所と働く場所が異なり、両者の間の移動手段が必要となるという状況にならねば発生しえない現象だからです。

また生活の安全性という観点ではどうでしょうか?月島・晴海は海に浮かぶ人工島。高潮が来たらどうすればよい?首都直下型地震が発生したら?すべての橋が落ちてしまえば海上に孤立した群島であって、生活物資や避難場所の問題は当然考えねばなりません。

七夕の夜。月島西仲通り商店街にて。松本撮影

言葉を選ばずに言うのであれば、月島・晴海は地域課題のデパートであって、様々なテーマで深堀すべき課題を見つけることができます。我々は3つのチームに分かれて、このエリアの地域課題を深堀し改善提案を行うことにしました。月島もんじゃに着目し、もんじゃを軸としたまちおこしのため、夜の飲食空間の地域内回遊性を提案する「観光チーム」。勝どき駅混雑緩和施策を考案する「通勤チーム」。そして、海に浮かぶ島ゆえ、「水害」にフォーカスして危難経路のシミュレーションを作成する「災害チーム」。

各チームそれぞれ個性的な活動内容については、次回以降に紹介します。

<参考文献>
・関谷耕一『生活古典叢書6 月島調査』(光生館、1970年)
・晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』(晴海をよくする会、1986年)
・四方田犬彦『月島物語』(集英社、1992年)
・東京都中央区教育委員会『中央区沿革図集[月島篇]』(東京都中央区立京橋図書館、1994年)
晴海をよくする会のHP ※2024年8月2日最終閲覧


最後までお読みいただきありがとうございました!

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