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コルクラボがたり

 勢いだった。
 ツイッター廃人の私は、TL警備の最中にサディ(佐渡島庸平)のツイート「13期募集!」の文字を見た。
 深く考えず調べもせず、応募要項をチラ見して応募した。何と月会費がかかる事すら知らなかったのでかなりの無鉄砲である、夏目漱石の坊ちゃんといい勝負ができそうだ。

 応募したのは締め切りギリギリだった。ストレングスファインダーという性格分析をやるべく本を買い、グーグルフォームに入力。選考があるものだと身構えて質問には結論ファーストを意識して答えた。めでたく13期生になった。

 いざラボに入って思うのは、肩ひじ張らなくていいってこんなに楽なんだなあ、というじんわりとした感動だ。
 夢中で歩き回っていた所にいすを見つけて、座った時のあの「うあ~」という脱力感。

 学校でもきっとメイビーおそらく会社でも(学生だから仕事についていっちょ前に語るのは怖い)、能力の高低によってその集団の居心地というのは大きく変わってしまう。
 そんな社会を生きる独り身人間の私にはなかなかコルクラボは快適だし、ここじゃなきゃ会えなかった人と出会えるし、何より普段言わずに喉元でとどめておくようなことを言っても大丈夫なおおらかな空気感が、とても呼吸しやすい。例えば、「そもそも○○ってなんやねん」みたいな概念の定義のような、所謂考えすぎちゃって普段口にできないようなことが普通に話せる。
 この、普段は言葉にしないことを言葉にできるという事の快適さはどこから来るかというと、やはり「“いる”コミュニティ」というコルクラボのスローガンに尽きる気がする。いるだけでいい、やらねばならないこともない、できそうなときにやる、無理そうならやらない、何ならやめてもOK。こんな集団ありなんか?それが大アリなんですねえ。

 文句を言うなら、月会費高いよ~とか、各分野の有識者が多くて話が難しくてついていけないときあるよ~とか、イベント立てるのまだ勇気出ないよ、とか。
 そりゃ、探せば不満なんていくらでも作れるでしょう。それこそ、正直相性だから人によっては微妙な気持ちになる場面もきっとあるかもしれない。私はまだないけど可能性はゼロではない、人間だもの。

 だとしても、そのリスクを大きめに見積もって差し引いたとしても、私はコルクラボに会えてよかったと思う。自分が面白い!と感じた人が、自分を面白い!と言ってくれたり、自分の知らない世界を教えあったりして、「私」という自分の観察者が少し自分に優しくなったように思う。

 今後の目標?うん、そうね自分でイベント企画して、コルクラボの人に楽しんでほしいな…と思いつつもチキンなのでまだまだビビっている。

 そんな私も、まあよし。
 それが、私の感じる「コルクラボ」である。

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