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ごめんなさいが止まらないので感情発散

ごめんなさい、ホントにごめんなさい、と謝りたく瞬間は生きてれば何度も訪れる。
それが再びやってきたのが今で、どうしても辛くて悲しくて申し訳なくて、耐えきれずに言葉にして消化しようと思った。

私は、男女の恋愛ものが好きだ。女性同士の話も好きだし、男性同士の話も好きだが、結局どっぷりハマるのは漫画やアニメの「つきあってそうなのに公式では付き合っていない」ペアに惹かれる。

その好きな気持ちが高じて、小説を書いてしまった。三万字である。卒論がもう嫌になって何もかもどうでもよくなって、「でも死ぬ前に一策納得のいく話書いておきたかったな」とか考えて書いたら三万字だった。多分うっすいけど本ができる。

投稿したけど、やはり凡人らしくたいしてバズリもせず、それでも通知にいいねが来れば飛びついてしまうくらいに動物的な承認欲求の塊に成り下がった。こんな私は嫌だった、だから私は作家にはなりたくなかったし、編集という作品と絶妙な距離のある役割に立ちたかった。あまり褒められた理由ではない、もちろん誰かのために役立っている実感が欲しかったとか、話を作る才能を見つけ作家さんを育てて守る方になりたかったというのもあるけど、とにかく自分が作家として作品の所有者になるのは嫌だった。

それに、何より自分が書きたいジャンルの話を書くことができないジレンマも嫌だった。恋愛小説が書きたいのに、恋愛経験がないのである。両想いになったことがない人間が、恋人と手をつないだこともない人間が、恋愛小説を書く。借り物の表現、借り物の描写、何一つ知らない知識で辛うじて書き上げたレポートのような薄っぺらい話になってしまうから、恋愛小説なんて絶対に書きたくなかった。

にも拘らず、薄っぺらい恋愛の話を書いてしまい、その出来や感情をうまく書けなかった自分が虚しくて、この虚しさがこれからも続くのかもしれないと思うと絶望的で、ふっと悲しくなってしまった。ごめんなさい、恋愛知らないくせに恋愛小説なんか書いて。面白くないと分かりながら褒められたくてごめんなさい。私はどこで間違えたんだろう。変なとこで自己肯定感を出して好きになれそうもなかったあの人やあの人の、好意を無碍にしてしまったのがダメだったのでしょうか。かなり苦手な人間でも、好きになろうと思えば好きになれる自分を分かっているから、そうまで心を殺してでも好きと言ってくれた人を好きになろうと頑張ればよかったですか。ねえ、私はこの寂しさをや無力感にさいなまれながらこれからあと数十年一人で生きてくんですか。そうやって弱音ばっかりはいて努力もせずへたり込んでる自分を可哀想がってる自分も随分間抜けだなあとか思うので、私の味方、どこにもいないなあとか思いました。

かいたら少しスッキリした、うん、やっぱり私文才あるな。それだけで生きていける、それで生きていくつもりなんですよ私。
今日はバイト終わったらお気に入りの梅酒を買って帰ろう、そうしよう。

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